2019年1月1日火曜日

「すべての人を捨て去る」ではなくて、「他者の言動がすべて気に入らない」ということ。貴乃花親方の行動をみて


▲人は、一人で生きているのではない。
 他者との関係—まぁ、好意とか嫌悪とか様々な感情をふくめて--の中で、「なんとか生かさせてもらっている」のが、人間というものであろう。

 そんな中で、「他者の行動・行為がすべてオレには気に入らない」ということを言い出したらどうなるか。
 「強制的なひきこもり」状態に陥らざるをえまい。
 今の貴乃花親方の立ち位置って、そんな状況ではないのか。

 いや、「他者の行動・行為が気に入らない」という行動の底の底に、例えば「社会をこう変えたい」というそれなりの「信念」があるというなら、それはそれで、他者も認めざるを得ないのだが、貴乃花親のもつ「個人的な信念」をみずからの判断基準としているなら、社会というか他者も認めはしない。

 だから。
 貴乃花親方の「強制的ひきこもり」の根底にあるもは、自分の「個人的信念」が、社会でも「認められる筈」というカンチガイの下になされているのであろう。

 以下、新聞から抜粋。

2018/12/31()
「愛情がなくなりました」
 19931月、まだ20歳だった元貴乃花親方(46)の、婚約者・宮沢りえ(45)への冷たい発言である。
 当時、人気絶頂だった2人のビックカップル誕生に世間は沸いたが、婚約会見からわずか2カ月後に破局。
 あれから25年。元貴乃花親方は、一度は信頼した人物と、修復不可能な絶縁を繰り返している。
 兄・花田虎上氏(47)との兄弟喧嘩は有名だ。
 「若貴フィーバー」で相撲界を牽引した2人だが、常に比べられたこともあり、いつしか口もきかなくなった。
 元貴乃花親方も兄のことを「まさる氏」と呼ぶなど、現役時代から確執が始まっていた。
 2人の不仲が表面化したのは、2005年、先代・貴乃花の葬式の喪主をめぐっての対立だった。
 遺骨の管理や遺産相続について意見が合わず、溝が深まった。
 母・藤田紀子さん(71)は今でも息子への愛を語るが、元貴乃花親方は母に携帯番号を教えていないという。

 2018年、元フジテレビアナウンサーだった河野景子さんと離婚。
 理由の1つに、靴職人である息子・優一の芸能活動があげられている。
 『週刊文春』(1227日号)は、元貴乃花親方を独占インタビューしている。
 そこには息子への絶縁ともいえる言葉が書かれていた。
 「(息子が)職人を語る以上、チャラチャラと表に出ている暇があったら、靴を作って土台をしっかり築くべき。まずは一流の職人になるのが先ですよ。タレントになりたいのなら、中途半端に靴職人の肩書きを使っちゃいけない。本当の職人さんに対して失礼です。
 自分に力がないのに、親の名前でメシを喰おうとしているのが現状です。
 今はチヤホヤされるかもしれないけど、世の中はそんなに甘くない。
 我が子ながら恥ずかしくないのかと思います。私の靴ですか?  もちろん作らせていません。百年早いですよ」
 景子夫人は、優一が番組撮影で海外に行った際に同行するなど、大人になってからも溺愛してきた。だが、そんな様子も、元貴乃花親方には我慢ならなかったのだろう。
 見捨ててきたのは、息子だけではない。
 自身が相撲界から引退するきっかけとなった暴行事件の被害者である元弟子・貴ノ岩(28)が、暴力事件を起こし電話をかけてきたときも、「出なかった。10年は会わない」と美談のように語っていた。愛弟子の裏切りに対し、冷たく突き放した形だ。

 いったんはわかり会えた人間とも、結局は距離をおいてしまう孤高の男。
 元貴乃花親方を入門時からよく知る、相撲レポーターの横野レイコさんはこう語る。
 「よくも悪くも、思い込んだらまっすぐ。中途半端なことはできない人なんです。極端で、白か黒どちらかしかない。だからちょっとしたことで仲違いしてしまうし、それは親兄弟でも同じなんです。その性格は昔から変わりません」
 自分自身の考えを変えず、息子まで捨て去った。元貴乃花親方の2019年は、明るい1年になるのだろうか。

補足、感想など

 はっきり言って、貴乃花親方はべらべらしゃべりすぎる。
 貴乃花親方の「個人的信念」って、社会に訴えるだけのものではあるまい。(例えば、法然が親鸞に結婚を勧めるような、日本の仏教を一つ高みに登らせる--そんな言動なのか?)
 冒頭でふれた。
 そこに貴乃花親方の「カンチガイ」があるのだ。

 人は、他者と様々に絡み合いながら、ようやく「生きさせてもらっている」存在だ。
 貴乃花親方の「個人的信念」にもとづく言動は、他者から・世間から「狷介(けんかい)」と受け止められるだけだ。

 貴乃花親方は、もっと、社会に向かって「しゃべる」のを少なくせよ。
 自らの「狷介さ」を世の中に、アピールしてなんの意味があるのか。

 それよりも、他者との様々な関わりの中で、ようやく「生きさせてもらっている存在」として、他者に少しでも「役立つ役割」を果たしたい—と願い、行動することこそ、もっと価値のある・社会的に認められる言動ではあるまいか。

 貴乃花親方の言動の核心部分は、おそらく、「自分が一番大事」という精神--己に利する--ということであろう。(親方自身が明確に意識しているかどうかは分からないが--。)
 どこかで「他者<妻や子供を含む他人>に利する」--利他という形にしなければ、世間の賛同を得ることもできないし、「べらべらしゃべっても」、社会が受け入れてくれることはあるまい。