2012年2月21日火曜日

光市母子惨殺事件-被告に死刑判決確定。

▲光市母子惨殺事件の犯人に死刑が確定した。
 なにか、この事件は周辺にざわざわしたものがついて回って、事件の残酷性もさることながら、後味の悪い事件ではある。

 最高裁で死刑判決が確定し、その判断は妥当だと筆者は思った。

 上で、「ざわざわ」と書いたが、事件をややこしくしたのは、2つくらいの要点があるからだろう。

 一つ目は、犯行時が18才であったこと、また、殺害した人が女性一人、幼児一人であったこと。

 2つ目が、犯人が在日の朝鮮系の少年であったことであろう。

 以下、新聞から抜粋。(記事はおそらく韓国系と思われる記者による)

 大月孝行被告は、どのような生活を送っているのか。

 判決前に面会した弁護士らによると、遺族の本村洋さんには「おわびしたい」と謝罪の言葉を述べる一方で、判決の内容に話題が及ぶと、「殺意はなかった」と訴えかけるという。

 差し戻し控訴審の途中まで弁護人を務めた今枝仁弁護士は、先週も接見。

 「本人は 元気。たくましく、強くなった感じがした」と語り、判決を目前に特 に変わった様子はなかったという。

 大月被告が自身への判決を「永山基準のように、今後の基準になるかもしれない。
 後で批判を 受けないよう、しっかりとした判決を書いてほしい」と語ることもあった。

 最後の面会の際には「なかなか理解してもらえないが、死刑で償いたいという気持ちと、しかし、それだけでいいのかという気持ちがある。僕自身も揺れ ている」と吐露。

 だが、弥生さんと夕夏ちゃんへの殺意が認定された判決に話が及ぶと、「殺意を持つような相手ではない」と否定し、「母への甘えたさから、弥生さんに抱きついただけだった」という差し戻し控訴審での主張が本当なのだと、訴えかけてくるという。

 最初の控訴審では、友人への手紙で、犯行を犬の交尾に例えたとされる内容も明らかになった。

 門田さんは「反省は深まっているように思う」と被告の心境の変化を指摘した上で、「自分が犯した罪の重さに堪えかねて、無意識のうちに自分の行為に、理由付けを行っているのではないか」と話した。

 差し入れなどで、本を400冊ほど持っており、好きな本は、哲学入門書「ソフィーの世界」。
 また、ドイツ文学を好んで読んで いるという。

▲補足、感想など
 この裁判の核心は、18才という年齢の少年が、母子を殺害し、死後、その母親を強姦した—という犯行を、死刑という刑罰に処することで妥当か否か—ということだ。

 死刑にするには、二人を殺害した場合というなにか慣例のようなものがあって、じゃ幼児も一人と計算するのか—などという異論が、韓国系・北朝鮮系の大学教授などからあってニュースとなった。

 その頃から、在日の韓国系・北朝鮮系の弁護士・ジャーナリスト等が、この裁判に関わり始め、「死刑判決」を阻止しようという「動き」が顕在化してきた。
 (なにか、昔、静岡県寸又峡に逃げ込んだ金嬉老という殺人犯を日本人に差別されてどうのこうの—と論点をすり替えた事件があったが、あれによく似た展開となった)

 このあたりが、冒頭で書いた「ざわざわ」だ。

 さて、「ざわざわ」はほっておいて、もう一度、核心部分を見てみよう。

 上で述べた「核心部分」の文章での要点は、1.18才という年齢 2.母子を殺害 という部分だ。

 幼児を一人と計算するかどうか—など、瑣末な問題で、犯行の内容は、母親を絞殺後-強姦し、幼児は投げつけて殺害したという。

 その残虐性を見てみると、18才という年齢を考えても、「死刑」という判決はやむを得ないものと思う。

 筆者は、最高裁の判断を妥当だと思うし、支持する。

 なお、記事にある被告の発言部分--母への甘えたさから、弥生さんに抱きついただけだった—という表現はどうだろうか。

 18才が犯行時であったとしても、現在は30才を超えていよう。そんな男が発言する内容か。

 このウソにウソを重ねたような、死刑判決を避けるためには「どんなウソをついても構わない」と考えているということであろう。

 被告が、少年時、父親から暴力を受けた在日の朝鮮系の人間であることを考慮しも、「人間性が致命的に欠けている」といってよいであろう。

 更生する可能性がどうのこうの—という対象にそもそもなるまい。