2012年6月22日金曜日

朝日新聞の東電批判。


▲朝日新聞が、東電が出した調査報告書を批判している。
まぁ、その攻撃の舌鋒の鋭いこと。
朝鮮系の記者が書いたものだろう。まぁ、いつもながら、彼等は他者を攻撃するのは得意だなぁ。
翻って、自分が攻撃されると、亀のように頭・手足をひっこめて、ただただ黙ってしまう。
花王という会社など、その見本のようなものだ。
裏工作をしつつ、攻撃者が、攻撃するネタを早く忘れてくれますように、攻撃に早く飽きてくれますように—と願っているだけなのだ。
いや、話がとんだところへ。
東電に過失があったことは当然としても、そこに過失割合のようなものが入るだろう。
技術者の目からみて、一番大きな原因として、マグニチュード9.0という規模は、想定外であったということだろうな。1000-1200年に一度という規模の地震はなかなか想定できない。
二番目として、東電の電源を何重にもバックアップしていなかった—ということだろうなあ。
昨年の福島の原発事故の原因としては、上記2つで、8割程度は占めるのではあるまいか。
以下、新聞から抜粋。

東京電力による福島原発事故の調査報告書が公表された。
結論をまとめるなら、「原因は想定を超えた津波にある。東電の事後対応に問題はなかった。官邸の介入が混乱を広げた」というもの。
予想されていた主張とはいえ、これだけの大事故を起こしながら、自己弁護と責任転嫁に終始する姿勢にはあきれる。
こんな会社に、原発の再稼働など許されない。
報告書は、東電社内でも津波が15メートル以上になるケースを試算していながら、対策を講じなかったことについて、「国が統一した見解を示していなかったため」とする。
事故後の対応で、冷却作業などの遅れが指摘されている点には、与えられた条件下で最善を尽くしたと主張する。
東電が官邸に「全面撤退」を申し入れたとされる問題は、官邸側の勘違いとしている。
発端は、当時の清水正孝社長からの電話である。
電話を受けた一人である 枝野官房長官が会話の内容を証言しているのに対し、清水氏は「記憶にない」 として、報告書ではこの電話には触れていない。
外からの批判に細かく反論する一方、都合の悪いことは避けているとしか思えない。
報告書は、責任を逃れるため東電が情報を都合よく扱っている疑いも残る。
事故後の対応は、東電本社と原発を結ぶテレビ会議システムの情報を公表すればわかる。
しかし、東電は「プライバシー」を理由に公表を拒む。
東電のもつデータをすべて公開させなければ、福島事故が解明できないことは明白だ。
東電が自らの責任にほとんど言及しないのは、今後の賠償、除染、廃炉費用の負担や株主代表訴訟などを考えて、有利な立場に立ちたいからだろう。
しかし、原因を突き止め、発生後の対応の問題点を洗い出して、今後の教訓を 引き出さないのでは、何のための事故調査だろうか。
報告書が示しているのは、事故の真相ではなく、東電という会社の体質である。
事故の詳細や責任の所在などを後世に残すという歴史的使命に向き合うよりも、 会社を守ることを優先させる企業の実相だ。
原発はこういう会社が運転していたという事実を改めて肝に銘じておこう。

▲補足、感想など
記事を読むたびに、朝鮮系の人間は「攻撃」は得意だなぁ、と確認する。
論調が、「従軍慰安婦」なるデッチアゲで日本人を攻撃している「言い方」をそっくりだと思わないか。
 ついでながら、在日韓国人について、書かれた文章があったのでご紹介したい。
 --ここから--
 自分は在日の二世、三世の知り合い、浅い友人もいるけど物事の捉え方、考え方に微妙に違和感を感じる 

 やはり血だと思う 
 特に感じるのは、相手に落ち度、非がある場合攻撃の仕方が半端ない謝っても反省をのべても攻撃をゆるめない 
 謝罪の落としどころとか関係なく、ただ相手を攻撃する 恐いことに知り合い全員がそうなんよ 
 --ここまで--
自分のことは棚にあげて。
まぁ、いい。
朝日新聞など、もはや新聞の発刊では生きていけない会社だ。えっ、不動産業が主たる仕事だったか。
話がとんだところへ。
会社というのは組織である。そこに多くの人間が働いている。
自社の内部で起こった事故を、自社で調査報告するというのは難しい。
できるだけ、第三者の目で、冷静に—というつもりでも、自分の完全な裸は見せづらいものだ。
そのあたりは理解して上げるべきだろう。
事故の原因については、冒頭でふれた。
事故直後に、官邸と東電での連絡のことが書いてあるが、これは、菅さんという組織で働いてこともない人間が、電話の一方にいたのだ。
どう聞き違えたか、とう受け取り違えたか—見当もつかない。
言わば、水掛け論のようなものだ、そんなところへ深入したところで得るものはあるまい。
この調査報告書は、事故を起こした側の言い分も多分に含まれている。それは致し方ない。
これ以上の調査報告を求めるなら、国で調査委員会を作り、東電の担当者へ個別に証言させるしかあるまい。
それでも、事故後は、モタモタしながらも、大きな事故へ繋がることはなかった。現場の技術者達の懸命の努力のお陰であろう。
そのあたり感謝したい。
最後に、技術者的な視点から事故全体を振り返って言わせてもらえば、事故の原因は、電源の確保のミスという点で東電に最大の過失があり、1000年に一度という規模の地震が不可抗力とすれば、不可抗力な部分4割:東電の電源確保ミス6割というところではあるまいか。


※冒頭でふれたことと矛盾するような表現とはなった。ただ、事故に直接つながるミスとして東電の電源確保という点は、どうしても不可抗力とは言いがたいためだ。まぁ、合理的とはいえなかもしれないが、筆者の頭の中での判断基準ではそうなるということ。





2012年6月20日水曜日

原発の必要性と安全性。


▲今後、原発をどうするか—という論点より、この原子力という「力」を、将来に向かってどう使っていこうか—という方針が日本政府の中で決まらないようだ。
核心はなんなのかなぁ。
日本全体でみたときのエネルギー政策というものは、やはり、日本全体でみるべきで、それは政府が方針を打ち出すべきだろう。
人類は、もはや、採集・穴居生活には戻れない。
ならば、通常の生活を維持するためには、ある絶対量のエネルギーが必要だ。
そのエネルギーをどういうエネルギー源に求めるか—ということが核心だ。
日本の場合、それを原発というエネルギー源に求め、45パーセントくらい依存している。
確かに、いろんな代替エネルギー源は、あるし模索してはいるが、現在、原発にとって替わるものは存在していない。
論理的には、ならば現時点では「原発」に依存する以外にない—というのが結論だろう。
科学者・技術者ならば、当然の帰結である。
ところが、政治家はそれが言えない。
“世論”というものが、必ずしも「合理的」に判断し、動かないからだ。
そこで曖昧な言葉つかいとなる。やれ、必要性が、やれ、安全性が—と。
じゃ、安全性を確保した—とは、どういう状況を示すのか?
それすらも曖昧となってしまう。
この文系“脳”をなんとかならないか。もっと、「合理的な説明」に反応するような「合理的頭脳」をもつ人、「合理的生活者」の数が増えないものか。
以下、新聞から抜粋。

政府は関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を決めた際、 原発の「安全性」と、電力が足りず稼働させる「必要性」の二つがそろわないと再稼働は 認めない、と約束した。
しかし、原子力規制委員会が発足した後は「必要性」はチェックせず、なし崩し的に再稼働を進めるかのような動きを見せ始めた。
「安全であったとしても、必要がないなら再稼働の判断に至るものではない」。
四月九日、枝野幸男経済産業相はこう明言した。
大飯原発3、4号機をめぐる首相と 関係三閣僚会合後の記者会見での発言だ。
安全性そっちのけで再稼働を急ぐ姿勢を批判されるのを恐れたためか、熟慮に熟慮を 重ねていると強調したかったとみられる。

▲補足、感想など
新聞記事での用語がそもそも具体的な内容を示しているのではないのだな。
まぁ、枝野さんもまだ、「アツモノにこりてナマスを吹く」状態のままだということなのだ。
冒頭でふれたように、筆者と同じ論調で、「今更、穴居生活ができるものか」とか言えないのだろう。
福島原発事故で、避難生活を余儀なくされている人々の神経を逆撫でするような感じとなるということか。
それでも—と筆者は思う。
通常の生活(電車に乗れて、食事の準備ができて—等々)を維持するためには、どうしても絶対量のエネルギーが必要だ。そして、現在時点で供給が可能なものは「原発のみ」なのだ。
次のステップへ踏み込むためにはどうしても原発をエネルギー源とする以外にない。
その部分はどれだけ強調しても強調しすぎるということはあるまい。
これこそが「必要性」なのだ。
対して、安全性の確保とは、原発施設への電力供給のバックアップであろう。
なにか、断層がどうとか-いう人がいるが、これはもはや安全性の問題ではない。
仮に断層上に立地されているとすれば、それは最初の立地場所の選定ミスであり、「廃棄」以外にはありえない。
いや、話がそれた。
安全性の確保の問題は、このブログで何度もふれていように、他の電力会社エリアから、バックアップ用に電線を引き込むということであろう。
上の記事を読んでも、「安全性」だの「必要性」だの、意味が曖昧な言葉を選んで駆使しているようだ。
世論の反発を恐れる気持ちは分かる。
しかし、これはある意味、国民をアホ扱いしているようなものであろう。
日本政府側も国民側も、もう少し「合理的」な言葉使い、合理的な判断を求められている。



2012年6月19日火曜日

女性は指導者になれぬ。


▲韓国の次期大統領選を視野において、バク元大統領の娘さんが、候補となるようだ。
 反対党からこのパクウネという人を標的に、しゃべったことが表題のいいだ。
 筆者は、余程の能力をもつ人でなければ無理だろうなと同意する。
 女性達から、筆者も批判されるかもしれない。
 でも、これには理由がある。
 前回のアメリカ大統領選で、オバマさんとクリントンさん(女性の方)が争った過程をみていて、あのクリントンさんでさえ、追い込まれるとヒステリックになってしまうのだ。
 アメリカ大統領とは核のボタンさえもつ。
 これは、クリントンさんでも大統領には無理だな—とつくづく感じた。
 だからクリントンさん以上の能力をもった女性がいるなら、べつに筆者も反対はしない。
 ただ、世界にクリントンさん以上の能力をもつ女性政治家がそんなに存在するかな。
 以下、新聞から抜粋。

 韓国の李明博大統領の側近で、与党セヌリ党の大統領選予備選への出馬を表明している李在五前特任相が、朴正煕元大統領の長女で大統領レースを独走する同党の朴槿恵元党代表を念頭に 「女性がリーダーシップを取るのは難しい」と発言し、「時代錯誤的発想」と批判を浴びている。
 李前特任相は記者会見で、女性大統領について問われ「時期尚早だ」とし、「分断の現実を 体験せず、国防を経験していない状態では、単純に女性であるという理由でリーダーシップを取るには困難がある」 と述べた。
 兵役義務がない女性は国防のリーダーを担えないという趣旨だが、李大統領も「気管支拡張症」を理由に 兵役免除されており、説得力は乏しい。

▲補足、感想など
 時代錯誤-てか。
 ちっとも、時代錯誤という話ではない。
 冒頭でふれたように、追い込まれて追い込まれても冷静な判断をし続けることができるという女性の数が圧倒的に少ない—ということが、この議論の核心だ。
 だから、女性が出来ないとか向かないとか言っているのではない。そうできる女性の数が男性に比して圧倒的に少ない—と言っているだけだ。
 その意味で「時代錯誤」がどうたら—とは関係ない。
 記事にふれれば、パクウネという女性が、上で書いたような能力の持ち主であるのかどうか、筆者には分からない。
 ただ、冒頭でふれたようにパクウネさんの能力がクリントンさんを上回っているとは、どうしても思えない。
 したかって、--女性がリーダーシップを取るのは難しい—なるコメントは、まぁ、珍しく正論だ。


2012年6月18日月曜日

なんだ、これは—とアメリカ人記者。


▲Akb48という存在は、アメリカ人を含む白人系の人間には分かりづらい存在だろうなぁ、と思う。
いや、筆者がなにもかも分かる—と取られても心外だが--。
ただ、これはアジア系というか東アジアでしか理解できないような—そんな存在だな。
先日、中国のnなんとか98とかいう、akb48によく似たグループの画像をみて、そっくりだなぁと思った。
いや、中国がパクった—とかいうつもりはない。(パクリそのものだが)
パクリであろうがどうでもよくて、これは美少女フィギュアのようなものだな、と感じた。
日本人と同じように中国人も、同じ視点でこういうものを見ることができるのだな—とも思った。
「性」という対象でもないし、かといって歌がどう、演技がどう—ということでもない。
言わば、彼女達は、「動く美少女フィギュア」なのだろうなぁ。
そして、そういうものを見て、日本人も中国人も同じように「楽しめる」ということなのだ。
以前このブログで、彼女達は「多幸感溢れる存在」だと書いた。
平和で、豊かな生活が数十年継続することで始めて生み出すことができる存在だとも書いた。
上の中国のなんとか98の少女達の画像をみて、同じように感じた。
つまり、中国でも同じように「多幸感溢れる美少女達」を生み出せるところまで、社会が成熟しつつあるのだな。
以下、新聞から抜粋。

2012年3月末、アイドルグループのAKB48がワシントンを訪れた。
今年は桜の苗木が日本からワシントンに贈られてから100周年に当たる。
それを 記念して、AKBが「全米桜祭り」でコンサートを開くことになったのだ。
地元でのイベントと あって有力紙のワシントン・ポストが“J-pop royalty”と題した記事を載せた。
“Japanese girl group AKB48 breezes through D.C. in whirlwind of cuteness”
(「日本の少女グループAKB48、『可愛らしさ』のつむじ風がワシントンを駆け抜ける」
さて、この見出しを読んで、AKB48を「かわいい」と好意的に評価した記事だと思うだろうか? 
■「旋風」はなく「あっという間に帰った」
同級生は「cuteは米国では必ずしも良い意味ではない。
小さい女の子にcute といえば褒め言葉だが、女性を褒めるときには使わない」と。
cuteはかなり適当な 印象を与えるようだ。
記者が『外見以外に見るべきところがない』と判断している印象を受ける」と。
さらにbreeze through という句も、「airhead(頭が空っぽ)でshallow(薄っぺら)な 印象を与える」と指摘。
記者は 「さっと来て、慌ただしく帰って行った」という意味でwhirlwindを使っている。
辛口なトーンはもっと明白だ。
地元の小学校を訪問した3人の メンバーの服装についてはこう描写。
“a navy plaid blazer over the smallest schoolgirl skirt, followed by yards of gangly legs, then knee socks”
(濃紺のチェックのブレザーにとびきり短い女学生風スカート、その下にひょろっとした長い足とニーソックスがつながっている)
ネイティブの学生に聞くと「小学生の男の子みたいな、 棒切れのような足のイメージ」という。
AKB48とは一体何者なのかを説明する文章だ。引用してみよう。
“It is as if Miley Cyrus, Taylor Swift and the entire cast of "Twilight" were placed into a saucepan and simmered on a low boil until nothing remained but the sweet, cloying essence of fame, and if that fame were then poured into pleated tartan skirts and given pigtails.”
(まるでマイリー・サイラス、テイラー・スウィフト、それに『トワイライト』の全出演者を鍋に入れ、有名人だという甘ったるさ以外には何も残らなくなるまで 弱火で煮込み、それをタータンチェックのプリーツスカートに注ぎ込んでお下げをくっつけたようなもの)
マイリー・サイラスやテイラー・スイフトなどは、現在米国の中高生に大人気のアーティストだ。
これを読んだネイティブは「要するに、これといった才能は何もない、ただ『有名』なだけの存在ということ」と説明。
記事の最後。
“The resulting applause seemed the slightest bit outsize for the girls' responses,but they were very personable and lovely, and it is always possible that something was lost in translation.”
(彼女たちはとても感じがよく、愛らしかったし、翻訳によって「大事な何か」が失われてしまうのはよくあることだ)
「受け答えの割に 拍手が大きすぎる」など、AKBに対する「中身がない」という評価は変わっていない。
学生に記事のトーンを尋ねたところ、4人が“bewildered(当惑)”と答えた。
日本文化について何も知らない記者が、「コ、コレは一体何なんだ?」と困惑しながら書いているという印象だ。
残るは“derogatory(軽蔑的)”“condescending(見下して いる)”と受け取った。
■日本人ほど多様な趣味に寛容でない米国人
この記事を見る限り、日本のポップカルチャーに免疫のない米国人にとって、AKBはやや刺激が強すぎたのかもしれない。
「良くも悪くも、米国人は日本人ほど他人の趣味に寛容ではない」と同級生のリンは語った。
AKBのメンバーの年齢、露出度の高い衣装やコケティッシュなパフォーマンスを見て、「こういうのが好きな人もいるよね」と流せる人が多い日本に対し、米国では“This is wrong!” (これはおかしい!)と憤慨する人が珍しくない。
人種の坩堝の国である割に、米国人は自らと異なる嗜好・見解に不寛容なところがある。

▲補足、感想など
別に、アメリカ人がどう思おうとどうでもいい—と思う。
なにか文化というもののもつローカル性というものにつながりそうだ。
「美少女は国の宝」とかいったのは、宮崎駿ではなかったか。
風の谷のナウシカ—美少女フィギュア---akb48 –というものには、根底で繋がるものがありそうだ。
この動く「美少女フィギュア」、また、多幸感溢れる少女達の存在は、東アジアを中心として、アジア人だけに理解されるそんな存在なのだろう。
これから先、どういう展開となるのか見当もつかないが、中国でも台湾でも同じような存在が次々生まれてきそうだな。

パナソニック、大リストラ。


▲パナソニックが大幅なリストラをするようだ。
ただ、これを単なるマイナスイメージでとらえてはなるまい。
ユーロ圏、アメリカなどの経済・通貨などのグダグタぶりをみていると、もう数年、円高基調が終焉することはあるまい。
それだけ、日本国内で生産することが難しい時代なのだ。
次なる飛躍への下準備ととらえる方が真っ当な評価であろう。
以下、記事から抜粋。

パナソニックが本社の従業員7000人のうち、3000~4000人を削減すると伝えられた。
ソニーやNEC、野村HDといった企業でも大規模なリストラが進行中だ。
リストラで最も重要なのは、実は人を切ること以前に、優秀な人材を引き留めておくことである。
大規模なリストラをせざるを得ないほど経営が悪化すると、どこの会社でも通用する 優秀な人材は、早々と会社に見切りをつけてしまう。
「それを防ぐため、人員削減や給与カットを行なう一方、辞めてほしくない優秀な人材に対しては金銭的なインセンティブを掲示したり、希望の部署への異動をかなえたりすることがあります」(経済ジャーナリスト・f氏)
それでも辞めていく人材は多い。
あるヘッドハンティング会社の社員が話す。
「優秀な人材には早いうちから我々も声を掛けていますし、本人も会社の経営状態に敏感です。そのため、会社が引き留めに入った時にはすでに他社への移籍が決まっている、といったこともよくあります」
実際にパナソニックの技術者の中には既にサムスンなど韓国や中国のメーカーに移った人も少なくないという。

▲補足、感想など
記事中に、--サムスンなどに移った—とかなにか胡散臭い文章がさらっといれこんである。
しかし。
サムスンという会社の評判は、日本の技術者からは極めて悪い。
一旦、サムスンという会社に籍を置けば、もう、日本の会社で雇うということはない—とか言われているようだ。
日本の技術者からは、「スパイ扱い」をされてしまうらしい。
ついでながら、サムスンという会社の利益率の高さだが、これはどうも2つの理由があるようだ。
一つは、韓国政府からの税金の投入(補填というのが正しいか)であり、もう一つは、会計制度が独自の制度をつかっているようだ。
今、国際的な会計制度は、アメリカの会計制度・イファースという国際会計制度に収斂されつつあるが、サムスンの会計制度はこれに逆行しているようだ。(このあたりをimfあたりに開示されるのを嫌がっているのだろうな)
この2つを頭にいれておくと、サムスンのあの異様なまでの利益率の高さが納得できる。
いや、話がとんだところへ。
パナソニックのリストラについては、まぁ、やむを得ないものであろう。
リストラされたって、また、自分で自分なりの人生を切り開けばいいことではないか。
筆者などでもそうだ。
技術系の仕事から、現在は限りなく文系に近い仕事をしている。
働くのに、理系も文系も技術系も関係があるものか。
日本人の能力について書いてある文章をご紹介したい。
--ここから*-
 日本人ってのは、遺伝子開いてみると、アフリカ固有以外はほぼ揃ってる
 もちろん比率はあるが、見た目的には皆同一人種に見えるがこれだけ異人種を揃えた古い国ってのはほとんど奇跡に近い
 それだけ能力の幅というかバリエーションがある
 人間という優秀な種のバリエーションをいかんなく活かせるってのが日本人の大きな強み
--ここまで--


小沢さんの離婚。


▲小沢さん夫婦が離婚したようだ。
 奥さん側の発言を聞いていると、なにか小沢さんという人の個性というか人間としての”本性”のようなものが露わとなっている。
 いや、政治家の個人生活がどのようなものかと政治家としての能力とは違うだろう—と言われれば、まぁ、それはそうだろうなぁ。
 ただ、小沢さんの人生って、寂しくないか。
 年齢を重ねる程、自分の周囲から信頼できる人間が減っていく-という感じだな。
 以下、新聞から抜粋。

 『週刊b』の「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」、
 サブタイトルが「『愛人』『隠し子』も綴られた便箋11枚の衝撃」。
 手紙は昨年11月、k夫人が地元岩手の支援者に送ったもので、 mさんがそのコピーを入手。
 まず、長年の支援に感謝しつつ、離婚の直接のキッカケを。
 〈実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。
 岩手で長年お世話になった方々が 一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました〉
 (為になるどころか害になることがはっきりわかりました〉
 具体的には「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやれ」「食料の備蓄はあるから、塩を買い占めろ」 などと言って鍵をかけて家に閉じこもり、ついには〈旅行カバンを持ってどこかへ逃げだしました〉。
 k夫人は〈国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです〉と呆れている。
 離婚の原因は既に『b』が報じた「隠し子」。
 8年前に発覚した時、小沢氏は夫人にこう言ったという。
〈私との結婚前からつき合っていたaという女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせた〉
〈このaという人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰れでもいいから金のある女と結婚することにした。
 「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」「いつでも離婚してやる」〉
 放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全に終わった。
 それにしても小沢氏、いい齢をして,なぜそこまで放射能を怖がるのかがわからない。
 ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか。

▲補足、感想など
 隠し子の件・放射能が恐い云々は、まぁ、いい。ここでは置いておく。
 なによりも、自分の妻への言葉の「薄っぺらさ」に衝撃を受ける。
 どこに核心があるのかなぁ。
 この小沢さんという人は、女性というものを同格のパートナーと見ていないということなのだな。
 そもそも奥さんが、「地位が欲しい」わけがあるまい。
 そんなものより、夫からの「全幅の信頼」とか、「誠実さ」「慈しみ」のようなものが欲しいに決まっている。
 つまり、女性というものを下に見ている、とでも表現すればいいのかな。そして、女性の賢さとか強さというものに気がついていないということだろう。
 だから、こんな表現となるのだ。
 そして、「水商売の女」とかいう女性からも必ずしも信頼されているのでもあるまい。
 う—ん、小沢さんは、これからはもう女性達から支持はされまい。
 それは、小沢さんがもっている「女性を下にみる」という小沢さんの本性が招き寄せたものであろう。




2012年6月16日土曜日

大飯原発の再稼働、正式決定。


▲大飯原発の再稼働が正式に決定されるようだ。
 筆者は賛成だ。また、当然だと思う。
 確かに原発ってものは、一旦、事故を起こせばその被害は甚大だ。
 しかし、それは原子力のもっている「力」の負の部分だ。
 正の部分から言えば、これだけコンパクトでこれだけ高出力のエネルギー源は存在しない。
 だからこそ、今でも世界では建設されつづけている。
 今、盛んに「脱原発」などという言葉が日本では溢れているが、本当にそれでいいのか。
 この原子力という「力」を、見直す議論があってもいいはずだ。
 筆者は、福島の原発事故の「惨状」を前にして、「だからこそ、更に安全な原発を建設すべき」という意見であり、また、「そういう原発の開発が可能とすればそれはきっと日本人の叡智によるものだ」と信じて疑わない。
 以下、新聞から抜粋。

 政府は16日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を正式に決める。
 福井県の西川一誠知事が再稼働への同意を野田佳彦首相に官邸で伝える。
 昨年3月の東京電力 福島第1原発事故後、国内の原発の再稼働決定は初めて。
 政府は再稼働で、電力不足による産業や生活の混乱回避を狙うが、安全規制組織の刷新や事故の 検証を待たずに決めることで、抜本的な安全対策を置き去りにしたとの批判も強まりそうだ。
 首相は知事から同意の報告を受けた後、枝野幸男経済産業相ら関係3閣僚との会合を開き、 地元の一定の理解が得られたことを確認、再稼働を最終的に決定する。


▲補足、感想など
 原発に替わるかもしれないエネルギー源候補である風力発電とか太陽光発電とかが、あまりうまくいっていないようだ。
 風力発電など特にそうだ。
 低周波音による環境被害とか、落雷とか、コストと見合わないとか、様々な障害がでてくる。
 つまり、代替エネルギー源として候補は様々あるものの、原発にそのままとって替わる程のものはまだ見えないというのが実情であろう。
 まぁ、常識的にはもう20-30年程度の時間が掛って、やっと原発に代替可能になるくらいかなぁ。
 だから、それまでは、どういう方向性でエネルギー政策を考えるとしても、原発を稼働させ、エネルギーを確保なければならない—まず、そのことを直視しよう。
 その意味で、筆者は大飯原発の再稼働に賛成であり、また、順次、他の原発についても再稼働すべきだと考える。
 それにしても。
 記事にある「抜本的な安全対策」とは一体なんのことだろう。
 こういう「言葉」だけが一人歩きするは、どうなのかな。単に世間の人々の不信・不安を煽っているだけではないのか。
 予備の電力を確保するために電力線を他の電力会社エリアからひっぱってくる—とかの意味かな。
 大飯原発なら、中国電力から予備の電線を引きこむ工事をするという意味なのか。
 ただ、それにはやはり時間が掛かる。
 この「抜本的」などという表現は、もっと用心して使用すべきだろう。
 これは、先日、津波の高さをm9.0で想定した数字をポンと公表したことに通底する。なにか、イタズラに不安を煽っていないか。
 技術系の人間の視点からすると、これは「短期的」「長期的」と複眼的に対応すべき—ということを指し示している。
 原発の点検にしても、「短期的」には、従来の点検作業で充分だ。
「長期的」には、例えば2年くらいの期間をみて、中国電力から予備の電線を引き込む工事をする—と決断することであろう。
 これぐらいすれば、まぁ「抜本的安全対策」をとった、と言えるのではあるまいか。



2012年6月15日金曜日

なぜ、中国では新しい文化創造ができないのか。


▲表題について、中国人が自問自答している記事があって、面白いと思った。
自答と書いたが、その答えのピントの外れ方がまた、中国人らしいと感じた。
まず、その記事を抜粋してみよう。

中国大手検索サイト百度の掲示板に「なぜ中国人には日本のような新しい文化創出ができないのか 」というスレッドが立てられ、さまざまな回答が寄せられている。
寄せられたコメントには、中国は制限が多すぎるからという意見があった。
例えばアメリカではホワイトハウスやペンタゴンが爆発するような映画も作れるが、中国では絶対 に天安門が爆発するような映画は作れないという。
また、流行文化の繁栄には思想の開放が必要だからという意見や、人民が貧しすぎるからという意 見、創造力の欠如と適切な土壌の欠如を挙げる意見もあった。
さらに、中国人の思想が保守的すぎるからという意見もあったが、「中国文化は某党に破壊されて しまったので文化がないからだ。党は党の文化が必要なのだからおとなしくいう事を聞くべきだ」という意見もあった。
ほかにも、新しい文化はなかなか受け入れられないから、中国は発展途上国だから、などの意見や 、「思想の開放と言論の自由があり、指導者が古株でなくなれば、自然と流行文化が出現してくる 」と期待を込めた発言もあった。

▲補足、感想など
自答の中に、思想の開放が必要とか、貧しいから—とかもある。自虐ネタかな。
話はそれるが、日本には各地に民謡というものがある。
それこそ、江戸の頃からあったものだろう。
対して、中国の田舎にいっても、民謡などが存在しないそうだ。
さて、どこいらに核心があるのかなぁ。
恐らく、1つは、儒教というものだ。
掲示板から書き込みを拾ってみよう。
--ここから--
□黄文雄が言ってたけど、
儒教は人間から想像力を奪ってしまうらしい。
中国が外国人に開放され始めた頃、 日本人の現代音楽家が、 あれほど広く長い歴史がある中国だから、さぞかし誰にも知られてない名曲が沢山あるに違いないと思い、中国に歌を探しに行った。
ところが何もないと知りがっかりして帰ったとか。
□儒教の価値観では、師、祖、の権威は絶対的だから。
革新は無茶、野蛮、無礼なモンらしい。
--ここまで--
まぁ、おそらく正鵠を得た意見であろう。
また、数百年ごとに、焚書坑儒のようなことが起こる。
最近では、1960-1970年代半ばまでの文化大革命があった。
2500万人にも及ぶ知識人・文化人・職人などが殺害されたという。
つまり、師匠・先生とか言われる人々を殺害したのだ。
これでは、仮になにか伝統芸能とか、伝統的な技術があったとしても、うまく後世に継承できる訳がない。(なお、ついでながら、近頃の中国人の言動の自己中心ぶりがひどいが、これは上でふれた文化大革命により、いわゆる先生・先輩というものがいないこと、また、一人っ子政策による小皇帝がそのまま大人になるということによる表れではないか--という指摘があった。当たっているのでは--と筆者は感じたのだが)
 新しい発想というものは、長い期間で蓄積された文化・伝統・技術などの巨大な混沌から生まれるものだ。
もう一度論点を整理してみよう。
なぜ、中国では新しい文化創造ができないか—という問いに対して、
あ、儒教というものが人間の創造力を奪っているから。
い、文化創造には、伝統・文化などの巨大な混沌が必要だが、中国では定期的にそれまでの文化を抹殺する事件が発生し、蓄積ができないため。
--まぁ、このあたりが、正解ではないのかなぁ。


2012年6月14日木曜日

石原さんは思想の毒蛇だとさ。


▲中国人って単純な民族だな—と思う。
 自分達の気に入らない人間に対して、禍々しい言葉で罵(ののし)る。
 話ほそれるが、日本の幕末の頃、勤皇派と佐幕派に分かれて血みどろの争いをした訳だが、中国ではどうだったのだろうか。
 当時の中国は清朝か。
 清朝を助けようという集団とか、英国から新技術を導入しようとする集団とか—出現しなかったのか。
 あぁ、アヘン戦争の時、なんとかという将軍がいたなぁ。あれくらいか。
 中国人という民族では、国の根幹が揺らぐ時、逸材が雲のごとく湧いてくるということはないのだな。
 日本の幕末をみよ。
 坂本龍馬が、中岡慎太郎が、土方歳三がその外モロモロの逸材が、どっとばかりに出現してくるのだ。  
 結局、アヘン戦争の頃、中国ではなにほどの逸材も生み出せなかったではないか。
 それは国がどうとかより、個人としてどう動いた方が得か—という判断基準が個人の損得勘定の人間ばかりだからであろう。
 今、禍々しいまでの「悪口雑言」を吐き出した人間が、立場が不利となると、逆のことを同じ口で言い始めそうだな。
 以下、新聞から抜粋。

 中国共産党機関紙「人民日報」系の環球時報は、尖閣諸島を購入しようとする東京都の石原慎太郎知事について、「思想の毒蛇」と例えるなど激しく批判する記事を掲載した。
 同記事は、最近の石原氏の一連の言動を「包丁を振り回して、国交正常化40周年を迎えた中日関係をめった刺ししている。
 両国関係が出血し苦しくなれば なるほど、彼は快感を味わうだろう」と表現。
「この好戦かつ狂気な政治家に 導かれるまま行けば、最終的に日中間で戦争が起きる可能性がある」と恫喝した。

▲補足、感想など
 中国人って単純だな。
 大きな声で、毒々しい・禍々しいまでの罵詈雑言で人を罵れば、日本人が怯えしゃがみこむとでも思うのか。
 勤王の志士も新選組も生み出せない中国人には、他者を脅そうとすると声を大きくする・禍々しいほどの言葉を繰り出す以外にないのだな。
 どうぞ、お気に召すまま行動してみたらどうだ?


gmの社長のセリフとして恥ずかしくないか。


▲アメリカ人ってやつは—とあきれはてる。
いつまで経っても、「技術」というものへ畏敬の念がないのだなぁ。
ニュースを読んで、今のgmの社長の言葉にあきれてしまった。
自分では、自社の製品を褒めたつもりらしいのだが、聞くものからすれば、自社の製品に責任を持たない—と広言しているだけなのだ。
一体、誰がこんな人間をgmの社長に据えたんだ?
例によって、mba とかの出身者か。
アメリカ的経営の限界というか、失敗ではないのか。
以下、新聞から抜粋。

米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)のアカーソン最高経営責任者(CEO)は開かれた株主総会で、「昨年の米国のリコール(回収・無償修理)台数のうち、 日系メーカー2社だけで半数近くを占める」と指摘した。
その上で、「GMは全体の 3%未満だった」と強調し、高品質をアピールした。
品質への取り組みについての 株主からの質問に答えた。 

▲補足、感想など
どのあたりから。
数年前かなぁ。
事務所に確か三菱電機?から電話がかかってきた。
以前、なにか小さな電気機器を買ったことがあって、その時、ハガキで連絡したものだろう。
電話の内容は、その電気機器の部品に問題があることが分かって、部品を交換しますが—ということらしい。
もう、昔のことで、その機器がどこにあるのかさえ分からなくなっていたので、結構です—と断った。
でも。
さすがに三菱電機—だなぁ、と思った。
話がどこかにいった。
リコールとは、上の話と同じで、なにか問題があることが分かったから、回収して交換します—ということだ。自社の製品に「責任」を持ち続けようという「姿勢の表れ」だ。
対して、gmのリコールが少ない—とはどういうことなのか。
要するに、なにかクレームがあっても「我社の責任ではない」とすっとぼけるということであろう。
外国人の掲示板に日本車の品質についての書き込みがあった。ご紹介したい。
--ここから—
日本車の秘密は、製品へのリスペクトだろ。
 アメリカの自動車工場労働者はストライキで混乱を起こしとき、ストライキを止めると途端に高給を貰い始める。
 日本の自動車工場労働者がストライキをするときは、その混乱が収まるまで彼らの給料はそのままだ。
 日本人たちは誇りを持ってる。
 彼らは自分達が世に送り出した製品をとても気にしてるんだよ。
 アメリカ人たちは、長い間高い給料を貰い続けてきただけ。
 俺の家族達が乗っていた車はそのどれもが日本製ではなく、7年のうちに全て壊れてしまった。
 だが、俺の乗ってるシビックはもう20年も使ってるんだ。
 オゥ神よ!
 そして今でも好調に走ってくれるよ。
 危険じゃないかって? 全然そんなことないさ!
 この車を買った時は、日本車を買うなんてクレイジーだと言われたな。
 でも、今いったい誰が政府ローンを必要としていて誰が必要としてないかを見てくれよ。
--ここまで--
 gmの現社長のコメントを聞いていると、あれほどの危機的状況をくぐりぬけても、少しも賢くならないことが分かる。
 日本車とアメリカ車の「品質の差」は縮まることはないな。
 今年は、日本車の売上の拡大が続くだろう。

2012年6月13日水曜日

天皇(陛下)に謝るべきだ—か。


▲日本経済に対する世界の経済人・経済学者の目が変化してきたようだ。
このところの円高に乗って、世界中でm&a を行なっている日本の企業を見ての論評のようだ。
表題のいいは、アメリカのユダヤ系の経済学者クルーグマン氏の発言なのだが--。
この人って、ユダヤ系ゆえのふんぞりかえったような尊大さでものいいするなぁ。やれやれ。
それはそれとして、近頃。
どうも、1980年代中頃の日本がバブル期に入る直前の雰囲気に似てきた感じがしないか。
 (前回のバブル発生も初めは空前の円高が導入部だった--う~ん、もう四半世紀前だが、あれはやはりアメリカを中心としたハゲタカ共に、円を買われたためだろうなぁ。なんせ、日本人も経験がないものだから、うかうか陥穽にはまったということか。
 同じ轍は踏むまいぞ。クワバラクワバラ
  ついでながら、思い出した。バブル崩壊後、日本の経済学者が、これは日本の2回目の敗戦なのだ--とか論じていたなぁ。当時、なんで敗戦なんだ?とか感じたのだが、アメリカを拠点としたヘッジファンドのし掛け?に敗れたという意味か。今頃になってやっと言葉の意味が理解できた)
 これで、お金がじゃぶじゃぶ流通しはじめたら、軽いバブルぐらい発生してしまうのではあるまいか。
そのあたりを警戒して、日銀も慎重に動いているのだろうなぁ。
以下、新聞から抜粋。

日本経済への評価が下げ止まって若干、戻したとも思わせる報道が最近、散見 される。
欧州経済がユーロ危機で沈み、あおりで米国経済は足踏みするわ、中国やイン ドなど新興国の経済は失速するわ、である。
そんな中、日本経済が復興需要も追い風に成長率を年率換算で4・7%に伸ばし、見る目が多少違ってきたものか。
極めつきは、5月下旬に英紙フィナンシャル・タイムズが掲載した、ノーベル 経済学賞受賞者で米プリンストン大教授、ポール・クルーグマン氏との会見記 事である。
氏は、日本のバブル経済の後始末について「警告例」ではなく「模範例」だっ たとし、米国のような大不況に陥らず「失われた10年」でも専ら1人当たり GDPは増えた、とその判断理由を説明、「いつもの冗談でいえば、十数年前 に日本を案じたわれら集団は東京へ行き天皇に謝るべきだ」と述べている。
6月上旬、この英紙に今度は「衰退よさらば! 日本は再び世界を飛び回っている」と題した、デービッド・ピリング同紙アジア部長のコラムが登場した。
日本企業が円高を背に海外での買収攻勢に出て、その額が中国を抑え、米国に 次いでいる状況を捉えたものである。

▲補足、感想など
十数年前に日本を案じた—てか。
日本のバブル崩壊後のアタフタした頃か。あぁ、失われた☓十年って頃ねえ。
「日本を案じた」—ではなく、「日本人をバカにした」--のいい誤りだろう。
あれは、日本人がアホだから、ああなったのだ。我々白人は優秀だから、あんなにはならない—とか言っていたではないか。
自分達が、「失われた☓☓年」の最中にいると、やっと、なかなか経済ってやつは回復しないことが身にしみて分かるのだろう。
いや、話がどこかにいった。
日本は長い時間をかけて(バブル崩壊後、もう20年を越えてしまったか)不良債権の処理を完了した。まぁ、バブルという大きな波の後始末が完了したといっていいだろう。
そして、現在、世界で唯一不良債権の処理が完了した国家なのだ。
だからこその円高であり、だからこそのm&a なのだ。
さて、記事にあるように--衰退よさらば! 日本は再び世界を飛び回っている—という入り口に今多分立っているのだろうなぁ。
そういえば、ことしの日本の経済成長率の予想は、記事にもあるように大震災の復興事業もあって4%を軽く越え、5%近くだ。今の先進国で4%を越える国がどこにあるか?
順調に日本経済が成長していくか、それともミニバブル発生か。
日本政府・日銀は、難しい舵取りを迫られているようだ。


2012年6月12日火曜日

星を掴もう、と思う。


▲大阪で、自殺できないので、死刑になりたい—という半気違いのような人間が2人を殺害するという凄惨な事件が起こった。
たまたま通りかかったばかりに殺害された方々に対し、深く哀悼の意を表したい。
新聞で、この犯人の半生を読んでいて、「星を掴もうと思う」という言葉を思い出した。まず、その言葉をご紹介したい。

--ここから--
星を掴もうと空に手を伸ばしても、恐らく掴むことはできないだろう。
しかし、高く掲げたその手は泥を掴むこともまた無いのだ。
--ここまで—


 どう解釈すればいいのかなぁ。
若い頃に、星空を見上げながら、あの星を掴みたい—と願う。たしかに儚い夢で、結局は星を掴めなかった。
しかし、上を向いて、星空に両手を差し伸ばしている限り、犯罪に手を染めるという考えも浮かんではこないのだ—ぐらいかなぁ。
以下、新聞から抜粋。

何の罪もない人々が犠牲になる通り魔事件が、また発生した。
殺人未遂容疑で現行犯逮捕された礒飛京三容疑者は「誰でもよかった。殺して死刑になりたい」などと身勝手な動機を供述した。
礒飛容疑者は覚せい剤取締法違反罪で服役していた、新潟刑務所から今年5月下旬に出所したばかり。
 知人がいる大阪市を訪れ、 「たまたまたどり着いた」という同市中央区で事件を引き起こした。
「通帳の金を20万円引き出し『もうこれしかない。生きていくにはどうしたらよいか』と包丁を買った」と話し、自殺を図ろうとしたと。
事件については「仕事も住むところもない。死ぬしかない」と出所後の生活苦を動機に挙げ、 「人を殺せば死刑になると思った」と供述。
中学で1年後輩だった会社員は「俗にいう不良。やっかいな先輩だった」と振り返る。
礒飛容疑者は中学卒業後、地元の暴走族グループに入った。
グループの後輩だった自営業の男性によると、「総長」として約30人のメンバーを従えた。
成人後は暴力団にも加入したという。
新潟青陵大教授は 「礒飛容疑者も人生に絶望し世の中を逆恨みした『ある種の自殺』と考えられる。

▲補足、感想など
ニュース映像などをみていると、気の弱そうな通常人の顔をしている。なんというか、根っからの極悪人では多分無いのだろう。
別のニュース源では、小学生の頃、母親をなくし、父親の仕事が倒産したらしい。以後、中学生の頃からは記事に書いてある通りだ。
子供の頃、両親がどうこうなんて人間は一杯いるだろう。
だから、それ以降は、冒頭でふれたように「星を掴みたい」と思うかどうか—で人生が左右されてしまうのだろうなぁ。
子供の頃、星空をみあげながら、あの星を掴みたい—と思わなかったか。
星空に向かって、両手を高く差し伸べている限り、覚せい剤なんぞと縁もあるまいに。