2018年7月2日月曜日

不合理な殺処分ゼロ。狂犬病をもつ野犬を増やすな


どこに筆者がひっかかるのかなぁ。
 おそらく、合理性<<<感情 という部分にひっかかるのだろうな。
 それは、殺処分というものは、残酷に見える。
 しかし、この社会で主たるものは、人間なのだ。
 人間が快適に暮らしていく—ということが、まず、優先すべきことであろう。

 そこに狂犬病などをもつ野犬が増えたらどうするのだ—ということであろう。
 だから。
 引き取り手のない犬とか猫などは、殺処分されて、数が減らされる。

 これをまず、「殺処分ゼロ」ありきという「きれいごと」を主張すると、その言葉にがんじがらめとなる。
 たまたま、犬とか猫などの飼い主が見つかればいい。
 しかし、需要と供給がそういつもバランスがとれる訳ではない。
 殺処分ゼロ—なる主張をすると、それこそ、膨大な数の犬猫を飼うという飼い猫飼い犬地獄へ落ち込んでしまう。

 できないことはできない—でいいじゃないか。
 引き取りてのない犬猫が増えた場合、殺処分して、数を減らし、優秀な種だけを残せ。
 「殺処分ゼロ」なる不合理な、感情を主とした「きれいごと」を言うな。主張するな。

 以下、記事から抜粋。

 日本の女性・中○○里さんは、広島県の犬猫殺処分ゼロを実現した人です。
 彼女は、捨てられ、殺処分の対象となった犬猫がいれば、残らず全て引き取りに行き、今や、犬300匹、猫1,000匹に囲まれ暮しています。
 ここは、救いの手を差し伸べるボランティア団体の手により、運営されています。
 彼女は保護した全ての犬と猫に愛情を持って接しています。

 彼女は、インタビューでこのように語っています。
 「大事にする人だけが飼ったら、殺処分なんてない。野良猫だろうと野良犬だろうと、元は人間が捨てたんです。だから、(犬や猫じゃなくて)飼い主が変わらないといけない」

▲補足、感想など

 冒頭でふれた。
 彼女の言葉は、感情>>>>合理性 と聞こえる。
 言うのはいいさ。
 でも、合理性から外れたことは長続きしない。どこかで破綻する。
 この中○さんが止めてしまえば、もう、無理な話であろう。
 つまり、持続性がないのだ。その理由は、不合理だからだ。

 解決策は、明快だ。
 数が多くなれば、優秀なものを残して、後は殺処分して数を減らせ。
 ひき取り手の数をみて、対応せよ。

 
 殺処分セロに疑問をもつ—という記事をみようか。

 --ここから--

2016/12/31()
 県が掲げている犬猫の「殺処分ゼロ」の方針に、疑問や批判の声が相次いでいる。
 県動物保護センター(平塚市)に収容された犬猫を引き取り、譲渡先を探すボランティアに負担が集中しているからだ。
 黒岩祐治知事は施策を継続する意向だが、動物を「生かす」ために解決すべき課題が山積している。
 「センターから民間にたくさんの動物が移動している。理想だけでなく、足元を見てからゼロ展開してほしい」。
 12月15日の県議会厚生常任委員会。
 口頭陳情に立ったNPO法人神奈川動物ボランティア連絡会の代表が訴えた。

 同センターは、犬は2013年度から3年連続、猫は14年度から2年連続で殺処分ゼロを達成。
 黒岩知事は「達成は快挙」と喜んだが、登録ボランティア(愛護団体や個人)頼みなのが実情だ。 15年度は、センターが収容した犬396匹と猫623匹のうち、ボランティアが犬175匹、猫は約8割に当たる495匹を引き取った。
 「もう限界」。
 猫保護団体「たんぽぽの里」(相模原市中央区)の代表(51)が漏らす。
 15年度に県センターから引き取った163匹の大半は、引き取り手の少ない病気や高齢の猫だった。
 1匹の医療費に約40万円かかった例もあり、寄付に頼る団体の運営を圧迫している。
 同年度はこのほか、センターを介さず約300匹を引き取っており、40だったシェルターの収容定数を一昨年と昨年20ずつ増やしたが、常時定数をオーバーしている。

 「どんどん譲渡を進めないといけない。でも、安易な譲渡はできない」とこの代表。
 気軽に飼い始めた飼い主が簡単に手放す-。その連鎖が、行き場のない動物を生み出しているからだ。 無計画な飼育で飼い主の手に負えないほど繁殖する「多頭飼育崩壊」も増えていると感じている。
 米国と日本で臨床経験を持ち、同市内で保護動物専門の病院開設の準備を進める獣医師(55)は「センターが『生かす』施設に転換したなら、行政の役割を再構築しなければならない」と指摘する。

 喫緊の課題として
 (1)センターの土日稼働や、獣医師の24時間対応などソフト面の充実
 (2)ボランティアの負担や飼育環境の調査
 (3)飼い主とトラブルになるリスクの高い多頭飼育崩壊への介入-などを挙げる。
 さらに、簡単に答えの出せない命を巡る問題もある。
 例えば、瀕死の動物に多額の医療費を費やすべきか、安楽死させるべきか-。

 この獣医師は「殺処分ゼロを語るならば、課題の一つ一つに真剣に目を向け、解決策を話し合わなければいけない」と強調している。

 --ここまで--

 冒頭でふれた。
 黒岩知事という人の 感情>>>>合理性 という判断の結果が、不合理な状況を生み出しているのだ。
 感情を絡めるな。
 感情を絡めれば、合理性から逸脱して、返って、自分のクビをしめる不合理な状況に陥るのだ。

 まだまだ、感情>>合理性 の奇っ怪な主張が大手をふるっているようだ。
 奄美大島の例をみよう。

 --ここから--

2017/10/28()
 環境広告会社の株式会社サステナが、奄美大島と沖縄県が検討する計画に対して、獣医師などが署名を集めていると発表しました。
 ノネコ殺処分・安楽死計画の根拠は科学的ではない。
 奄美大島と沖縄県の世界遺産登録を目指し、環境省がノネコの捕獲を検討。
 捕獲後、譲渡できずやむを得ない場合は、殺処分する可能性について、疑問が投げかけられています。
 ノネコとは、イエネコが野生化した個体群で、通常は野良猫と同意で使われています。

2週間で4万人が署名
 奄美大島とその周辺は、『アマミノクロウサギ』や『ヤンバルクイナ』といった希少種が生息する、世界自然遺産の候補地です。
 環境省は、人間に捨てられた猫がアマミノクロウサギを捕食するとして、ノネコの捕獲を検討。
 捕獲後に譲渡先を探すものの、見つからない場合は安楽死させる可能性を示唆しました。
 しかし、そこに犬猫の殺処分ゼロを目指す『NPO法人ゴールゼロ』や獣医師たちが異を唱えているのです。
 奄美大島のノネコの推定生息数は600から1,200程度とされる。似たような問題を抱える東京都の小笠原諸島では、捕獲後の猫は愛猫家に譲渡されているが、奄美大島のノネコは数が多すぎ、引き取り手が見つからない個体が出る可能性があることから、現在、安楽死も検討の対象にのぼっている。

 --ここまで--

 じゃ、増えた猫をどうするのだ? という問いに回答もできまい。
 感情を優先すれば、合理性を失ってしまうといういい例だ。