▲子供が犯罪を犯し、社会的に白眼視されて、ひっそり暮らしている人がいる。
筆者でも、親族が犯罪を犯して、社会的に圧迫されればこういう生き方になるだろうなぁと思った。
まず、記事から。
児童虐待など「親の資格」を問われるような事件が頻発する一方で、子供の罪に向き合い、極限の生活をしている親がいる。
10年前に秋葉原通り魔事件を起こした○藤○○死刑囚(35才)の父親(60才)である。
青森県青森市の住宅街の中で、事件発生以来引っ越すこともなく暮らしている加藤死刑囚の父。
「近所づきあいが一切なく、話すこともない」
「夜でも電気すらつけていない。本当に生きているのかと思うこともある」
「ろうそくを灯して生活しているらしい」
近隣住人がこう口を揃えるように、他者とかかわらずに生きることを選んだ父親は、地域内ではいまだ“異質の存在”として浮いていた。
「でも、そうやって社会から離れつつ、町内会費だけはちゃんと納めてくれるんです。せめてもの償いなのでしょうか…」(近隣住人)
加藤死刑囚の弟は2014年に自殺し、母親は事件後に入院した。
事件を境に、文字通り崩壊した家族の人生。仕事から帰宅した父親に話を聞いた。
──事件から10年という節目を迎えました。
「とくにお話しすることはありません。誰にも、なにも、話さないように暮らしていますので」
──どのような思いで事件当日を迎えましたか?
「いや、なにも…」
──昨今、同じような連続殺傷事件も起きています。
「…」
うつむきながら沈黙する父親だが、次の質問を向けると、応対が変わった。
──10年経って、今でも事件を思い出すことはありますか?
「…10年って、みなさんはそうやって節目、節目、と言いたがりますよね。でもね、私にとって10年経った、などという数字はなんの意味もないんです。私だけでなく、被害者のかたがたも含めて」
──今年はとくにそういった報道が多かったですが?
「いえ、新聞やテレビなどの報道は、一切なにも見ないようにしています」
──息子さんとはお会いしていないのですか?
「会っていないです」
──それはなぜ?
「…」
──弁護団とも会っていないのですか?
「はい、会っていません」
そう話すと、頭を下げて自宅に戻っていった。
呪いたくなるほど重い運命を背負いながら、それでも生きる親の姿がそこにあった。
▲補足、感想など
なにか、この記事の文章、ちょいと嫌らしい文だな。
呪いたくなるほど重い運命—なんて、余計なお世話であろう。
この父親、10年前くらいにテレビで見たな。
記者との受け答えから、社会的に白眼視されても、父親本人は、十分な常識・良識をもって暮らしていることが分かる。
ろうそくを灯しながら---というのは、ちょいとリスクが高く危険であろう。
むしろ、led
の小さな電灯で本が読める程度の明るさにすればいいことだと思える。
奥さんも生きていることだし、放ってもおけまい。トコトン、生きてやろう—と決心したものだろう。
どれだけ白眼視されようとも。
筆者でも、仮に同じ境遇に陥った場合には、そう決心する。
死ねない限り、トコトン生き続ける。自殺なんて、絶対に考えない。その部分に年齢というものを感じるし、人間としてもつ常識の確かさを感じる。