▲記事を読んでいて、そりゃそうだけどと思った。でも。
核心はそんなことじゃあるまい。
核心は、「日本語で大学院レベルまで勉強できる」ということなのだ。
日本語が、それだけ「トップ オブ 言語」だということだ。
中国人は、不完全言語であるあの漢文という言語でやっているだろう。
漢文では、高校・大学のあたりから英語のサポートがどうしても必要となるのだろう。
でも。
第二言語というものでは、やはり、本当に「理解した」「わかった」ということにならないのだ。多分。<筆者は、英文で読んでいて、分かったという感じにならない。グーグル翻訳してまぁ、なんとかという感じだもの>
つまり。
第一言語で、大学院レベルまで勉強できる国家(分かったという感じとなれる)と、英語という第二言語の補佐を必要とする国家の「使用している言語のもつ能力の差」と考える方が、核心に近いではないのかな。
以下、中国人の記事から抜粋。
中国メディア・東方網は12日、「どうして日本にはこんなに多くのトップ人材がいるのか」とする記事を掲載した。
記事は、日本が短い期間で世界の超大国に慣れたのは、現地で生み出されてきた人材と大きな関係があると紹介。
その例が、日本で近年ほぼ毎年のようにノーベル賞受賞者が輩出されていることであるとしたうえで、日本に優れた人材が数多く存在する理由について「彼らの教育が素晴らしいからである」と伝えた。
そして、「素晴らしい教育」の一例として、日本の小中学校で毎日行われている児童や生徒による清掃を挙げた。中国では清掃員がやってしまう校内の掃除を自分たちがやることで、チームで協力する力を身に着けると同時に、掃除をすることの大切さ、大変さを認知することができるとしている。
また、日本の「食育」も特筆すべき教育であると指摘。学校では子どもたちが自ら野菜を育て、収穫したものを給食の食材の一部として使うといった取り組みが行われているほか、自分たちで料理を作る活動もあると紹介した。
記事は、このほかにも様々な日本ならではの教育の要素が存在し、これらによって日本の幼児、児童教育は世界でも1、2を争う質の高いものになっており、そこから優れた人材が育っていくのだと伝えた。
▲補足、感想など
このブログで何度もふれた。
日本語は、世界でも「トップ オブ 言語」なのだ。
その世界最強言語を使用していることで、トップ人材を輩出しつづけることができるのだ。
世界最強の核心部分は、もちろん、「漢字」だ。
日本人は、「かな」という表音文字を補助的に利用することで「漢字」というものが本来的にもつポテンシャルを最大限、引き出した民族だ。
対して、中国人は、漢字というものをそのまま、漢文という形で利用することで、「漢字」というものが本来的にもつ「不完全さ」に押し潰された民族と言っていいだろう。
このあたり、魯迅もふれていたろう。
--ここから--
魯迅は、中国の近代文学の元祖であり、同時に国民精神の改造を生涯の課題とした作家である。
漢字(当時の漢字は主に康熙字典体である)に対して、「漢字が滅びなければ、中国が必ず滅びる」と断言し、以下のように述べている。
この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、我々の最大多数の人々は、すでに幾千年も文盲として殉難し、中国もこんなザマとなって、ほかの国ではすでに人工雨さえ作っているという時代に、我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだり、神迎えをしたりしている。もし我々がまだ生きていくつもりならば、私は、漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う。
(松枝茂夫訳『魯迅全集』(1956年)岩波書店刊に所収されている)
2008/08/16(土)
1
>>55
つうか今の中国の書き言葉は魯迅の言文一致運動以前の漢文とは全く別物。
今の中国語をどれだけ勉強しても中国人は昔の漢文は全然読めません。
今の中国の書き言葉は魯迅が日本留学の際に日本語の言文一致体に衝撃を受けて日本語の語彙と文法を使って新しく作った文体なんですよ。
>>439
科挙を受けるために勉強してた魯迅は、四書五経を意味もわからずラテン語のように丸暗記してた。
日本に留学して、日本語と漢文の読み下しをマスターしてやっと意味を理解した。
日本人は意味を理解してマスターしてたけど、シナは違うw
2012/04/26(木)
日本語の達人の魯迅(ろじん)が現れて、一九一八年、人肉食をテーマとした小説『狂人日記』を発表し、これがもとになって、日本文を一語一語翻訳した中国文が爆発的に流行することになった。これが、すなわち「中国語」の誕生であった。
37:日本に留学して日露戦争の映像をみて、その中で中国人スパイの処刑のシーンがあり、
映ってる周りの中国人連中を見て、 俺は病気を治すために医者を目指したが、
本当に直すべきのは中国人の精神構造だ。
と作家を目指したのって、魯迅でいいんだっけ?
41:>>37
うん。
--ここまで--
日本語の「かな」については、先の大戦の直後、毛沢東が中国語に日本語の「かな」を導入しようと主張したという噂がある。
しかし、日本留学組の毛沢東の幹部達が、総じて反対したという。
どうも、その理由は、かなを導入することで、中国人民が「賢く」なることを恐れたためらしい。
中国という国家の悪弊で、指導者は、国民が賢くなることを恐れて、歴代王朝は、「愚民化政策」をとりつづけてきたのだ。
結果が、20世紀の半ばで中国人の識字率が5%という状態だったのだ。
結局。
上の記事など、そもそも、本当かいな---と感じるなぁ。
今の共産党幹部だって、国民があんまり賢くなることを望んでいる訳ではあるまい。
国民が賢くなる → 自分達の地位が脅かされる と同意だからだ。
こういう矛盾をみていると、今の共産党独裁というものは、長続きはしないな、と感じる。
アメリカ・トランプ大統領のし掛けた「第二の阿片戦争」は、上のような矛盾点を鋭く突いたものだろうな。
行くところまで行ってしまう可能性が高いな。