▲どこに行き違いがあるのかなぁ。
日本では、狭いある領域の仕事だけをさせるということはない。
筆者は一応、技術職ではあるが、最初の仕事は、「人員の点呼」だった。
そりゃ、学校で学んだこととなんの関係もないじゃないか—といえばそのとおり。
昔、JRが国鉄といっていた時代、大卒でも、切符切りから始めるというのが普通だった。
つまり。
仕事って、周辺のことまで分かっていなくて出来るのか?
例えば品質管理という領域でも、その周辺の領域まで目を配ることができて初めて可能となるものだろう。
それが、日本の仕事のやり方なのだ。
そのやり方は、外国人にはどうも理解できないようだ。
新聞から抜粋。
2020年01月19日1
ベトナム人「高度外国人材とか嘘。品質管理で入社したのに実際は牛舎の清掃。私は大卒エリートです」
“高度外国人材”として働けない
日本で働く外国人が増え続けています。
その数は、おととし(2018年)の数字でおよそ150万人。
「留学生のアルバイトなど」、「技能実習」についで、いま急増しているのが「高度外国人材」と呼ばれる人たちです。
およそ28万人と、この5年で倍増。
特に増えているのが、「技術・人文知識・国際業務」という在留資格で、エンジニアや通訳、デザイナーなど、高度な技能が必要な仕事にあたっています。
雇う側の日本の企業は、日本人と同等の給料を支払うことが求められます。
「技能実習」と違い、長い年数の雇用が可能なことが特徴です。
こうした「高度人材」は、日本に欠かせない存在になっている一方で、「高度」ではない仕事に従事させられていたり、仕事に定着しなかったり、といったケースも出始めています。
略
ベトナム人の男性
「飼料の品質管理の仕事だと言われました。面白そうな仕事なので日本へ行こうと思いました。」
しかし、実際に任されたのは牛舎の片付けや餌やりなどでした。
専門知識を活かした仕事をさせてほしいと訴えましたが、聞き入れられず、1年あまりで退職しました。
ベトナム人の男性
「技術は学べませんでした。
日本に何年いられるかわかりませんし、希望の仕事ができるまで何年もかかるのは無駄だと思いました。」
ベトナム人労働者の就職を支援しているこの会社には、同様の訴えが、全国からSNSなどを通じて複数寄せられています。
「建築の設計者なのに現場で単純な土木作業をしている。」
「自動車整備の技術があるのに、倉庫の整理ばかりだった。」
「申請された仕事と実際にやっている仕事が違う。」
「私たちはとても不安です。」
本来、高度人材に、専門分野以外の仕事をさせることは法律でできません。制度を管理している出入国在留管理庁も、こうした事態を問題視しています。
▲補足、感想など
だから。
仕事って、そんな狭い領域だけをみていてはできない—ということなのだ。
筆者は、日本のやり方がそう間違っているとは思えない。
なんでもできるというのが「仕事」だ。
日本の流儀とでもいうものをみよう。
-ここから-
■ どんなに小さな仕事にもプライドを持って取り組む。
そういう日本人の姿勢がうかがい知れてとても良かった。
ベルギー
ここで想起されるのは、「オーバーエデュケーション」の問題だ。日本は、「今の仕事に求められる学歴よりも、自分の学歴は高い」
と考える労働者の割合が世界で最も高い(「日本人、学歴高すぎ? 仕事上の必要以上に『ある』3割」朝日新聞、2013年10月24日)。
今や同世代の半分が大学に進学するが、大卒学歴にふさわしい仕事(専門技術職など)は社会にそれほど多くない。
各国の高等教育機関(大学・短大・高専)の修了者と、管理職・専門技術職の数を比較すると、前者が後者から溢れているのは
日本と韓国くらいだ<図2>。
声高に言われることはないが、日本では学歴と職業のミスマッチが起きている。高等教育にはカネがかかるし、
その上、社会的に人材が不足しているわけでもないのに、それをむやみに拡大しようとするなら批判を免れない。
2016年10月05日
移民は働かないよ
日本は仕事に生き甲斐を持つ人達の人柱で出来たインフラで成り立っている国だからな。
ノーベル賞受賞者も余程のオタクじゃなきゃ出ない程なのは青色発光ダイオードでも解る
・日本にいる間に不思議に思ったのは、みんな自分の仕事にプライドを持っているってことだった。
それもどんな仕事にでも。
ここフィンランドでは日本のように最低な仕事にでも良い給料を与えるけれど、人々は良い仕事だとは思っていない。
むしろ恥じている。
お金の問題じゃなく文化でもあるかなと思う。
どんな仕事でも尊敬されているということがね。
-ここまで-
日本には、日本なりの「働く流儀」があるとしかいいようがない。
日本流の流儀に合わないということなら、致し方あるまいな。