▲まともに生きる—とか韓国人から聞くのは始めてだな。
この世界の政治・経済というものは、合理性の下でかろうじて成長・発展するものだ。
だからこそ。
合理性>>>>>感情という言葉を使い続けて、他者・他国からの信用・信頼を勝ち得ていかなければならないのだ。
合理性の高い言葉には、高い説得力と高い信頼性が付与されるのだ。
合理性の低い言葉では、他者から信用を勝ち得るだけの説得力・信頼性が付与されない。
まず、表題の記事をみてみよう。
まともに生きるために=韓国
2010年10月30日、米ワシントンで「まともな精神回復のための集会」が開かれた。
常識を失っていく米国政治の左右極端主義に危機感を抱いた市民が、まともな状態を取り戻そうとして集まったのだ。集会に参加した群衆は20万人以上だった。人々は「誰にでもヒトラーと呼ぶのをやめよう」「穏健派に一票」「国会は仕事をすべき」などと書かれたカードを持っていた。
米国の政治状況を風刺するコメディ公演が開かれ、まともな有名人にメダルを贈る授賞式もあった。
心の隅では我々も光化門(クァンファムン)の前でこうした集会を開こうと叫びたい衝動に駆られる。オールドメディアであれニューメディアであれ、まともでない人たちが多く見られ、まともな人たちがまだ残っていることをそのようにしてでも実際にこの目で確認したい。
まともな人たちが集まり「私たちは確かにまともだ」とお互い慰め合い、常識を失わないでおこうと誓いたい。こういうものがなければまともな状態を維持するのが難しい世の中になりそうだからだ。
一方では、そのような集会を開いて何の意味があるのかと首を振る。「まともな精神回復のための集会」が開かれてから6年後、米国ではトランプ大統領が当選した。
米国政治はまともでない方向に向かった。政治リーダーシップは蒸発し、左派ポピュリストと右派ポピュリストが相手をナチスだと非難し、政局は極度に不安定になり、常に大統領弾劾の話が出て、世論調査がよく間違う、我々も慣れているその方向に。
最初からまともな精神と集会という2つの言葉は似合わない。
ユーチューブで2010年当時の集会映像を見ても、何か熱気が足りない。まともな状態であれば落ち着くため当然のことだ。
ゲッベルスの言葉のように、大衆を熱狂させる力は怒りと憎悪から出てくる。まともな状態は力がなく、大衆の怒りは実体がある。
グローバル化と技術の発展で先進国では中産層の良い職場が減っていく。
大人は崖っぷちに追い込まれた心情であり、職場に触れる機会さえ遮断された青年世代は自分の人生が最初からつまずいたと感じる。
ここに左右双方で怒りと憎悪を増幅する煽動家が幅を利かせる。
過去10年間、インターネットとソーシャルメディアは現実に影響を及ぼすラインを越え、本格的に現実を再構成した。
その技術の発明家は参加者が増えるほど民主主義もジャーナリズムも正比例して発展すると純粋に信じた。そのような無責任なアマチュア政治と類似メディアが破壊的な影響力を得た。
もちろん結果はほとんど良くない。彼らが主張する世の中は勝手に再構成したバーチャルリアリティであり、診断も対策も現実に合わない。ところがなぜか彼らの失敗は経験と反省ではなく、とんでもない陰謀説につながるようだ。
こうした退行は暴力的な破局を迎えずに自ずと立ち止まることができるのだろうか。
不吉な展望に巻き込まれる前に、まずは自分からまともな状態を維持する方法を考えなければいけない。
もしかすると我々はまともな状態の拡散ではなく、その生存を心配しなければならない段階にすでに入り込んでいるのかもしれない。
この数年間、周囲にまともな状態を失った知人を数多く見てきた。チョ・グク前法務長官事態では人々が次々と巻き込まれた。
私はまず、まともでない人たちの中にいることを避けようとする。同調心理は怪物のように理性をのみ込む。そばに座った人たちが口をそろえて誤答をいえば、容易な問題も解決できない。
我々はいとも簡単にまともな状態を失う。いくつかの心理学実験が証明した厳然たる事実だ。
したがって同窓会で、ネット上で、まともでない人たちが占領したと感じれば逃げなければいけない。
まともでない人々とのリアルタイム論争も避ける。まともなでない人たちは不利になればリングにハンマーを持ち込んでも問題ないと考える。
論争には自信があると言っておきながら、ハンマーで一度殴られるとまともな状態を失う人も多数見てきた。そのような人たちの多くはそのまま負けるわけにはいかないとし、自分のハンマーに手を伸ばす。
このような狂気はインフルエンザのようだ。A型ウイルスを退けてB型にかかることもある。最初から感染者の影響が及ばないほどの距離を維持するのがよい。
幸い、我々は重症感染者を簡単に知ることができる。
危険な宗教を見つけるのと基本的に同じだ。
彼らは無誤謬を確信し、選民思想と被害意識に同時に陥り、虚しいスローガンを繰り返す。
知識情報時代に実にアイロニーな疫病だ。
チャン・カンミョン/小説家
▲補足、感想など
なんのこっちゃいという文章だな。
韓国の教育って、民族の最優秀頭脳にその価値を与えることができないのだな。
500年の李氏朝鮮という盗賊社会の歴史に圧し潰された「歴史からの復讐」かもしれないな。
李氏朝鮮という盗賊社会の歴史をみよう。
-ここから-
反日をするにしても、なぜ嘘で反日するのか。》←半島が何百年もの間《貧しい盗賊社会》だったからです。
《上手に盗みをすることが自慢になるのは理解できるが、その場合でも基準が異常だということを知っておく必要がある。》←基準が異常だと知る事すら理解出来ない人間を作り上げるほど、半島は《貧しい盗賊社会》の歴史を歩んで来たからです。
盗賊が支配した国だったからです。両班達が略奪蹂躙を繰り返す非生産的な社会の中で、人心は荒れに荒れ、甲乙・ウリナムと優秀争いに歯止めはかからず、蔑む事は生き抜く為の常識となり、罵倒・誣告は正義となる。
救いの無い八方塞がりの人災地獄。後に残るは恨・恨・恨の怨念ばかり…
現在の北朝鮮を見れば半島がどんな歴史を歩んで来たか良く分かります。盗賊の治める《貧しい盗賊社会》の国です。上手に盗みをすることが自慢の、基準が異常な国です。
韓国も同じなんですよね。なのに西側にさせられたのが悲劇だったのです。背伸びさせられ勘違いして見よう見まねで化けてはみたけど、異常な基準は直るどころか悪化するだけ。
日本には日本の御先祖が歩んで来た歴史があるように、韓国北朝鮮の半島には半島の御先祖が歩んで来た歴史があるのです。
人は突然木の股から産まれる訳ではありません。御先祖が綿々と歩んで来た歴史と、そこで育まれた精神が、民族性となって現在を生きる人々に引き継がれていると思います。
彼らは恐ろしく自滅的な価値観の民族だと思います。だからこそ恨を嘆くか、責任転嫁して依存するか、罵倒するしか出来なくなっているのでしょう。
でも依存しても寄生や擬態しか出来ず、終いには宿主を殺す道しか選べない…
彼らの御先祖が歩んだ貧しい盗賊社会の業です。
2013/08/08(木)
イザベラ・バード
首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい、二階建ての家は建てられず
したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない
おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の
汚物を受ける穴か溝で狭められている
酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと
疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり日向でまばたきしている
2009/01/13(火)
文盲率が9割だったのよ。
李氏朝鮮 教育制度を整えると文盲率が下がる。
ハングル普及と言うよりも、文盲率が下がった。
日本はハングルを弾圧はしなかったし、WW2直前まではむしろ積極的に推奨していた。
ハングル自体は特権階級から卑しめられていたが、一応使われてはいたのよ、文学作品とかある。
でもね文盲率が9割じゃあしょうがない。
2011/02/26(土)
李氏朝鮮時代は働かずに朝鮮土人を牛馬のように搾取してた両班って連中が
牛耳ってた 支配階級は働かないことが美徳とされ働く奴は人の上に立つ能力の無い愚民のすることだという儒教思想だ
この李氏朝鮮支配階層はいわゆるゴロツキで宗主国チャンコロのいわば徴税官みたいなもんだった
ゴロツキに支配搾取されてた土人の居住地域という程度で正式な国家形態を備えていなかった
そんなところに帝国主義の露助が南下してくる危機が迫った
現地の搾取されてた朝鮮土人どもは
搾取をゴロツキに容認している宗主国チャンコロに救いを求めるわけもなく
ロ助に侵略されて死ぬまで奴隷とされることも避けたいので日本に反政府活動家が
たくさん逃げてきて当時の大日本帝国にアジアの同胞の惨状を救いたまえと訴えた
大日本帝国としてもアジアの同胞が豚のように扱われているのは許せないアジアの同胞を
西欧列強から救うのだと建前上いいながら露助の半島進出を食い止めるために日韓併合を行なった
しかし日本には半島を侵略して西欧式の奴隷化搾取式の植民地化という概念は希薄で
露助南下の防波堤として土人どもにも日本国民並みの教育と訓練と自立を与え、満州国が日本の防波堤として
機能するよう厳しく教練した
おかげでゴキブリ並みの連中がヒトモドキとなれたのである
2018年08月14日
大政奉還の1週間前,1867年第2回パリ万博に幕府と薩摩,佐賀藩が出品し,日本が日本として世界にお披露目された.これ以来,パリでは爆発的な日本文化ブームが起きた.
一方,大英帝国の旅行家,探検家,紀行作家,写真家であるイザベラ・バードが1894年1月から1897年3月にかけ4度にわたり李氏朝鮮末期を訪れ,"糞尿であふれ,世界一臭い野蛮な国.何の文化もない"と書いている.
他にもさらに,李朝末期を訪れた欧米のジャーナリストたちが,当時の残忍残酷極まりない処刑を目にして「悲劇の朝鮮」(グレブスト,スウェーデン人)「朝鮮滅亡」(ハルバート,アメリカ人)など出版した.内容は:李氏朝鮮で処刑は三つの等級に分けられ,一等級では墓に葬られた死体を掘り起こして胴体腕脚など六部分に切り取って晒しものにする刑罰で,二等級は八つ裂きの刑,三等級は生きたまま皮をむいて処刑
2012/12/06(木)
朝鮮人を忌み嫌うのは、外国人のみならず朝鮮人自身!
だから国を捨て、名を捨て、他国に事大し、他国人に擬態する。
要は、他に依存し寄生する民族。
その忌まわしい民族性は、北朝鮮のユスリ根性、南朝鮮のタカリ根性に、顕著に現れている。
在日、僑胞、韓国人海外売春婦なども他国寄生の好例。
そして、世界民族史上類例の無い寄生が、千年を超える支那の属国史である。
意図も簡単に民族名を捨て去るのは、朝鮮人の民族性に由来するものであり、現在の韓国朝鮮人の三文字名も、支那の属国時代の残滓である。
創始改名は朝鮮人の十八番なのだ(笑)。
-ここまで-
李氏朝鮮という盗賊社会の歴史に圧し潰された民族であるが故の韓国人の行状というものだろ。
-ここから-
【中央日報】「3P」の恐怖と韓国経済危機警報
12019年の韓国経済は2.0%成長にとどまった。2020年の見通しも明るくはない。昨年は10年前のグローバル金融危機以降で最も振るわない年だったが、今年も本格的な回復は期待しにくい。
民間雇用の沈滞、租税などを差し引いた可処分所得の停滞、増えた家計の負債利子などで民間の消費余力が弱まっている。延期されてきた設備投資の一部が実行されても、企業の心理が冷え込んでいるうえ建設投資の調整局面が続いているため、投資活力の復元には限界があると予想される。昨年2けた減少した輸出は、天水田のように半導体の需要と原油価格の回復に期待をかけているのが実情だ。
今年の韓国経済は昨年のように拡張財政、正確に言うと未来世代の負担を操り上げて使うことに依存するとみられる。昨年も9月まで政府の成長寄与度が民間の3倍にのぼった。予算増加率が経常成長率の倍以上となり、早期執行の加速化に続く補正予算の定例化で、政府が掲げた所得主導成長は財政主導成長に変質した。
もちろん対外依存度が高い韓国経済の風向きは世界経済の流れに左右される。ところがこれは景気要因にすぎない。景気の騰落は循環し、遠からず底点が訪れる。韓国経済が危険なのは構造的な要因のためだ。生産可能人口の減少、人的力量の停滞、製造業の比較優位の低下、サービス産業の遅れ、労働市場の二重構造、緩い社会紀綱などが問題の核心だ。
これへの体系的な対応、すなわち構造改革を着実に推進すれば、潜在成長率を超える成果を出すことができる。フランスのマクロン大統領が退任後の特権まで放棄して取り組む年金改革がそのモデルだ。
残念ながら韓国経済の構造改革は遅々として進まない。最大の障害は逆説的に構造改革を率いるべき為政者だ。既得権が再編される構造改革には反発を伴うため、目の前の選挙に執着した為政者が背を向ける。初歩段階のライドシェアサービスさえも座礁したのが一つの例だ。このように圧縮成長期に形成された古い制度と規範の見直しが遅滞しているため、新産業の胎動が難しい。
構造改革どころか票ばかりを意識した「構造改悪」も少なくない。公共部門の雇用肥大化、非正規職の正規職転換、大型社会間接資本(SOC)事業予備妥当性調査の免除がそのような例だ。百年大計の教育政策が「チョ・グク一家」の突発スキャンダルをめぐる世論なだめに振り回されたりもした。
総論はもっともらしいが、現実とかけ離れていたり各論が貧弱な政策も多い。韓国特有の道徳志向性や衛正斥邪などの教条主義がもたらした理想と現実の乖離のためだ。急激な最低賃金引き上げ、硬直的な週52時間勤務制、大学講師の処遇改善、分譲価格上限制など反面教師だ。国政術(Statecraft)まで深く考慮してこそ構造改革を軟着陸させることができる。
米エール大のローチ教授は世界経済が2020年に危機を迎えるかもしれないと警告した。飛行を担保する速度にも至らない実物経済、長期間にわたる緩和的通貨政策、資産価格バブルなどで体力が衰弱したからだ。危機を触発するものとして3P、すなわち自国保護主義(Protectionism)、人気迎合主義(Populism)と政治障害(Political Dysfunction)を挙げた。
3Pの恐怖は韓国の現実にもあてはまる言葉だ。強まるポピュリズムと小集団利己主義、党利党略の政争による経済汚染と歪曲を減らさなければいけない。破産したが基礎体力はあった1997年の通貨危機とは違い、潜在力まで失って回復が難しい「ファンダメンタル危機」が近づくかもしれない。
中央日報/中央日報日本語版 2020.01.27
-ここまで-
この世界というものは、合理性の高い方向へ高い方へと収斂しつつある。
なぜなら、ネットによって、あらゆる情報が流れるからだ。
結局、合理性の高い方向へ「人々の支持があつまる」ためだ。
韓国人という民族は、李氏朝鮮という盗賊社会の歴史に圧し潰された民族ゆえに、合理性<<<<感情という言葉を使う。
しかしながら。
この合理性<<<<感情 という言葉は、世界のスタンダードではなく、世界の通常人からは、意味不明な異星人語としか聞こえない。
異星人語をいくらしゃべったところで、世界の通常人には意味不明で、意思疎通ができないのだ。
意思疎通ができないのだから、当然、信用・信頼も生まれてはこない。
経済の根底にあるものは、「信用」だ。
上の韓国経済の不調も、韓国人が合理性<<<<感情 という異星人語を使うことによって、他者・他国からの信用を勝ち得ることができないためであろう。
意思疎通ができないのだから、当然といえば当然。
因果応報、自業自得といってそう間違いではあるまい。
表題の「まともに生きる」という表現より、「合理性の高い言葉を使ってしゃべる」という方が余程、意味があるのではないのか。
合理性の高い言葉をつかってこそ、やっと他者・他国の通常人と意思疎通ができるのだから。