▲いや、16年間書いたからって、文がうまくなるってものじゃないし、つっこみがそう深くなるってものでもない。
このブログを書く理由は、いつもふれているように、「目の前を流れる現象の核心を押さえておくことは、暮らしていく上でのリスクを減らすことになる」ということだ。
年齢を加える度に、安全側を選ぶようになる。
それでいいと思うし、暮らしていく上での「智慧」だとも思う。
書き始めた頃にくらべ、文章の量が増えたのは、データベースソフト(筆者はファイルメーカーというソフトを使っている)のせいだ。
データベースソフトのおかげで、多少は「深く」文章が書けるようになったなぁ、と感じる。
最近、頓(とみ)に思うことは、この世界というものが「合理性のより高い世界」へ収斂しつつあるということだ。
原因は、ネットの普及だ。
各自がてんでバラバラにものを言うのだが、「比較して合理性の高いものいいが多数によって支持される」ということだ。
逆にいえば、プロパガンダのできない、効果のない時代へ突入したとも言える。
中国とか韓国、日本にいるevenki族工作員などの「脅迫、ハッタリ、コケオドシ、ウソ、デタラメ、デッチアゲ」が通用しない時代に突入したといってもいい。
科学性・合理性が、もっとも価値のある—そういう世界へ突入している。
6年前に、このブログで「深く生きたい」と書いた。
今でも、その思いに変りはない。