▲まぁ、世界では「頭がいい」とか「賢い」というのは、それなりのアドバンテージであるし、なにかをなしとげるための基礎体力であろう。
ところが、世界というものは広いもので、「頭がいい」とか「賢い」ということになんの価値もない国・民族というものが存在する。それが韓国という国家だ。
なぜって。
一握りの「賢こ」がいたって、周囲のほとんどが「キチガイ」なのだ。
大多数のキチガイにとって、一握りの賢こは、「アイツ、けったいな奴だ」ということになるのだ。
別の言葉でいえば、合理性、科学性、知的正直なんて、なんの価値もない、アホ・バカのいうことなのだ。
こういう国家で「一握りの賢こ」が息がしていけるか?暮らしていけるか?
もう、こんな国から逃げ出したいという「賢こ」もいるようだ。
--ここから--
2015年10月4日、韓国・ニュース1は、就職難や過酷な競争社会に疲れ韓国を離れようとする若者が増えており、ソウルで開かれた海外留学・移民博覧会にそうした若者が押し寄せたと伝えた。
3日、博覧会会場には若者のほか子どもを持つ親世代が大挙押し寄せ、ベビーカーを引いて相談ブースを行き来する若い夫婦や、セミナー室に入りきれず外でメモを取る人の姿も見られた。
若者が留学や海外移民を目指すのは主に、韓国の就職難から逃れるためや、海外で語学を習得して職を得るため。また若い親たちは、子どもを厳しい競争社会で育てることを避けたいのが
一番の理由だ。
そして相談者たちに共通するのが、「韓国が嫌いだ」という思い。インタビューに答えた人の多くが、留学先や移民先で職を得て永住する計画を語った。
実際に、2013年から今年7月までの
韓国国籍の放棄者は5万2093人に上っており、年平均で1万9000人余りが祖国を捨てている状況だ。
これについて、韓国のネットユーザーからは次のようなコメントが寄せられている。
「朴槿恵(パク・クネ)大統領が治めるヘル朝鮮(地獄の韓国)には未来はない。海外に行けるなら早い方がいい。それだけが生きる道だ」
「気持ちは分かるけど、逃げ出す前に2年後の大統領選挙で投票してほしい。私たち若者が立ち上がらなければ、この国は変わらない」
「僕も韓国が嫌いだ」
「大人として申し訳ない」
「僕は47歳だけど移民準備中。20代なら時間は十分だから、よくよく準備して」
「僕の人生で最も良かった選択は、15年前に移民したことだ」
「何年か留学して帰って来ても就職できずに遊んでる人が多い。これがあきれた現実だ」
「自国民を追い出して外国人を受け入れる、こんなひどい国は他にない」
「それでも外国に行ったら韓国が一番懐かしくなると思うよ。成功して必ず帰って来てほしい」
--ここまで--
自分たちの言動のキチガイぶりで、自分自身への信用を毀損しつづけ、それで国を逃げ出すか---。
自縄自縛の世界ではある。
ちょいと話しがそれた。
まず、本題に入ろう。
インドと日本との関係をキチガイ韓国人がなんたら言っているのをみよう。
他の国の植民地の歴史を調べてみると、デジャヴのような繰り返しと向き合うことになる。
その中で、私たちの歴史を連想する部分が多い。
インドは地理的な位置や文化的背景から見て、私たちとの類似性は多くないが、奇妙なことに、英国の支配から脱して解放を迎えた日が8月15日だ。
また1947年に独立を達成した後、分断の試練を経験し、内部で戦争をしたのも似ている。
それに加えて独立を勝ち取るために絶えず抵抗していたという事実も見逃せない。
インドの建国の父と呼ばれているガンジーは、反植民抗戦の史実をことごとく吸い取る巨大な「ブラックホール」のような存在だった。
しかし、ガンジーの非暴力運動は知られているが、他の闘争方式については私たちはあまり知らない。
実際、あまりにも陸地が大きくて人口が多く、長い植民地の歴史を持つ国なので、実際には激しい武力抗争が繰り広げられていた。
1909年にロンドンで英国インド大臣の政治顧問のカズン・ワイリーが殺害された。
インドの植民地統治に大きな影響力を行使していた彼は、当時英国内のインド人留学生たちの活動を注視し、情報網を敷いていた。
殺害者はロンドン大学に留学中のマダン・ラル・ティングラ(1887-1909)だった。
ティングラはインド青年会のメンバーだったが、この団体はインドの完全な自治のための武装抗争もいとわない秘密結社組織だった。
ティングラが処刑直前に残した文は、インドはもちろん英国社会に少なからぬ衝撃と感動を与えた。
当時通産長官だったウィンストン・チャーチルは、「愛国心をこれ以上に崇高に表現することができるだろうか」と感心した。
彼の文章は、祖国への愛と、英国を憎悪する心でいっぱいだった。
「私は外国の銃剣で抑圧された国は永遠の戦争状態にあると考えている。今私たちはどのように死ぬかを学ばなければならず、これを教える唯一の道は自ら死ぬことである。私はまた同じ国に戻って生まれ、同じように神聖な死を迎えることができることを祈っている。」
ティングラ事件の三か月後、安重根の義挙が起きた。
ティングラと安重根の偉業には、いくつか似た点がある。
1909年に発生したもので、国内ではなく海外で行われたということ。
また殺害された二人は植民地政策の責任者だという事実も共通点として指摘できる。
伊藤博文は初代朝鮮統監をつとめたし、カズン・ワイリーは植民地インドを再び分裂させる「ベンガル分割」政策に深く関与していた。
ティングラが彼をターゲットにしたのもこのためだった。
ティングラと安重根の二人とも、自分たちの偉業は「テロ」ではなくて戦時に行った「軍事的行為」と主張した点も目を引く部分だ。
また筆者が最も注目した部分は、安重根の義挙が、インドの義烈闘争に影響を及ぼしたという事実である。
インドの法律家で歴史学者のサンカ・コス博士は「インド武力抗争のルネサンス」という本で「安重根の義挙に鼓舞されたヒンドゥー民族主義青年は、伊藤暗殺を徹底研究し、自分たちの行為が正当であるという絵を描いた」と書いた。
1900年代の初めから、インドではイギリス人を狙った暗殺の試みが絶えなかった。
ベンガル州だけで総督、知事、治安判事などを狙撃した事件が30回も行われるほどだった。
主に10代の少年が犯したことだった。
かれらには愛国心があるだけで、自分たちの行為を裏付ける理論的な知識は皆無だった。
違う見方をすれば、安重根はかれらの無分別な行為に対する正当性と行動の方向を提示する「家庭教師」の役割を果たしたわけだ。
興味深いのは、このような独立戦士の一人が日本にインドカレーを広めたという事実である。
ベンガル出身のビハーリー・ボース(1886〜1945)は1912年にイギリス人総督を暗殺しようとして失敗し、日本に亡命した。
彼は日本の右翼勢力の助けを借りて、東京新宿の中村屋レストランで隠居した。
本来インドの伝統的な料理であるカレーは、植民地時代にイギリスに伝わり、明治時代に西洋文物の一つとして日本で普及した。
ボースはレストランのオーナーに、英国を経由した「洋食カレー」ではなく、骨のあるチキンに香辛料を分散させた「純インドカレー」を披露した。
カレーがレストランの主メニューとして採用され、ボースは主人の娘と結婚までした。
ボース夫婦の縁から取った「愛と革命の味」レシピでよく知られているこのレストランは、100年以上経った今も営業を続けている。
帝国主義侵略と武装抗争でつづられたアジアの独立闘争史には、このような「切ない」のエピソードも隠れている。
インド武装闘争は1915年、南アフリカ共和国から帰国したガンジーが、「サティアグラハ」という非暴力運動を展開して徐々に消えた。
だからといって、彼の哲学の精神がインド人すべてを抱くことはできなかった。
ガンジーに続いて国民会議の議長をつとめたスバス・チャンドラ・ボース(1897〜1945)は、武力抗争主義者だった。
彼はインドのコルカタ大学に次席で入学し、英国ケンブリッジ大学を卒業した植民地の最高のエリートだった。
第二次世界大戦が勃発すると、彼はガンジーに武力蜂起を呼びかけたが拒否されて、むしろ植民地当局に逮捕された。
自宅軟禁中に劇的に脱出したチャンドラ・ボースは、ナチスのヒトラーを訪ねて支援を要請したが、ソ連侵攻作戦に余念がなかったヒトラーはこれを拒否した。
そんな時、「カレーの婿」のビハーリー・ボースが彼に接近し、日本と手を握ることを提案した。
当初インドは日本は関心の外だった。
大東亜共栄圏や日本軍の作戦範囲にも含まれていなかった。
しかし太平洋戦争時、英マレー半島を占領した日本軍は、捕虜にしたインド人と英国人6万5000人の処理の問題が頭痛の種だった。
チャンスを得たビハーリー・ボースは日本政府を説得し、かれらをインド軍に編入させて、そのリーダーになった。
しかし肝心のインドの兵士たちは、彼を日本の「傀儡」だと思って信頼していなかった。
困ったビハーリー・ボースと日本政府は、同じベンガル出身で有名な指導者のチャンドラ・ボースを迎え入れるに至ったものである。
日本の支援を受けたチャンドラ・ボースは、1943年にシンガポールで自由インド臨時政府を樹立した。
彼はインド人捕虜を中心に4万5000人の兵力で3個師団を創設した。
このようにして組織された「インド国民軍」は、英国に宣戦布告して、日本軍と一緒にインド本土に進撃した。
亡命した二人のボースの夢がかなえられるかと思った。
しかし「インパール作戦」で日本軍が英国にひどい敗北を喫し、インド国民軍も瓦解する状況に置かれた。
その後台湾にとどまっていたボースは、1945年8月ソ連に亡命を試みて、飛行機の爆発事故で死亡したことが知られている。
中国に対抗して「歴史連帯」で経済・安保蜜月時代を開くインドと日本
解放から70年が過ぎた今、インドでは「歴史を正す」論議が熱い。
2016年にインドのモディ首相は、「英国が戦勝国にもかかわらず、急いでインドを去ったのは、ガンジーのためではなく、(日本の支援を受けたチャンドラ・ボースの)インド国民軍のためだった」という内容の英国の機密文書を公開したのだ。
また、ネルーが独立の英雄チャンドラ・ボースを「戦犯」と指摘した記録も発見されて、インドがひっくりかえったりもした。
これまで「聖域」だと思われていたガンジーとネルーの非暴力運動に対する批判が登場し、武力抗争を擁護する声が強まっている局面である。
懸念されるのは、このような雰囲気を看破した日本政府が、インドと「歴史連帯」をぐんぐん強調している点である。
インドを訪問した安倍首相は、チャンドラ・ボースの子孫に会って、「多くの日本人がまっすぐな抗争を繰り広げたボースに深く感銘を受けた」と持ち上げた。
そして日本は、インド国民軍が日本と一緒に戦ったことを掲げて、インドとの軍事協力を強化しているのだ。
10月末、モディ首相の訪日に合わせ、日本の自衛隊がインド陸軍と共同訓練をすることにした事実も尋常ではない。
侵略戦争をまるでインド解放のための戦争であるかのように掲げる日本の行動は醜いが、こういった「歴史歪曲」が国際社会に受け入れられてしまうというのが、さらに胸に重い現実である。
来る10月26日は安重根義挙109周年になる日だ。
帝国主義侵略を審判した安重根の義挙を「一生懸命学んで」いた植民地インドが、今日本の軍国主義回帰に便乗している姿は、私たちにとっては不愉快なものである。
このように入れ替わった国際情勢の中で、私たちはどのような道を行くべきなのだろうか。
引用ソース
https://news.v.daum.net/v/20181022140005302
上の記事についての韓国人のコメント
・良い文章、ありがとうございます。日本の厚顔無恥が嘆かわしいね。
韓国はあまりにも日本に振り回されていて、利口さがない。
日本の外交術が世界に受け入れられているのがあまりにも息苦しいです。
・↑日本に長期滞在していた人ですが、韓国人は日本についてあまり知らない。
日本はどんな小さな行動でもすべて計画的です。韓国の専門センターも多いです。
韓国を専門的に分析する人も多くて、韓国のニュースは数十分ごとにアップロードされていて、北朝鮮に関する件も膨大な専門家が分析しています。
韓国語も韓国人よりも上手です。逆に韓国は、日本政府の分析センターもないのでは?
・↑インド人のボースの話は三日天下の金玉均と似ています。
愛国心を利用し、日本で徹底的にもてあそばれた知識階層で、日本の軍国主義を見抜いていませんでした。
日本は協力したのではなく、代理人が必要だっただけ。インドと日本の動きも似ていると思います。
・↑日本との戦争を待っている。ひっくり返して飲み込んでやろう。
・↑金大中=豊田大中 日本の天王(天皇)が死んだときに弔問へ行った。
・10.26はタンタン節です。
1597年10月26日、李舜臣将軍が鳴梁海戦で日本を撃破し、1909年10月26日、安重根が伊藤博文を狙撃し、1920年10月26日、金佐鎮将軍が青山里戦闘で日本を撃破し、1979年10月26日、金載圭が高木正雄(*朴正煕)を狙撃しました。
・↑すごい〜
・↑歴史への興味がすごいです。
・↑すべて日本と関連がありますね。
・↑金載圭将軍にも敬称をつけましょう。
・↑おーー、グッドである。
・↑2016年10月26日はろうそく革命開始、朴槿恵退陣デモの出発点。
・↑素晴らしい一日ですね。
・↑驚くべき事実ですね。
10.26を記念日とすることができないでしょうか?
・↑一つも例外なく日本人を倒した日である。
・しっかり見ろ、世界情勢を。これだから、なおさら韓国は北朝鮮と共に行かなくてはならないんだ。
情けない保守バカは安倍万歳しているが。舌打ち
・どんな大義名分も永遠ではないという事実である。当面の実利問題があるし、また歴史を忘却するという問題があるから。東アジアは中国と日本という膨張主義国のせいで、恒久的な平和はありえない。今の平和も力の均衡によって支えられている一時的な平和である。
中国が恐ろしい勢いで膨張しており、日本は依然として強固である。
もし韓国が過去のように国力が弱ければ、必ずこれらの国々の政治的、軍事的な属国になる。
だから韓国も膨張しなければならない。韓国が日本ほどの国力を持てば、東アジアのバランスは非常に安定して長く続くだろう。
・↑共感!!
・10.
26は金載圭義士が日本人将校の高木正雄、韓国名朴正煕を銃殺した日でもある。
韓国人はこんな時こそ日本人を警戒しなければならない。日本に旅行に行くな。日本車に乗るな。それが愛国である。貿易赤字は5000億ドル以上である。
ムンジェインはなぜ貿易赤字を減らそうと努力しないのか。反省しろ。
・↑米国のせいだ。
黒字が多いと淘汰される。中国も黒字を削減しようとしている。ムンジェインのせいにしないで。
・日本は典型的な機会主義者だね。
・東亜日報や朝鮮日報とはレベルの違う記事だね。
・事実関係を一つ明らかにします。インドは最初から日本に対する感情が悪くない。
日本が鬼畜米英を前に出して戦争をしたからです。そしてインドにとって幸いなことは、日本の領域がインドシナで終わったことです。おかげでインド人は、日本の残虐さを見なかった。
しかもインドは英国を追い出すために、日本を引き込むことまでしました。
ナンセンスで話にならない日本の美化は、そのような過去の経験があるからです。
・インドは倭寇の略奪にあわなくてはならない。そうすれば我々がなぜこんなに倭猿が嫌いなのか分かるだろう。
・10月26日は独立闘士安義士を記念するべき日。
親日の日本軍将校の朴正煕を記念する日ではない。
・時事ジャーナルの記事を覚えておきます。
・中国の牽制という共通の目標があるので…
・結局、自国の利益が優先される歴史だ。
・日本はインドを食べようという野心で助けたのだろう。もし国民軍が勝利していたら、インドをイギリスのように植民地支配していただろう。
・よく読みました。
インドと当時の国際情勢をしっかり説明しておられますね。私も問題点に共感します。
韓国も近代史をきちんと知っておく必要がありますね。そうしてこそ今何が問題なのかが分かると思います。
・必要だから手を握ったんだ。
私たちのするべきことは、こんなくだらない分析なんかではなく、豊かに生きて、統一して、国力を世界トップ5にすることだ。それだけが私たちが進むべき道である。
・日本とインドに関連する事実をはじめて知りました。ありがとうございます。
チョッパリたちのずる賢さがよく分かりました。ふふ
・国際社会は常に国益と力の論理が先だ。
なのに韓国外交は何も知らず、高尚さを国際関係で発揮して、常に相手の「善意」に期待する。
外交は必ずギブ・アンド・テイクが基本である。無料はないということだ。
外国に何かを与えてもらうには、韓国も必ず何かを与えなければならない。
メディアが報道しないが、私はずっと前から、韓国は核弾頭と中距離ミサイルを持たなければならない考えていた。それだけが日本、中国、ロシア相手に独立を守る唯一の方法だからである。
・後日の日本の第2の侵攻を防ぐのは、北朝鮮の核しかない。南北軍が日本を防ぐには、その道しかない。後日のためにも、北朝鮮の核は捨ててはならない。一度核を捨てると二度と作れなくなる。
・インドはなぜ日本の悪らつさが分からないのだろうか?敵の敵は仲間ということか…
・日本が水に沈んで難民として私たちに手を差し伸べてきても、放置しておこう。
・天は必ず倭人どもに天罰を下すだろう!
・日本の醜い行動は生まれつきのものだ。私たちは親日派を除去できないので、いまだに犬豚の国に住んでいる。自ら親日派を除去できない私たちに誰を罵る資格がある?
・安!重!根!
・米国はある瞬間に日本を殴る。それがトランプの作戦である!
・日本とインドが蜜月だから何?日本がすることは無条件に嫌い?どういう根性だ?
ムン罪人が安倍ぐらいちゃんとしろ。何もできてないくせに、他国のせいにするな。
・国際関係において、今日の利益のためには、昨日の敵とも共に進まなければならない。
過去のみにとどまっていることはできない。しかし625南侵をしてまだ赤化統一を虎視眈々と狙っている現在の主敵北朝鮮は、私たちと共に進むことはできない。北朝鮮と主体思想派にだまされてはいけない。
・インド太平洋防衛の参加は、米国と日本が先に熱心に要求してきた。しかしムンジェインが拒絶したんだけど。これで今更不愉快と言うのか?
・いつまで過去に埋没しているのか?
日本とインドがなぜこのようなことをしているのか、考えてみたらどうだ?日本とインドを合わせたよりも国防費がはるかに多い中国のことは目に見えてないのか?
▲補足、感想など
いや、どれもこれも、キチガイばかりで結構な話ではある。
そういえば、日本人が韓国へ旅行にいくとととんでもない目にあうようだ。
--ここから--
12,
2012 20:
そういえば昨日も韓国のホテルで日本人がホテルの従業員に部屋に侵入されてレイプされて金品を奪われる事件がおきたよね
一切報道されてないけど旅行会社とホテルがグルになってレイプと強盗やるからね。
韓国に遊びに行くとかマジキチwwww
--ここまで--
えっと、日本とインドとの関係か。
まず、光機関の話などから。
--ここから--
インド国民軍についてちょっとしたエピソードがあります。
光機関の工作員が敵陣へ近づくと英印軍が射撃してきたため、インド国民軍の工作員が日本人工作員の前に立ちはだかり、大声で叫びました。
「日本人を殺すな。われわれインド人の独立のために戦っているんだぞ」
いったん射撃は止みましたが、また射撃してきます。
今度は日本人工作員が立ち上げって両手を広げヒンズー語で叫びます。
「同胞を殺すな。撃つならまず俺を撃て。俺はお前たちに話しに行くところだ武器は持っていない」
そうすると今度はまたインド工作員が再び日本兵の前に両手を広げて立ちます。
この繰り返しにとうとう相手は根負けし、
英インド軍の一個大隊すべてが寝返ってしまったというものです。
2012/11/08(木)
難攻不落の英軍のトーチカ攻略したら、英国人はとっくに逃げていて
中には逃亡防止の鎖で足を繋がれたインド人しか居なかったそうだ。
そりゃ必死に抵抗するわ、降伏の白旗も出せないんだもんな。
日本兵は泣きながら生き残りのインド兵の鎖を解いたって話だ。
そんな目に合えば独立を力づけた日本を悪者には出来ないわな
2012/11/08(木)
インドはSF講和条約への参加を拒否したことにより、日本からの賠償金を放棄した
それどころか、アジア諸国を欧米から独立させるために日本だけが酷い仕打ちを受けたと
むしろ、賠償金を請求できるのは日本側であると逆賠償論を主張し展開した
SF講和条約の参加を拒否したインドと日本は、その後改めて日印平和条約を締結している
2012年11月15日
「東條元首相はインド独立軍を指揮するチャンドラ・ボースに対する支援を命じた。
これによって、イギリスの支配に最後の一撃を加えることができた。
多くの日本の青年が血を流すことによって、インドは独立した。日本よありがとう。
太陽のひかりが、この地上を照らす限り、月の光がこの大地を潤す限り、インド国民は日本国民への感謝を決して忘れない。
インド最高裁判所 グランナース・レイキ
2013/10/30(水)
昭和天皇が崩御された時に日本は三日間喪に服したが、世界でただ一国だけ日本よりも長く喪に服した国がある。それがインドなのである。
インドは「インド独立を導いてくれた日本の国家元首」の死を悼み、実に一週間も喪に服している。
かってインド独立に際してインド司法界の長老
パラディ・デサイ博士は「日本への感謝をインド国民は永久に忘れない」と述べたが、その半世紀前の約束は守られたのだ。
しかしこのインドの喪服について外務省は感謝も伝えず、産経新聞以外のマスコミもこれを報道しなかった。
そしてこの日本に親愛の情を抱いてくれている大切な友人たるインドは
日本が供出してきたODAは、実に対中ODAの五十分の一以下なのである。
しかもインドが核実験をしたという理由でその対印ODAも長く停止されていた。
ならば再三核実験を繰返している中共へのODAは何故停止されないのか。
まさにこういうことをダブルスタンダードと言う。
インドやミャンマーのような親日国に冷淡な姿勢を取る一方で、世界一の反日国にして世界六位⇒2位の経済大国に莫大な援助を与えつづける日本。
その日本からの援助がそのまま中共の対外援助に化けて親中国を量産しているのであるから、
もしギネスブックに「世界一愚かな国」という項目が有ったとしたら間違いなく一位は日本である。
ラグ・クリシュナン(インド、大統領)
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、
この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
--ここまで--
20世紀の半ばだ。
日本人も、100年先行した産業革命組の諸国のやり方に腹をたてていたのだ。
あぁ、光機関は、日本の特務機関でインド攻略を目的としていた。
昨今の日本とインドとの関係をみようか。
--ここから--
2012/09/27(木)
沖縄県・尖閣諸島をめぐって悪化する日中関係をみて、インドが日本企業に「救いの手」を
差し延べている。
インドの有力紙「タイムズ・オブ・インディア」は、2012年9月24日付の
社説で、「インドは日本からの投資を引き出すチャンスだ」と報じた。
インドは、面積で欧州連合(EU)27か国とほぼ同じ。人口12億1000万人は世界第2位。
経済力は東南アジアのアセアン諸国10か国に匹敵する、大国。在インド日本大使館によると、
日本からは2011年10月時点ですでに812社が進出している。
■「日本の貿易や投資のシェアをより拡大できるだろう」
「タイムズ・オブ・インディア」は、「中国における反日感情の再燃は一定の経済的代価を伴う」
と指摘。
インド政府が実行しつつある新たな海外直接投資策によって、「日本の貿易や投資の
シェアをより拡大できるだろう」と期待した。
そのうえで、「インド政府は日本政府に対して、中国の代替地を提供するため、あらゆる手立てを
尽くすべきだ」と提言している。
そして、「日本企業も、中国にあるような地政学的問題に束縛されずに済むだろう」とみている。
インド情勢に詳しい丸紅経済研究所産業調査チームの猪本有紀チーフ・アナリストは、
「ここ数年インドでは、グジャラート州の首相が毎年日本を訪れるなど、日本からの企業誘致の
動きを加速させてきましたから、尖閣問題による日中摩擦をみて、
そう(チャンス到来と)言いたくなる気持ちはわかりますね」
と話す。
たしかにインドは海外企業の誘致のため、工場用地などを整備し、必要な規制緩和を進めるなど、
企業が進出しやすい環境づくりに取り組んできた。
その結果、日本企業は2011年10月時点で、前年比12%増の812社が進出。5年前に比べると、
3倍近くも増えている。
その多くが機械や電気器具、自動車関連などの製造業だ。
しかし、だからといってインドが中国の「代替地」になるかといえば、猪本氏は
「そう簡単なことではない」という。
「中国に比べてインドはインフラ整備なども遅れぎみですし、まだまだ土地の取得が
むずかしかったり、法律などが労働者に手厚くなっていたりします」
スズキはインドでも最も成功した日本企業として有名だが、それをもってしても大規模な
労使トラブルに見舞われるほどなのだ。
■世界第2位の人口、国内市場はポテンシャルが高い
インドの「製造工場」としての役割をみても、丸紅経済研究所の猪本有紀氏は
「欧州やアフリカ向けの生産拠点としてはいいですが、日本や米国向けには中国や、
インドネシアやベトナムのほうが地政学的にもいいでしょう」と、中国の「代替地」となると
日本企業はインドよりも東南アジアを優先するとみている。
とはいえ、インドの国内市場の将来的なポテンシャルは大きい。
とにかく、人口の多いことが魅力。また、いまは一人あたりの国内総生産(GDP、名目)が、
中国が5414ドルなのに対してインドはまだ1388ドルしかないが、
「デリーやムンバイには中産階級層が育っており、大型のショッピングセンターや
コーヒーチェーン店などが進出しはじめています。まだまだ伸びていく余地があります」と
有望視する。
インドの国内市場を目当てに進出する日本企業が出てきても不思議ではない。
2012/11/08(木)
いやいや日中韓相互不信の中で、日本がASEAN諸国、ミャンマー、インドと手を結びつつあるのに危機感を持ってるんだよ。
日本かそこら辺と緊密になると、韓国は一国で中国と対峙しなくてはならなくなるからw漠然とした恐怖があるんだよw
2012/11/08(木)
インドは英連邦加盟国やで。
中国人は契約を守らないのに比べると、インド人は中国人以上に強かなことは確かだが、が、一旦文章にして契約書の形にすると、
それを順守する。
とらえどころのない中国人よりは、ビジネスライクで
仕事はやりやすい。
まあ、ヒンドゥー、ムスリム、仏教、ジャイナ教間の宗教的対立、
カースト制度とか日本人には難しい面があり、安全面の不安はあるが、
反日暴動が起きることはないし、なにより英語でビジネスが出来るのは
日本人にとって助かる。
2013/01/05(土)
インドでは、政府もメディアも、安倍晋三首相(58)の就任を日印関係を深化させる好機ととらえ、
安倍氏に強い期待を寄せている。
安倍氏を好感する大きな理由の一つは、
安倍氏が首相として2007年8月に訪印した際にインド国会で行った演説が、強烈な印象を残したことにありそうだ。
●印象深い国会演説
「2つの海の交わり」と題する演説で、安倍氏は「太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、
1つのダイナミックな結合をもたらしている。
従来の地理的境界を突き破る拡大アジアが、明瞭な形を現しつつある」
と主張。
日本とインドの戦略的グローバルパートナーシップをユーラシア大陸の外縁に沿う自由と繁栄の弧の「要をなす」として、
日印関係重視を明確にした。
また、「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益」と述べて、インド人の共感を得た。
コロコロと変わる日本の首相と違い、当時も現在もインドの首相であるマンモハン・シン氏(80)は昨年12月26日、
安倍首相就任を祝福。
PTI通信によると、シン首相は、インドと日本の戦略的なグローバルパートナーシップの重要性を強調し、
安倍氏がこのパートナーシップの重要な考案者だったと指摘した。
そのうえで、日本経済がいっそう繁栄し、
日本が安倍氏の指導の下で世界の諸問題で重要な役割を果たすだろうとの自信を表明している。
インド各紙も衆院選後、安倍氏の演説を何度も引用して安倍氏を紹介している。
演説は当時、「中国外しだ」との中国の反発を買ったが、
親中報道が目立つヒンズー紙でさえ昨年12月19日、
「安倍首相誕生」に期待するサンジャヤ・バル元印首相補佐官の寄稿を掲載した。
バル氏は、「安倍氏は日本で何度も交代してきた首相と同じではない。
すぐれた家系と習得した勇気、先見の明を持っている」と称賛し、
安倍氏が演説で、日本の首相として独立インドを初めて訪問した祖父の岸信介氏(1896~1987年)から、
インドでの体験を「膝下(しっか)、聞かされた」と述べたことも紹介した。
今後の日印関係については、
「アジアで最も技術的に進歩した経済大国日本は、インドの経済発展を助けられるし、
インドは10億人以上の成長市場、
そして世界最大の若年層を蓄える国家として日本に市場と人的資源を提供できる」と指摘した。
ただ、2007年当時、インドにとっての“誤算”は、安倍氏が演説の翌月に首相を辞任してしまったことだった。
●やっと手に入る「主菜」
このため、昨年12月17日付のタイムズ・オブ・インディア紙は、
安倍氏の辞任を「インドは、とてもおいしい前菜の後で、メーンコースを奪われたようだった」と食事に例え、
選挙結果を受けて「なかなか手に入らなかった主菜が今になってやって来る」と伝えた。
また、安倍氏を「気持ちの上でインドとつながっていることで知られる」と紹介。
対インド外交重視の発言を引用し、
「日印関係に大胆な理想を描き、(首相)復帰は両国関係を急速に拡大させる絶好の機会になるはずだ」
との専門家の意見を伝え、日印原子力協定交渉の再開にも期待を示した。
尖閣諸島をめぐる日中対立については、
「中国がアジア・太平洋地域で自己主張を強める中、世界の関心の的がこの地域に移ってきている時期において、
安倍氏の中国に対するタカ派的な見解は、インドを害するものではない」と指摘した。
バル氏もヒンズー紙で「安倍氏は先見の明を現実のものにする権限委託を得た」
と結んで日印を軸とした「拡大アジア戦略」の実行を求めている。
2012/11/08(木)
中国が他国に対してかさにかかって上から目線で押して来れる理由の一つはその人口の巨大さ。
だが、その中国自慢の人口もあと10年ほどでインドに世界トップの座を奪われる。
しかもインドは
人口構成がきれいなピラミッド型で活気にあふれるのに対し、一人っ子政策を実施した中国は
これから日本をはるかに上回るペースで老齢化する。
日本は社会が豊かになってから高齢化が
到来したのに対し、中国は十分豊かになる前に高齢化し、しかも若年層が支えなければならない
高齢者人口が世界最大で半端じゃない。
インドと中国の関係はこれから時間が経てば経つほど
中国不利、インド優位になっていく。
2012/11/09(金)
インド12億、インドネシア2億4000万、フィリピン9300万、ベトナム8800万、タイ7000万
これらの国々と仲良くなり、資源を輸入、製品を輸出どんどんしていけば
中国なんて取引しなくてもやっていける。
--ここまで--
インドが簡単な国かと言えば、そうではないようだ。インドでの日本の新幹線事業も土地の買収で進展していないようだ。
しかし、反日を標榜する国家とつきあうより、よほど、マシだ。