2013年1月20日日曜日

東京家族 感想


▲小津安二郎という戦前~昭和30年代頃、活躍した監督の名作をリメイクしたものだ。
 前作は「東京物語」というものではなかったかな。
 見た筆者の印象は—というと。
 ”俳画”のような映画だなぁ、と思う。
 そして、世界にもっていっても、絶対に「売れない映画」だな、とも思った。
 日本人は、世界的なレベルをはるかに抜き去って、もう、ハリウッドなどと別世界へ辿りついた民族だなぁ。

 上で俳画と書いた。
 日本画、陶芸、俳画、禅画、蒔絵、七宝などなど、日本の独自の、独創の美というものがある。
 世界では殆ど、知られてもいまい。
 日本人は、2千年の歴史を経てこの高さの境地まで辿り着いたのだな—と思う。
 そして、日本という国・日本人は、世界各国から理解されない「孤独」の道を一人、歩んでいかざるをえない----そういう宿命を与えられた民族なのだとつくづく思う。

 以下、粗筋とか、気になったところを箇条書きとしたい。

あ、小津監督の「東京物語」は昭和28年だ。
 この頃の世代—戦争を経験した世代と、現在とを比較すると栄養とかもあるのだろうが、昔の人は速く老化していた。
 そうだなぁ。昭和40年代ぐらいまで、もう50才を越えると「本当の老人」だった。
 リメイクとはいえ、70才くらいでこんなにヨタヨタするか?

い、粗筋にふれるとかいっても、ほとんど筋らしいものはない。老夫婦が東京に住んでいる子供を訪ねてきた—それだけの話なのだ。
 ここらだな。
 上で書いたように、筋らしいものは殆どない。だから、ストーリーで見せる映画ではないことが分かる。
 それに替わるものとしての「映像美」「表情」「言葉」というものにこだわった—そういう映画なのだろう。

う、東京へでても老夫婦には特別することもない。ただ、二人で並んで座っている。
畳の上で、ベンチで、川の辺で、ホテルのベッドの上で-----。

え、家族愛—とか特別な言葉をつかわなくても、慎ましく確実に「愛情の」表現がなにげなくなされる。----日本人だけの「空気を読んだ」--そんな表現方法で。

お、まとめ
 この映画が高く評価されるのかどうか---筆者には分からない。
 そこにあるのは、平々凡々たる日常の暮らしであり、なにげない「愛情の表現」なのだ。---なんの特別なこともない、---ただ淡々とした。

 小津監督が「東京物語」をつくった昭和28年という時代はどうだったのだろうか。
 先の戦争の傷がやっと癒えた---まだ、高度成長が始まる前の「踊り場」のようなタイミングであったのかもしれないな。
 今も、次の成長へ入る前の「踊り場」のようなタイミングなのかもしれない。
 今、あらためて、日本型の「愛情表現」で家族の絆を確かめよう—ということなのかも。







2013年1月19日土曜日

反原発が下火に。


▲昨年だったか。
 民主党政権時代に、「反原発」の、「卒原発」のとか、不合理というか、軽薄な文言ばかりを聞かされてウンザリしていた。
 それが、最近、下火になってきたようだ。
 やれやれ。
 筆者は長い間、反原発を唱えるなら、原発に代替するエネルギー源を示せ—と主張してきた。
 通常の生活を維持できなくて、なぜ、原発に代替するエネルギー源の開発が進むのか---と。
 ここ20-30年は、「原発」に頼るしかないのだ—とも主張してきた。
 なにかやっと、合理的にものを考えることのできる人が増えたきたようだ。
 以下、新聞から抜粋。


 「脱原発」「反原発」の意識や活動が、トーンダウンしてきたようだ。

 安倍晋三首相が「2030年代に原発の稼働ゼロを目指す」とした民主党政権が掲げた エネルギー政策を見直す考えを示していることについて、NHKが賛否を聞いたところ、 43%が「賛成」した。「反対」は21%、「どちらともいえない」が30%だった。

NHKの世論調査は、2013年1月12日から3日間、全国の20歳以上の男女を対象に実施。
対象の68%にあたる1138人から回答を得た。

 この調査で、「今、国が最も力を入れて取り組むべき課題は何だと思うか」聞いたところ、 「経済対策」が38%と最も多く、次いで「東日本大震災からの復興」が18%、「社会保障制度の見直し」が15%、「原発のあり方を含むエネルギー政策」が10%だった。

「大胆な金融緩和」政策を打ち出す安倍政権になって、円安・株高の「成果」から景気回復や経済活性化への期待感が高まっていることで、 世論の関心も「エネルギー政策」よりも「景気」「経済」に移っていることがうかがえる。

「脱原発」「反原発」が盛んに叫ばれていたとき、産業界は「脱原発はエネルギーコストの上昇を招き、 しいては産業の空洞化を招く」などとの主張を繰り返し、「原発維持」を訴えてきた。  
 それが受け入れられてきたようにもみえる。

 東京電力が12年9月から電気料金を値上げし、その後も原発の稼働停止と火力発電の燃料コストの上昇などを理由に 関西電力や九州電力なども値上げを申請するなど、家計への影響が直接的に及んできていることがあるのかもしれない。
 東京・永田町の首相官邸前で毎週金曜日の夜に続けられている「脱原発」「反原発」の抗議活動、いわゆる「官邸前デモ」は2013年1月11日夜、今年初めて行われた。

 主催する首都圏反原発連合の発表によると、この日の参加者は約1万3000人。
 12年夏には10万~20万人もの参加者で首相官邸を取り囲んだが、その10分の1にまで激減した。


▲補足、感想など
 まぁ、人数はともかくも、原発ゼロとか卒原発なんぞという—ゆとり教育ばりの「ことば遊び」から少しづつ脱してきているという感じがする。
 何度でもいいたい。
 どこからエネルギーを確保するか—ということは、一国の命運を左右するほどのことなのだ。
 だからこそ、原発の再稼働についても、国家のリーダーたる首相が決断すべきことのなのだ。
 安倍首相は、できるだけ速く、全責任を負うという形で、原発の再稼働に踏み切る決断をすべきだ。








アベノミクス、日本が一方的に批判される理由はない。


▲アベノミクスが海外から批判されている。
 しかしなぁ。
 これは一方的に批判される理由はあるまい。
 なぜ、日本だけが”円高状態”まま放置しておかなければならないのか。
 このあたり、麻生財務相が、「外国からとやかく言われる筋合いはない」--と発言したとおりだ。
 円が一ドル=100円ぐらいまでは、許容されるべきであろう。
 以下、新聞から抜粋。

 大規模な金融緩和と財政政策を組み合わせる安倍晋三首相の政策「アベノミクス」が 急速な円安を誘導しているとして、海外から不満の声が出始めた。
 日本側は「行き過ぎた円高の修正局面」との立場だが、自国通貨を弱め輸出産業を支援する「通貨安競争」との受け止めが広がれば、国際的批判が強まる恐れもある。

 ドイツのショイブレ財務相は、安倍政権下での金融緩和が国際金融市場に過剰な通貨供給をもたらすとして、「非常に懸念している」と言及。
 同国では、安倍首相が日銀に公然と緩和圧力をかけていることへの批判的論調が目立っている。  さらにゼネラル・モーターズ(GM)など米自動車大手3社で構成するロビー団体の米自動車政策会議のブラント会長は、安倍政権の通貨政策について 「貿易相手国を犠牲にして自国の成長を図る『近隣窮乏化政策』で受け入れられない」と非難する声明を発表。
 対抗措置をオバマ米政権に要請した。

 ロシア中央銀行第1副総裁も「世界各国が日本に追随し、分断の道に向かいつつある」と述べ、日本を批判。
 2月に予定 される主要20カ国・地域(G20)財務相・中銀総裁会議で、日本への圧力が高まる可能性もありそうだ。


▲補足、感想など
 自国の通貨を安くして、近隣諸国からの輸出分を奪う。--近隣窮乏化-とはその通りだろう。
 だから。
 それぞれの国がどの程度まで「安く」するか—という国際間の調整の問題だろうな。
 ただ、日本には「錦の御旗」がある。
 それは、東日本大震災の「復興事業」だ。
 このためには、毎年△△兆円の費用がかかる。そして、それはgdpの数字をそのまま押し上げるのだ。
 それによって通貨の供給量も増えるし、自然と円安にならざるをえない。
 ましてや、もう10年先にあるコンクリートの耐用年数を考えると、国土強靭化という問題も、同時並行的に行わざるえない。(先日のなんとかトンネル事故など、その典型例であろう)
 つまり、恣意的に「円安」にしているのではなく、自動的に「円安」となるのだ。
 今の「円安」傾向は、上でふれた事業の「将来を先取り」した数字だといえよう。
 いずれにせよ、日本は海外からの批判に対して、「東日本大震災からの復興」を前面に立てて、1ドル=100円ぐらいまでの「円安」を勝ち取るべきであろう。


橋下さんは、他者を振り回し過ぎだ。


▲橋下さんが過激に暴走している。
 冷静にみて、やはり、これは「行き過ぎ」だろう。
 核心はなんだろうなぁ。
 橋下さんが、桜宮高校での自殺騒動を、顧問が殴ったこととダイレクトに結びつけるからであろう。
 はっきり言って、橋下さんの考え方はこれに関しては”単純”すぎる。
 まず、因果関係を疑え。
 普通の高校生は、そう簡単には「自殺」などしない。
 その視点からみれば、橋下さんの言動は、他者をまきこみ、他者を振り回しすぎであろう。
 実態解明—などという橋下さんの発言があるが、個人の家のことなど解明できない部分が多いのだ。
 つまり、「曖昧な形」で終結させた方がいい場合が多い。
 今回のたぶん、そうなのだろう。

 以下、新聞から抜粋。


 教師による体罰が原因で高2男子生徒が自殺した大阪市立桜宮高校の問題で、橋下徹大阪市長は同校体育系2科の今年度の入試を中止することを宣言。
 これに対し、受験生、保護者、一般市民からも「行き過ぎだ」と抗議が殺到している。
 橋下市長は、記者会見で、2月20、21日に行われる予定の同校の体育科とスポーツ健康科学科の入試を中止するよう、市教委に要請したことを明らかにした。

 その理由を、「クラブ活動の在り方を変えるなら保護者や生徒の意識も変わってもらわないといけない。
 このまま入試をすれば、同じ意識で生徒が入ってくる」と説明した。
 翌16日、市教委に対し、同校普通科の入試実施についても最低条件として「校長や教員の総入れ替え」を求めた。

 さらに17日には、体育系2科の入試中止方針を市教委が拒否した場合、 市長として強権発動する用意があるとし、「予算の執行権は僕にある」と、 教師の給与など予算面で対抗措置を取ることを明言した。
 この橋下氏の方針に対して、市教委や市のホームページなどに抗議の電話やメールが相次いでいる。
 「受験生には罪がない」「子供の夢を摘むのか」「無関係の受験生を巻き込むのはおかしい」など。

 橋下氏はこうした声に対しても、「一番重要なのは亡くなった生徒のこと。生きてるだけで丸もうけ。またチャンスはある」と反論している。
 確かに体罰教師と、それを見逃した学校側の罪は大きい。
 しかし、すべての教師を入れ替えるとか、入試を中止するというのは、一部の罪を全体責任にするばかりか、 受験準備をしている受験生まで切って捨てるわけで、どう見てもやり過ぎだ。

 この人のいつものやり方で、まずハッタリをかまして大向こうをうならせ注目を浴びる。
 世論の旗色が悪いと見れば、スルリと方向転換をする。
 おそらく、市教委側から人事異動をある程度引き出した段階で、「受験生に配慮する」という方向で収めるつもりだろう。
 しかし、これでは大学認可をほぼ決めた段階で「不認可」を打ち出して注目を浴び、旗色が悪くなって一転「認可」とやった田中真紀子・前文科相のやり方と同じではないか。

 田中氏はその直後の衆院選で見事に民意が離れ、落選した。
 自己顕示のために受験生を「人質」に取るようなことをするのは、 体罰教師のさらに上を行く「権力の暴走」だと知るべきだ。
 パンチをかまして役人をやっつけているつもりだろうが、ただ大きく吠えるだけで根本的解決にはならない。
 このような暴走市長が国政を牛耳ったらとんでもないことになるのは、今回の一件でもはっきりと見えてきた。

▲補足、感想など
 まぁ、国政がどうのなど余計なことだろうなぁ。
 それよりも、冒頭でふれたように「顧問が殴った」と「生徒が自殺した」ことの関係を、橋下さんはダイレクトに結びつけすぎだ。
 この因果関係を疑え。
 そうすれば、この騒動の「過剰反応」ぶりの本質が見えてくる。
 人ば様々なのだ。
 ここを押せばあっちが飛び出したり、そっちがひっこんだりするのだ。
 一律に考えるな。
 曖昧な部分は、曖昧なまま、この騒動の終結を図るべきだと思える。
 常識を働かせよ。
 もう、落ち着き場所を見つけてもいいころだ。




2013年1月18日金曜日

実態解明ってなんのこと。


▲どうも橋下市長が暴走しているようだ。
 橋下さんは、なににひっかかっているのかな。
 殴った →自殺 だ—と信じているからか。
 原因は殴ったこと。結果は自殺—か。
 それをまるっきり信じているから、まぁ、こういう発言になるし、入試がどうこう—となるのだな。
 これはなぁ—と筆者は思う。
 その因果関係を疑うべきだ—と思う。
 殴ったこと—と自殺の間に、無関係とは言わないが、自殺した生徒の方にもなにかある筈。
 このブログでなんどもふれた。
 通常の感覚なら、殴った →部活がいやになった →退部 であろう。
 ところが、この桜宮高校の場合、殴った →自殺 なのだ。
 思考の方向性が、どうみても「常識」ではない。ぶっとんでいる。普通の思考の流れではない。そこになにかあるのだと思える。
 でも、それは—家庭内のことであろう。
 だから。
 橋下さんのいうような「実態の解明」なんて無理なのだ。
 いや、そういう方向へ—つまり、誰が彼を自殺へ追い込んだのか--などいうところに踏み込んではならない話ではないのか。
 いわば、発作的な自殺であろう。
 このあたり、曖昧でいいじゃないか。
 全体の流れをみて、実態解明なんて無理な話であるし、言わば「やりすぎ」「過剰本能」であると思える。
 もう、これ以上、騒ぎを大きくすべきではない。

 以下、新聞から抜粋。

 大阪市立桜宮高校で、体育科に在籍していたバスケットボール部主将の男子生徒が 体罰を受け、自殺した問題について、大阪市議会文教経済委員会の協議会で、質疑が行われた。
 橋下市長は同校体育科の入試中止を改めて主張したが、市議からは「入試が差し迫っており、時期が 悪すぎる」との批判が出た。

 橋下氏は委員会で、体育科の入試中止を求めた理由について「暴力を容認する雰囲気の中で(教育して) 卒業生を輩出するのは子どもたちのためにならない。
 卒業生が教育現場に戻れば同じような考えで指導 するかもしれない」「新しい教育方針が決まっていないのになぜ新入生を迎えられるのか。

 決めるためには実態解明が必要。1カ月や2カ月では到底時間が足りない」と述べた。
 公明市議は「募集停止を先に決めてしまっては、実態調査をする意味がない。受験生、保護者の混乱は 計り知れない。冷静に判断を」と指摘。これに対し橋下氏は「受験の混乱回避のために受け入れるのは 事なかれ主義の最たるもので、無責任だ」と反論


▲補足、感想など
 事なかれ主義—か。
 いや、核心は冒頭でふれたように、「殴ったこと」と「自殺」との間に、明白な因果関係があるのか—ということだ。
 橋下さんは、その因果関係を信じて疑わないようだが、本当にそうかな。
 このあたりを、戸塚ヨットスクールの戸塚さんも疑っていたなぁ。
 難しいところではある。
 踏み込めば、プライバシーに抵触する。しかし、今のままでは殴った顧問の先生が、全面的に悪いことになる。
 なんどもいうが、自殺した生徒の思考の流れをみていると、無理がある。非常識である。
 -----------------------------。
 う~ん。もうここらで、これ以上つっこまない方がいいと思える。
 できるだけ速く、平常の生活へ戻るべきだ。



日本文化は、幼稚で軽薄で愚昧だ—と。


▲日本文化は、幼稚で軽薄で愚昧か---。
 なるほどなぁ、と思う。
 その通りだろうなぁ。
 それが、「かわいい」という言葉へたどり着く一つの要素となっているから。
 まぁ、「かわいい」という言葉に包含される「いくつかの面」なのだろう。
 幼稚だから、かわいい。
 軽薄だから、かわいい。
 愚昧だから、かわいい---のだ。
 さて、中国人にとっては「三国志」というのはなにか大きな歴史的なテーマらしい。
 時々、新聞などで、○万人での撮影がとうたらした—とかのdvdの宣伝をみる。
 で--。
 と思う。これだけなのか?
 俳優を使い、数万人のエキストラを使い、映画として創作しただけなのか。
 そこから、広がらないのか。
 三国志という「中国最大のテーマ」を使って、これをアニメにするとか、諸葛亮孔明を「女性」にしてしまう—とか、劉備玄徳を「ネコ」にしてしまう、マンガにしてしまおう--とかできないのか。
 曹操を「女子高生」にしてしまうと、上でふれた「幼稚」「軽薄」「蒙昧」となるのか。
 つまり、このあたりだな。
 中国人にはこういう発想の広がりがないのだ。
 だからこそ、中国でろくな「アニメ」も作ることができないのだ。
 まず、自分の「弱点」を直視しろよ。

 以下、中国の新聞から抜粋。


 日本の華字紙「新華僑報」に発表された記事によると、海外では日本文化の影響力が衰えているという。
 彼らのソフトパワーに陰りが出ているというのだ。
 ソフトパワーを高めることは経済発展につながると言われるが、 日本の場合は、経済の疲弊がソフトパワーの地位を下げている。

 以下は要約。

 日本のマンガが世界を席巻しているというのは言い過ぎではない。
 日本のソフトパワーはかなり強力だと言わざるを得ない。
 しかし、ある面から見ると、日本のソフトパワーが落ちていることがうかがわれる。

 メルボルン日本語教学センターの主任が行った研究によると、オーストラリアで日本語を学ぶ学生の数は2000年から16%減少した。
 日本語学習者の減少数から見れば、海外における日本文化の影響力は徐々に落ちており、ソフトパワーに陰りが生じていると言える。

 この20年、日本経済は下り坂を転げ落ちるばかりだった。
 加えて「少子高齢化」の問題も深刻だ。
 日本語を問わず外国語を学ぶことは、 実際に学ぶ人から見れば、将来の武器につながるものだ。
 そのような状況では、文化的魅力だけではカバーできないのである。

 真に日本文化を愛する人に冷や水を浴びせることもある。
 日本語を学ぶ人たちには、自分の将来のためだけでなく、漫画ファンであったり、 コスプレマニアだったりする人が少なくない。
 そのため、日本経済の先行きが暗くとも、彼らにとって大きな心配事ではない。

 ところが、これらの人たちが憧れの日本にやって来てしばしば感じるのは、日本は決して漫画のような国でも、童話のような国でもないことである。
 しかも、彼らのうち、 一歩進んで日本文化の本質を理解しようとする人は、20人中1人といったところだろう。
 失望感の広がりが、日本に憧れを持つ人たちに影響を与えている。
 それ以外にも、海外で歓迎されているという日本の流行文化のレベルと名声は、決して言われているほどのものではない。
1970年より、日本の美意識、文化、国家の特徴を表すキーワードは「カワイイ」だった。

 「カワイイ」を中核とする流行文化に対し、吐き気をもよおす人も少なくない。
 いったい、「カワイイ」が日本にどれだけの文化的パワーをもたらしたというのだろうか。
 それによって、日本が信頼され、尊敬される民族だと思われるようになっただろうか。
 さらに率直な意見を持つ人も少なくない。

 カワイイ物がもたらす喜びはいずれも、幼稚で浅薄、あるいは愚昧だと、鼻で笑う人もいるのだ。
 以下のような言い方をすることもできる。
 日本では軍事という「ハードパワー」が憲法で制限を受けていることから、「皮相的」な「カワイイ」で世界に影響を与えることにしたのだ。
 「歴史」という難関を真剣に再考するよりは、日本のもっと積極的なイメージを世界に植え付けようとしたのだ。

 文化的な魅力は、国家のみならず、国民や社会から構成される。
 日本の文化的な魅力が減少している背後には、日本のソフトパワーの国際的な影響力の陰りがある。
 とはいえ、我々が注意すべきなのは、日本国民の民度や、国家的な科学技術力で作られた文化的な力である。
 それらは依然として、世界でもトップクラスだ。
 我々が文化的影響力を高めたいと思うならば、日本に学ばなければならない。


▲補足、感想など
 日本のソフトパワー—ねぇ。
 マンガとかアニメなどのことか。
 でもなぁ。
 日本のマンガとかアニメとか、そもそも外国で売ろうとか外国の人に影響を与えようなど—と考えてつくったものではない。
 日本人が自分たちで楽しむために作って読んでいたのだ。
 筆者など、昭和30年代初めからマンガ、アニメを見てきた世代だ。
 日本のアニメが海外でも見られているんだ—とか気がついたのは、そうだなぁ、20年前くらいかな。
 つまり、こんなものを外国人が面白い—と興味をもつことが不思議だった。
 だから、日本のソフトパワーとか仰々しい言葉だが、日本人向けのもので、外国人のことなど知ったことではない。
 それを「衰えた」のどうのなど、どうでもいいことだ。
 外国人は、見たくなければ見なければいい。
 このことは、別の例えば日本画とか陶芸、蒔絵などにも通じるなぁ。
 ひっくるめて、日本の、日本人による「独創の美」なのだ。
 極めつけは、俳画とか禅画とか—であろうが、日本人にはその良さが分かるが、外国人にはなんのこっちゃ--であろう。
 それで別に構わない。
 分かる人に分かってもらえば充分だ。価値を認める人に認めてもらえば充分だ。
 上の一連のことの核心は、「文化のローカル性」ということなのだ。
 民族が違えば、価値があると認める「モノ」も違うのだ。
 だから。
 ソフトパワーが衰えるとか衰えない—とかいう話ではない。
 これは--。
 日下公人さんの言葉を借りれば、世界が日本化するかしないか—という話にいきつくのだろうな。
 大事なことを繰り返そう。
 マンガとかアニメなど、日本人どうしのうちわで楽しんでいたのだ。
 外国人がどう思おうが知ったことではない。

2013年1月17日木曜日

どうして、指導者が謝らなくてはならないのか?


▲桜宮高校の生徒に自殺騒動はどうも変な方向へいくなぁ。
 どこらに核心があるのかな。
 「生徒が自殺した」--ということに回りが振り回されている--ということだろうな。
 そりゃ、確かに。
 一生徒が自殺した—という事実は大きい。
 しかしなぁ。
 だから、誰が生徒を自殺に追い込んだか—という論議となるのは、そりゃ違うだろう--と筆者は思う。
 もう一度、原則というか基本的なところから確認したい。
 それは、教育とか子育て—ということにはリスクはつきもので、まず、その「覚悟」をせよ—ということだ。
 今回の事件でもそうだ。
 まず、---今回の事件は、公立高校の部活でのこと--ということだ。
 部活なんて、そのことの好きな人間が集まって勝手にやっていることではないか。
 いやになったら、ヤメればいいことだ。
 だから、殴られる →いやになった →退部する  ---それだけのことではないか。
 対して、今回の場合、 殴られる →自殺  ---って、おかしいだろう。
 その思考の流れが。
 思考の流れがぶっとんでいる。そこに奇妙さというか、非常識さを感じる。
 失礼ながら、この自殺した生徒の方になにか大きな原因のようなものがあるのでは--と感じる。
 そりゃ、生徒の心理まで読めなかった—とか指導者が糾弾されるかもしれないが、まぁ、それは限度があるし。
 はっきり言おう。
 筆者は、この指導者は謝る必要もないし、学校から注意ぐらいは受けるとしても、それ以上、非難されることなどない—と考える。
 謝罪など、もっての外だ。
 もっと冷静になれよ。
 公立高校の部活の話だそ。
 橋下市長など、過剰反応しすぎる。

 以下、新聞から抜粋。

 「体育科の入試は中止すべき」という大阪市の橋下徹市長の発言には、首をかしげた。

 大阪市立桜宮高バスケットボール部の男子生徒が顧問の体罰を受けた後に 自殺した問題で、市長は「こんなことで募集を続けるのは大阪の恥」と言い切り、 体育科の定員120人を普通科に振り替える代替案を提示した。

 これを機にスポーツ指導の場で手を上げる悪弊を一気に根絶させようという市長の考えは わかる。
 しかし、今回は一指導者が起こした問題で、体育科全体の問題ではないはずだ。
 志願者の中には桜宮高で力をつけ、将来は日本を代表する選手になりたい、と思っている 生徒もいるだろう。

 昨年11月、当時の田中真紀子文科相が何の疎漏もなかった3件の大学新設申請を突如却下 (のち撤回)して混乱を招いたのは記憶に新しい。

 「大学認可のあり方を抜本的に見直す」 という意気込みはよかったとしても、方法論が間違っていた。
それと同じで、大人の都合で 生徒たちの夢を断ちきってしまうのはよくない。

 それにしても問題の体罰教師はどこで何をしているのか。

 人を何発も殴るほど血気があるなら、 隠れていないで表に出て「間違ったことをしていた」と謝罪したらどうだ。
 こういった 問題が起きるたびに教育委員会の幹部が出てきて形ばかりの会見を開くが、誠意が感じられず 腹立たしさを覚えることが多い。

 本人が自らの言葉で「体罰は間違い」と認めることが、防止へ一番の薬になるのではないか。
 いまの状態では殴った方が守られている感じさえする。
 顔を出すことに支障があるのなら 文書ででもいい。周りがどうこう言うより、本人が早くけじめをつけるべきだ
。


▲補足、感想など
 体罰ってなんのことだ。
 ふん、と思う。
 殴ってなにが悪い。蹴っ飛ばしてなにが悪いか。
 はっきり言えば、今回、たまたま精神的にひよわな生徒であることが見抜けなかった指導者が、因果関係すらも定かならぬ「自殺騒動」に巻き込まれてオロオロしているということだろう。
 橋下市長の今回の騒動に対する反応は、明らかに常軌を逸している。
 今回のことは、教育において「覚悟すべきリスク」の一つなのだ。
 これ以上、騒動を大きくすべきではない。
 誰が「生徒を自殺に追い込んだか」なとという視点で追いかけてはならない「騒動」であろうと思える。
 それよりも通常の生活に、通常の部活を早急に復活すべきだ。
 常識をもって、真っ当な対応をすべきだ。




鳩山さんが中国へ。


▲鳩山さんが、中国でなにかしたらしい。
 いや、鳩山さんがなにをしたってどうでもいいのだが。
 こうして、鳩山さんのニュースを見ながら、あぁ、鳩山さんって、恭帝のSの息子だという説があるが、正しいのだな—と改めて納得する。
 そういえば、Sという人は、先の大戦前だったかなぁ。ドイツのヒットラーに会いにいった—とかウィキペディアで読んだ記憶がある。
 一種の「狂信者」であろう。
 目及び目元を見ていると分かる。あの目は、父親譲りの「狂信者」というか、なにかを一途に思いつめる---そういう目だ。
 目元を見ていると、父親だといわれるSの目元にそっくりだもの。
 こりゃ、鳩山家もとんだとばっちりを受けるなぁ。
 すると。
 鳩山家とS家のとの関係は一体なんだろう。
 話は多分、戦前の話だな。
 同じ、政治家として国会議員としての「付き合い」があったのだろう。
 えっと、鳩山一郎さんは、巣鴨プリズンにはいったのだっけ。
 ウィキペディアでざってみてみても、鳩山一郎さんはGHQから公職追放されたが、巣鴨プリズンとどうこうということはないようだ。
 すると、巣鴨プリズンに入ったSさんから鳩山一郎さんへの「依頼」ということなのだろうなぁ。<たぶん、話はこうだ。----自分は巣鴨プリズンに入った。これから先、命がどうなるか分からない。自分の子供を鳩山家の一人として育ててくれないか---と。そこで、息子の威一郎の子供として育てた--ということだろう。まぁ、Sさんは運良く命拾いした訳だが-->
 いや、別に筆者は、鳩山家の「隠された秘密」をあからさまにしたい—と望んているのではない。
 この鳩山由紀夫という人間の行動の原点のところを探りたいだけだ。
 う~ん、氏より育ちという言葉があるが、鳩山さんの場合は、「育ちより氏<というか”血”のほうが強いのだな>」
 上でふれたように、”狂信者”の血が鳩山さんという個人を駆り立てているのだろう。
 戦前、父親がドイツまでいって「ヒットラー」にあったごとく、中国へいって中国首脳にあいにゆくか。
 なるほどなぁ。

 以下、新聞から抜粋。


 賈慶林全国政協主席は、日本の鳩山由紀夫元首相と人民大会堂で会見した。
 賈氏は「中日は互いに重要な近隣国であり、広範で踏み込んだ相互交流と利益の融合がある。
 両国が平和と協力の道を歩むことは両国および両国人民の根本的利益であり、地域と国際社会の共通の期待でもある。

 中国は対日関係の発展を重視しており、中日間の4つの政治文書の原則を基礎に、歴史を鑑として未来に向かう精神で、 両国の戦略的互恵関係を引き続き推進することを望んでいる。
 双方は釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題における立場の溝を対話と協議を通じて適切に処理し、健全で安定した発展の道へと両国関係を促すべきだ」と述べた。

 鳩山氏は「日本の発展には中国との協力が必要だ。日中両国は手を携えて協力し、環境保護やエネルギーなどグローバルな課題に共同で対応し、 東アジア協力を推進するべきだ。
 歴史を鑑として未来へ向かい、現在直面している困難な問題を対話を通じて適切に解決し、 日中間の4つの政治文書を基礎に日中戦略的互恵関係を推進することに賛同する」と述べた。



▲補足、感想など

 鳩山さんは、一個人だ。
 国会議員ですらない。
 まぁ、お好きになんとでも言えばいいのではないか---。
 日本になんの影響力ももってはいまい。
 そういえば、Sさんには、他にも数人の子供がいたなぁ。
 Sさんの”狂信者”の部分を一番色濃く受け継いだのは、この由紀夫さんなのか。
 他の息子達には、これほどの”狂信者ぶり”を感じないものなぁ。
 まぁ、由紀夫さんは、下積みの経験もないし、お金で困ったということもあるまい。
 ボンボン育ちゆえの「血の発現」ということかもしれないな。

 う~ん、まぁ、お好きにしてね---という感じかな。

2013年1月16日水曜日

橋下市長は、過剰反応だろう。


▲どうも、橋下市長の判断に疑問をもつ。
 クラブ活動で、自殺者がでた → 伝統を破壊するために入試をやめる—とか。
 馬鹿な--と感じる。
 こう、常軌を逸した—反応だと思える。
 例えてみれば、池田小学校というところで、小学生が多数殺害された → 校舎を建て替える—という感覚に似ている。
 どこに核心があるのかなぁ。
 それは、「子供を鉄格子の檻の中で育てる」ということはできない—ということだ。
 通学時に車に轢かれる、学校で食事中に喉にものをつまらせる、友人とふざけていて怪我をする---しょっちゅうあることだ。
 つまり、ノーリスクで子育て、教育というものは不可能なのだ。
 まず、子育て時にはリスクがあるものと覚悟せよ。
 話はここから出発する。
 核心は、このたびの「自殺騒動」というものが、上で書いた「想定されるリスク」の範囲内なのか。それとも特別に考慮しなければならないほど「想定外の、常識はずれのこと」なのか—という判断だ。
 今回の件についてはどうだろうか。
 部活とは、それが好きな人間が集まり、勝手にやるものだ。
 まぁ、顧問というか先生方が指導する形になるが、それでも「好きだから勝手にやる」--そんなものであろう。
 筆者はこの事件の生徒のことも顧問のこともしらない。
 それでも、事件の流れを見ていて、やはり、異様としかいいようがない。
 前のブログで書いたが、殴られるのがいやなら、部活をやめればいいこと。
 なぜ、殴られる →自殺なのだ。 通常なら 殴られる →いやになった →退部  であろうに。
 つまり、この思考の方向性に「異常」を感じる。
 そこに「非常識さ」を感じる。
 そのことは、この生徒の思考の方向性がおかしいというか、普通ではあるまい—と感じさせる。
 だから。
 顧問がなんとかとか、「殴る」伝統を破壊する—なぞ、異様な判断としか思えない。
 この自殺事件は、顧問が殴ったから—というところに原因を探っても解決にはならない。
 上でのべた想定内のリスク—と判断する方がたぶん正しい。

 以下、新聞から抜粋。


★橋下市長の体育系「入試中止」に賛否 大阪市教委に電話殺到

・大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将だった2年の男子生徒=当時(17)=が自殺した問題で、  橋下徹市長が同校の体育系2科の入試中止を市教委に申し入れたことをめぐり、市教委には16日午前、  百本を超す賛否両論の電話が殺到し、職員が対応に追われた。

 桜宮高を受験しようとしていた保護者から「子供といっしょに受験の準備をしていたのに、今さらそんなことを  言われても困る」といった意見があったほか、「なぜ子供の夢を奪うようなことをするのか」という批判の声が  多く寄せられた。

一方、一部ではあるが、「市教委はなぜ市長が言うことに反対するのか」という、橋下市長に  賛成の意見もあったという。

 一方、橋下市長は同日午前、大阪市役所で記者団に対し「桜宮高を目指して頑張ってきた受験生、  保護者の気持ちはよく分かるが、伝統をすべて断ち切るというところまでやらないと新しく生徒をお迎えする わけにはいかない」と述べ、入試中止の必要性を改めて強調した。


▲補足、感想など
 入試の中止など、過剰反応だ。
 冒頭でふれたように、この自殺事件は、教育における「想定内リスク」だ。
 なんどでもいいたい。
 子供を鉄格子の檻に閉じこめて、育てることはできない。
 ノーリスクの教育なんてありえない。
 社会常識として、教育における・子育てにおける「リスク」を覚悟せよ。
 伝統とは、こういう「想定内リスク」での犠牲者を踏み越えて、乗り越えて創られていくものなのだ。
 これ以上、騒動を大きくするな。
 早急に通常の生活に戻し、部活を復活させよ。
 それが真っ当な「対応」というものだ。




過剰反応ってものだろう。


▲ふん、と思う。
 ---殴ってなにが悪い。蹴っ飛ばしてなにが悪い。----

 高校のバスケット部への対応をみていて、なんか反応が異常だと感じる。
 高校の部活動なんて、好きなものがやっているだけではないか。
 学校が決めるとかどうか—ということがおかしかろう。
 生徒達がもうやめる—というなら、まだ分かる。
 もっと頭を冷やせよ。

 この自殺した生徒の親とか、それをめぐるテレビとかの報道の仕方がどうもおかしい。
 確かに、顧問だっけ、対応がそれほどまっとうとも思えないが、それでも、バランス感覚というものがあろう。

 生徒も生徒だ。
 殴られていやなら、部活動をやめればいいことだ。<上でもふれた。好きだからやっているだけではないか>
 不満があったとして、それからの解決への方向性がまた、バランス感覚というか常識から外れている。

 つまり、どこか少しづつ「常識」から外れている。今回の事件に登場するすべての人間の思考とか行動が-----。

 もっとハッキリいわせてもらえば、殴られる → 自殺 という方向性のおかしさに気づかない親も親だ。
 つまり、この自殺した生徒の両親もそもそも「非常識な人間」であり、そのもとに「育てられた子供」ということではないのか。

 もっと、冷静になれ。もっと、常識を働かせよ。

 以下、新聞から抜粋。

 大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将だった2年の男子生徒が男性顧問(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題で、大阪市教委は15日、体罰があったバスケ部とバレーボール部の活動を無期限停止にすることを決めた。

 市教委によると、部活動再生のための期間を設け、再生に向けた努力を検証した上で、部の存廃や活動再開の可否について判断するとしている。

 その他の運動部の活動については、緊急に実態調査を行い、その結果を踏まえて活動再開の可否を判断。調査結果が出るまでは活動を停止する。


▲補足、感想など

 調査ねぇ。
 
 冒頭でも書いた。
 公立高校の部活動ではないか。
 それが好きなものが集まって勝手に活動しているだけだ。
 
 何が核心なのかなぁ。
 生徒の親たちが、テレビの報道などに振り回される—ということなのだろうな。
 ヤレ殴られたの、蹴っ飛ばされたの---うるさいことだ。
 もっと、自分の子供の可能性を信じてあげよ。もっと、高校の先生達を信じてあげよ。
 
 もっと、社会人としての「常識」を働かせよ。

 まぁ、先生達も公務員だから、責任問題となることを嫌がる。
 おかしな先生もいることは確かだ。

 それでも—と思う。
 学校の先生方を信じてあげなければ、教育というものは成り立たない。

 子供を鉄格子の檻の中で育てるということはできない。
 教育とは、子育てとは、記事のような事件を含め、リスクを覚悟するしかない。

 また、自殺というようなことがあったとしても、それをすべて「学校側」に責任を押し付けるという判断は、間違いであろう。

 この自殺した生徒の両親も、自分たちの「躾」が本当に真っ当なものであったのかどうか—反省すべきではないのか。<はっきり言って、非常識な親のもとでは非常識な子供しか育たない>

 上で、筆者は、自殺した生徒の両親に、失礼なことを申し上げた。
 でも、それは真っ当な「教育」というものをマスコミとか父兄達の「勝手な言い分」で歪めてほしくないからだ。

 もっと冷静に、もっと「常識を働かせて」、この事件への対応をなすべきと考える。



2013年1月13日日曜日

日本、tpp 不参加、決定か。


▲国際的な決め事に「不参加」を申し出るというのはなかなか難しい。
 アメリカが絡んでいるので、特にそうだ。
 アメリカのメンツを潰さないように、tpp への不参加を申し出るにはどうすればいいだろうか。
 ピコーン。
 そうだ。この7月末には、「参議院選」がある。
 これを理由にしてしまおう。
 そうすれば、「やむを得ないなぁ」と、国内企業の経営者にも、農家にも、アメリカにも--あちこちの「顔が立つ」
 ---てなことを、安倍さんは考えたのではあるまいかl
 実質的に、日本はtpp への不参加を決めたようなものだろう。

以下、新聞から抜粋。


 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加問題で、安倍首相が2月以降に予定される 日米首脳会談での正式表明を見送る意向であることが、分かった。
 今年夏の参院選後への 結論先送りも視野に入れる。

 首相はオバマ米大統領に、防衛関連予算の拡充や集団的自衛権行使の 検討など「同盟強化」への取り組みを説明して、正式表明見送りへの理解を求める。
 複数の政府・ 自民党関係者が明らかにした。

 訪米時の正式表明を見送るのは、自民党内で参院選への影響を懸念する声が強いためだ。
 首相は昨年12月、産経新聞のインタビューで「聖域なき関税撤廃の前提条件が変われば、 参加も検討の視野に入る」と述べたが、参院選勝利による本格政権樹立を最優先にした。

 党外交・経済連携調査会は月内に交渉参加に関する議論を始める予定で、首相は党内調整に 入ったことを大統領に説明する。
 ただ、党内には「参院選前に不参加を表明すべきだ」(閣僚経験者) との声もあり、同調査会も首相訪米前にまとめる提言で表明見送りを求めそうだ。

 米国などTPP交渉参加11カ国は10月の基本合意を目指している。
 米国が外国と通商交渉を 始めるには、90日前までに大統領が米議会に通知して承認を得なければならない「90日ルール」 が存在する。
 日本の参加表明が参院選後になると交渉妥結時の参加国になれない可能性が高まる。


▲補足、感想など
 だから。
 入りたかったのだけれどもなぁ。諸般の事情で無理でした---という状況をこしらえたということであろう。
 安倍さんもいよいよ「老獪」となったな。
 なにより、アメリカのメンツを立ててやらなければならないだろ?
 日本が「拒否する」--とスパッと答えると、アメリカとしても「クソッ、後でなにか仕返ししてやろう」--とか思うじゃないか。
 そこで、記事にような「袋小路」のような状況を作り出し、低姿勢の様子で「断るというか拒否」した--ということだろう。
 まぁ、正解だろうな。
 日本にはメリットがないというか、厄災の多い協定だからなぁ。
 日本はガラパゴスでいい。
 ガラパゴスならガラパゴスなりの矜持をもって、生き抜こうではないか。


体罰か—難しいなぁ。


▲どのあたりから。
 昭和40年代かなぁ。
 徳島県のド田舎のなんとか高校が甲子園に出た。
 野球部員11人だったかな。
 えっ—とか思うだろう。
 野球は9人必要だ。--この人数でどうして出てこれるんだ?
 さて、そんななんとか高校の話だ。
 ある日、野球部員に監督が聞いた。
 「お前たち、甲子園に出たくないか」---と。
 そりゃ、野球部の部員だもの、出たくない訳がない。
 それで。
 以来、雨の日も練習するし、素手で硬球をとったとか—様々な”伝説”が流れた。
 冷静に考えてもみよ。
 部員11人のところが、甲子園に出場するための”努力”というか”忍耐”というか、尋常なものではあるまい。
 指導者は、部員達の能力を目一杯引き出してやらねば可能とはならない。
 核心は、この人間の持つ能力の「引き出し方」だ。

 以下、新聞から抜粋。


 大阪市立桜宮高バスケットボール部主将自殺問題で、橋下徹市長は、大阪府内の 生徒宅を訪ね、遺族に「命を奪ったことに釈明の余地はない。学校現場、僕自身も 含め、全て行政側の責任だ」と謝罪した。
 さらに「司法判断は別だが、社会常識としての 因果関係はある」として、自殺と体罰の因果関係を遺族に認めたという。

 橋下市長は両親と兄に面会し、その後取材に応じた。
 これまで橋下市長は、自身の中高時代のラグビー経験を踏まえ、体罰を容認するともとれる 発言をしていたが、「気合が抜けているときにペナルティーを与えるのは体罰じゃなくて暴力だ。
 考え方を改めないといけない。反省している」と記者団に語った。

 また、自殺後に同校が行った生徒や保護者へのアンケートに「早く試合をやりたい」「顧問の指導を受けたい」との記述があったことを紹介。
 「仲間が命を落としたのに、異常な世界だ。親が意識改革をしないといけない」と述べ、 スポーツ強豪校に子供を通わせる保護者側にも、体罰を容認する風潮があると指摘した。

 生徒が残した遺書も見せてもらったというが、内容は明らかにしなかった。
 橋下市長は「しっかり こちらの謝罪の意を受け入れてくださった」と述べた。


▲補足、感想など
 古代ギリシャで、アリストテレスが教師をしていた学校があった。
 アリストテレスは、aという学生は叱り、bという学生は褒めて励ました。
 贔屓(ひいき)ではないか—という批判に対して、アリストテレスは、学生にはそれぞれ個性というものがある。ある者は褒めてやる必要があるし、ある者には手綱を引き締めなくてはならないのだ---と。
 さて、記事の内容に帰ろう。
 筆者は、2つの指導者としての「要点」を提示したつもりだ。
 バスケットでも、部員の能力を目一杯引き出さなければ、上位となることは難しかろう。
 そして、部員各自の「潜在する能力」を引き出すためには、個々の能力とその「耐性」のようなものを指導者は見極めなくてはならないのだ。
 表題で筆者が書いた「難しいなぁ」---というのは、この部分だ。
 アリストテレスを例示するまでもなく、人間ってやつは様々だ。
 5発殴っても平気な人間もいれば、2発殴れば切れる人間もいる。
 だから。

 指導者は難しい。

 ただ、筆者は思う。
 橋下さんのいうように、体罰がどうだ—と簡単にいえるようなものではない。
 11人しか部員のいないなんとか高校では、ミスしたら監督が蹴飛ばしたかもしれない。
 でも、それなくして甲子園にでれるはずもあるまい。

 結局、教育は「綱渡り」なのだ。
 教育とは、細い細いロープをバランスをとりながら、細心の注意を払って向こう側へ渡るものだ。うまく渡れるものもいれば、バランスを失って落っこちる人間もいる。
 犠牲者というならそうだろう。しかし、やむをえざる「犠牲者」ではあるまいか。


※追記。

 この件に関して、戸塚ヨットスクールの戸塚さんがコメントしている。それをご紹介したい。
 また、末尾で筆者の感想を述べたい。

--ここから--


 大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が顧問から暴力を受けて自殺した件で、戸塚ヨットスクールの校長・戸塚宏氏が、出演し 「あの子だけということは、あの子にも問題があったということ」と語り、波紋を呼びそうだ。 

 戸塚氏のフリースクール「戸塚ヨットスクール」では、暴力が原因とされる複数の死者が出ており、 刑事事件となり、有罪判決を受けたこともあった。 

 この日の「サンデースクランブル」で戸塚氏は 「(自殺者が)あの子だけということは、あの子にも問題があったということ。 

 本当に体罰で死んだかどうかもわからないですよね」などと述べた。 

 主将は昨年12月の自殺する前日に、1日で3、40発殴打されたことを母親に告げていることが、 大阪 市教育委員会の調査で判明。顧問教諭は数回として否定している。 

 橋下徹市長は100人態勢を組み徹底調査の方針を打ち出した。 

 また、政府も義家弘介文科政務官を大阪市教委に派遣することを決めた。



ここまで--

▲補足、感想その2

 戸塚さんの言葉を「冷たい」--と感じるだろうか?

 戸塚さんの言葉は重たい。

 30年ぐらい前かなぁ。戸塚さんの経営しているヨットスクールで数名の生徒が死亡した。あぁ、数年前にも屋上から飛び降りてどうこう--という話もあったなぁ。

 30才近くになって、とじこもりの子供をもつ親たちが、ワラにもすがる思いで、このヨットスクールの門を叩くのだ。

 その人間のもつ「生きる力」というか「なにかをやりたいという活動への意思」を燃え立たそう--というのが、戸塚さんの考えかただ。その手段としてヨットがあるのだ。--と。
 ところが、ヨットは危険なスポーツだ。

 海に落ちで行方不明になる-とかがでて、戸塚さんは「懲役刑」となった。<生きる力を与えてくれ--と願ったが、死ぬまでやってくれとは言っていない--とか親のエゴが出てくるためだ>
 ヨットスクールも解散した。

 戸塚さんは刑を終えると、また、ヨットスクールを再開して、今に至っている。

 人間というやつは、様々だ。
 本人のもつ「精神力」も様々なのだ。

 --脆そうでもろくない、強そうで強くない--

 指導者というものは、だから難しい。

 戸塚さんは、指導者として、いわば辛酸をなめた人だ。

 生徒の内部の「脆さ、強さ」を充分にしっている人なのだ。

 だから、--体罰で死んだかどうか分からないじゃないか--という言葉が言えるし、そう言える唯一の人でもある。

 もう一度、繰り返そう。
 教育は綱渡りである。そのリスクと犠牲は覚悟するしかない。













2013年1月11日金曜日

安倍さん、失言を恐れる。


▲フラ下がり—という首相が廊下で、記者からの質問を受けるという習慣が、小泉さんのころあった。
 安倍さんは、この形の質問を拒否したという。
 それを元毎日新聞の記者が批判している。

 まぁ、なぁ—と筆者は思う。
 失言を恐れる?
 まぁ、そのとおりだろうなぁ。

 でも。
 人というものは、得手不得手があるのだ。
 安倍さんという人は、失礼ながらそれほど「頭の切れる人ではない」
 なにか、不意打ちのような質問を受けたとき、トンチンカンな答弁をしてしまう可能性はある。
 確かに野党であるときはなんでも言える。
 しかし、一旦、首相となれば、それは日本国という国を代表した答えであり、意見となるのだ。

 昔、大平さんという大臣がいた。
 記者からの質問を受けて、答えるまでにあ~とか、う~とか長い間、考えてやっと答えていた。

 なぜ、そんなことになるのだ?--という質問に対して、答えは確かに記者に対してしているのだが、その向こうにはアメリカ、中国、ヨーロッパ諸国の国民が聞いているからだ--と答弁した。

 つまり、安倍さんの「ぶらさがり拒否」の理由はこれだろう。
 簡単に答えることもできないし、一旦、声にしてしまえば、それは日本という国を代表した日本という国の意見となってしまうのだから。

 以下、新聞から抜粋。


 安倍晋三首相は、首相番記者のブラ下がり取材を拒否、早くも限界が見えた
◆安倍晋三首相には、心底からガッカリした。
 それは、「ブラ下がり取材」拒否を決めたからである。
 これでは、前首相と変わらないではないか。
 何が最大の問題かと言えば、首相番記者の機能と役割、使命を否定することになる。
 さらに、首相番記者の質問に、答える能力がないと認定されかねない。
 悪く言えば、「馬鹿」であることを天下にさらす結果になる。

 安倍政権誕生早々から、首相番記者の「ブラ下がり取材」を拒否するには、都合が悪いことを質問される可能性が高いと憂慮でもしているのであろうか。
 答えられないと、政権維持が難しくなると恐れているのでは。
 
◆菅元首相は、本当に「馬鹿」な首相だった。
 こんな馬鹿が日本にいるのかと、中国の胡錦濤国家主席をガッカリさせたに違いない。
 野田前首相は、「ブラ下がり取材に応じて、ボロを出すくらいなら、 最初からブラ下がり取材を拒否することだ」と強くアドバイスされて、拒否し続けた。

 何のために、JR船橋駅や津田沼駅頭で「朝立ち」を続けて、当選してきたか分からなくなった。
 全国各地の国民有権者の「信」を失い、結果、現職議員を落選させることになったのである。
 これは、茶の間に向けての「窓口」を自分でシャットアウトしたことによる結果であった。

◆この点、偉いのは、小泉純一郎元首相であった。
 一日、2回、「ブラ下がり取材」に応じて、 時には、名答弁も使いながら、多くの国民有権者を楽しませてくれていた。
 答えられないことは答えなくても良いのである。
 そんなことは国民有権者は、百も承知である。
 次男の小泉進次郞青年局長は、父親顔負けの応答を記者たちに対して行なっている。質問を受けることを決して嫌がらない。
 「当意即妙の答弁ができるようになるための訓練をしているのです」
 将来、大臣から首相に登って行くための訓練を自ら課しているということだ。

 これに比べれば、安倍首相は、劣る政治家である。
 記者の質問に堂々と答えられない、失言を恐れるようでは、安倍晋三政権の前途は決して明るくはない。


▲補足、感想など

 新聞記者ってえらそうにしゃべるなぁ。
 これなどどうだ。
 -- さらに、首相番記者の質問に、答える能力がないと認定されかねない。 悪く言えば、「馬鹿」であることを天下にさらす結果になる。 ---か。

 だから。
 安倍さんは、それだけ当意即妙に答えることができないのだ。馬鹿といわれればまぁ、その通りだろう。
 でも、なによりも日本のことを、日本人のことを考えている「馬鹿」なのだ。<安倍首相—済みません>

 頭が切れて、これだけ偉そうにいう元新聞記者と比べて、日本という国を・日本人を真剣に考えてくれる「馬鹿」な首相とでは、人間としてどちらが立派なのか?

 何度でもいいたい。
 人間には、神様から頂いた才能というものがある。その才能により個人として「得手不得手」というものがあるのだ。

 安倍さんには、ぶら下がりの質問に答えることは不得手なのだ。
 上でもふれたが、安倍さんの答えは、即、日本という国を、日本人を代表した「答え」なのだ。

 答える記者の向こう側には、アメリカ人、中国人、ベトナム人、ヨーロッパの諸国の国民がいて、安倍さんの答弁を聞いているのだ。
 迂闊な答弁など、許されるわけもあるまい。



2013年1月9日水曜日

日本は物持ちのいい国だ。


▲もう21世紀にはいって10年以上を経過した。
 こんな時に、中国の書聖、王羲之の書の写が見つかったそうだ。
 王羲之って4世紀ぐらいの人だ。
 もう真筆はないのだとか。
 その写といっても7世紀頃のものらしい。
 日本から唐の時代に渡った遣唐使の誰かが持ち帰ったものらしい。
 8世紀として、1300年位前か。
 それも、個人が所有しているのだそうな。
 もう、値段もつけようもない品物であろうに。
 以下、新聞から抜粋。

 「書聖」と呼ばれる四世紀の中国・東晋時代の書家、王羲之の書の写しが見つかった。
 東京都台東区の東京国立博物館が鑑定した。
 筆遣いや文面などから七~八世紀の唐代に宮中で制作されたものの一部と みられる。

 王羲之の真筆は発見されていないため、その書風の解明に役立つ貴重な資料となりそうだ。
 王羲之の字姿を伝える写しの発見は「妹至帖」以来、四十年ぶり。
 縦二五・七センチ、横一〇・一センチの 紙に、三行にわたり二十四文字で書かれ、手紙の一部とみられる。
 国内で個人が所蔵していることが分かり、t同館列品管理課長が鑑定していた。
 冒頭の文字を取り、t課長らが「大報帖(たいほうじょう)」と命名した。

 王羲之の写しと判断した根拠は
(1)写した文字の輪郭の内側を墨でうめる「双鉤填墨」という高度な手法で 書かれている
(2)王羲之の息子「期」らの名前や、よく用いた表現「日弊」がある
(3)「妹至帖」などに字姿がよく似ている
 -としている。

 内容は「(便)大報期転呈也 知/不快 当由情感如佳 吾/日弊 為爾解日耳」と読み取れる。
 紙は、縦に線のある縦簾紙。
 幕末から明治にかけての古筆鑑定の権威、古筆了仲が「小野道風朝臣 」筆と鑑定した紙が付されていた。
 同館によると、遣唐使らがもたらしたとみられるという。

 同館で開かれる特別展「書聖 王羲之」で初公開される。
 <王羲之(三○三~三六一年、諸説あり)> 中国・東晋の書家。楷書、行書、草書を芸術的な書体へと完成させ、古今第一の 書家として「書聖」と称された。
 優雅で力強い書風は、唐の太宗皇帝など歴代皇帝が愛好。
 三五三年に揮毫した詩集の序文 「蘭亭序」が最高傑作とされる。

 作品の多くは宮中に収集された後、戦乱などで失われ、真跡は残っていない。
 貴族出身で地方長官 なども務めた。子の献之も書家で父と並び「二王」と呼ばれた。
 日本には奈良時代に伝わり、和様の書風に影響を与えた。

 ◇鑑定したt東京国立博物館課長の話 王羲之の極めて精巧な模本は数が少なく、世界でも 十前後しかない。
 今回の写しはその中に入るもので、模本としてのレベルが高い。字姿は本物に近いだろう。

▲補足、感想など
 7世紀に中国でつくられ、それを遣唐使が日本へもちかえり、21世紀の日本でそれが確認できる----。
 流れた時間とその間の歴史を考えると、「よく残ったものだ」とただただ感心する。
 1300年以上ももつ「紙」か。
 今ある記録メディアで、1300年ももつというか、時間の経過に耐えるものは存在しない。
 恐るべし—紙--ということだろうな。
 また、日本という国は、「歴史の宝石箱」のようなものだな。
 遣唐使がもってかえった—という文言を聞くだけで、茫々たる時間の厚みに圧倒される。



2013年1月8日火曜日

早急な原発の再稼働を、安倍首相が決断せよ。


▲なんというか。
 原発ゼロとか卒原発—とか、どうしてこんな「軽薄な言葉」を、あちこちで見聞きすることになるのだろう。
 一体、なにを考えているんだ? 
 インターネットを使えない、なにも知らないじじばば達を騙すための言葉なのか。
 確かになぁ。
 筆者は「団塊の世代」だが、筆者から上10才くらい---だから、70代前半くらいから上は、殆どpcが、インターネットが使えない。
 騙(だま)そうとするターゲットはこの世代か。
 サンケイ新聞に筆者の考えに似た記事がでていた。
 まず、それを抜粋する。



 日本のエネルギー 「ゼロの呪縛」を解こう 原子力を基軸に再構築せよ

 平成25年は、日本のエネルギー政策の再出発の年である。
 民主党の原発ゼロ政策の影響で国内50基中の原発のうち、稼働しているのは関西電力・大飯原子力発電所のみだ。
 電力9社は火力発電の焚き増しで、原発の不足分を補っている、輸入燃料代の急増に苦しんでいる。
 9社合計で毎日、約100億円が液化天然ガスなどの輸入に消えている。

 1年に3兆円のペースで国富の海外流出を余儀なくされ、日本の貿易収支は赤字に陥っている。
 まずはこの現状を直視することが必要だ。

 影響は日々の暮らしにも及んでいる。
 首都圏などで電気代の値上げが始まり、北海道では冬季の節電要請が出されている。
 供給余力は乏しく、大規模停電が起きても不思議ではない。
 国際情勢により燃料輸入に支障を来せば日本の社会システムは停止する。
 エネルギー安全保障上も憂慮すべき状況である。

 先進国として必要な電力の安定供給に陰りが出ている。
 民主党政権が進めた無責任な脱原発政策の矛盾による結果だ。
 中国による領空・領海侵犯も日本の国力低下と無縁ではないだろう。

 ≪首相は再稼働の主導を≫

 日本の国力立て直しには電力供給力の回復が不可欠だ。
 このままでは製造業の海外移転に拍車がかかり、雇用が減る。
 安倍晋三首相は安全上問題のない原発の再稼働を急がなければならない。

 原子力規制委員会が原発敷地内の活断層の調査を進めているが、対象は全国17発電所のうち、関西電力の大飯原発、東北電力の東通原発などの5カ所である。
 北海道電力の泊原発や九州電力の玄海、川内原発などは活断層調査の対象外で、運転可能な原発の再稼働については、前向きの検討がされてしかるべきだろう。

 地震や津波への安全対策は、福島事故後に実施された非常用電源の確保などで大幅に強化されている。
 活断層とは無縁の原発なら、再稼働に問題はないはずだ。

 原子力規制委は今夏、新たな安全基準を作り、それに照らして各原発の安全性を検討するとしているが、全原発の判断を終えるには3年以上かかるとみられる。
 それでは遅すぎる。
 立地地域の協力企業の技能作業者が離散してしまうと、定期検査などの技術の維持が困難になる。
 原発の燃料製造会社の経営がいつまで耐えられるかも問題だ。

 再稼働には、国が前面に出て、原発の必要性と安全性を立地地域の住民や周辺自治体の首長、国民に説得する努力が不可欠だ。
 過去の自民党政権下でも国の存在感が希薄だった。
 この課題に真正面から取り組まない限り、早期の運転再開は望めない。

 ≪安全性は改良炉導入で≫

 茂木経済産業相は、民主党政権の「原発ゼロ」方針の見直しを打ち出している。
 当然な措置として歓迎したい。
 安倍政権の大きな仕事の一つがわが国の中長期エネルギー戦略の柱となる「エネルギー基本計画」の策定である。
 その中で原子力がなぜ必要なのかを国民にしっかり説明してもらいたい。

 太陽光、風力などの再生可能エネルギーには一定の意義があるものの、コストの高さが電気代に跳ね返り、ドイツでも家計を圧迫して社会問題になっている。
 自民党が衆院選の公約で「10年以内に確立する」とした電源構成のベストミックスについては、 原子力を確保した上で再生エネの実力を見定めつつ、シェールガスなども含めて最適な割合を探るのが合理的だ。
 地球温暖化防止に果たす原子力発電の貢献度は高い。

 原子力の持続的な利用には、使用済み燃料の最終処分地の確保が必須だ。
 誘致を検討する市町村が安心して申し込める環境を整えてもらいたい。
 停滞しがちな核燃料サイクルの実現にも、明確な見通しをつけるべき時期である。
 原発の安全性向上には、APWRなどの改良型原子炉への代替も有効だ。
 日本では次世代原子炉として注目される高温ガス炉の研究も進んでいる。

 安倍首相は、原発新増設を認める前向きの発言に加え、「希望を政策にするのではなく、責任あるエネルギー政策を進めていく」とも語っている。
 まずは、「脱原発・原発ゼロの呪縛」からの解放を仕事始めとしてもらいたい。


▲補足、感想など
 記事の内容は、まさに正論だ。
 核心はなにか。
 それは、どこからエネルギーをもってくるか—ということは、一国の命運を賭けるほど重要なものだ--ということだ。
 先の大戦の開戦時、日本が早々に「南進作戦」を採用したことを鑑みてみれば明瞭だ。
 そして、現在の日本では、原子力に頼るしかないこともまた明白だ。
 肝心なことは、原発の再稼働については安倍首相の決断が不可欠だということだ。
 再稼働の決断を、電力会社とか原子力なんとか委員会にまかせるな。(決断に時間がかかるし、誰が責任を負うのか--ということになってしまう)
 こういう時こそ、首相が「全責任を負うて決断」すべきなのだ。

 それが、国家の命運を左右する権限を付託された「国家のリーダーしての決断」が必要な事柄だからだ。
 何度でも言いたい。
 エネルギー源をどこに求めるか--ということは、国家の命運を左右するほどのものだ。
 安倍首相は、日本国のリーダーとして、「全責任を負うて」原発の再稼働を早急に決断せよ。