▲どのあたりから。
昭和40年代かなぁ。
徳島県のド田舎のなんとか高校が甲子園に出た。
野球部員11人だったかな。
えっ—とか思うだろう。
野球は9人必要だ。--この人数でどうして出てこれるんだ?
さて、そんななんとか高校の話だ。
ある日、野球部員に監督が聞いた。
「お前たち、甲子園に出たくないか」---と。
そりゃ、野球部の部員だもの、出たくない訳がない。
それで。
以来、雨の日も練習するし、素手で硬球をとったとか—様々な”伝説”が流れた。
冷静に考えてもみよ。
部員11人のところが、甲子園に出場するための”努力”というか”忍耐”というか、尋常なものではあるまい。
指導者は、部員達の能力を目一杯引き出してやらねば可能とはならない。
核心は、この人間の持つ能力の「引き出し方」だ。
以下、新聞から抜粋。
大阪市立桜宮高バスケットボール部主将自殺問題で、橋下徹市長は、大阪府内の
生徒宅を訪ね、遺族に「命を奪ったことに釈明の余地はない。学校現場、僕自身も
含め、全て行政側の責任だ」と謝罪した。
さらに「司法判断は別だが、社会常識としての
因果関係はある」として、自殺と体罰の因果関係を遺族に認めたという。
橋下市長は両親と兄に面会し、その後取材に応じた。
これまで橋下市長は、自身の中高時代のラグビー経験を踏まえ、体罰を容認するともとれる
発言をしていたが、「気合が抜けているときにペナルティーを与えるのは体罰じゃなくて暴力だ。
考え方を改めないといけない。反省している」と記者団に語った。
また、自殺後に同校が行った生徒や保護者へのアンケートに「早く試合をやりたい」「顧問の指導を受けたい」との記述があったことを紹介。
「仲間が命を落としたのに、異常な世界だ。親が意識改革をしないといけない」と述べ、
スポーツ強豪校に子供を通わせる保護者側にも、体罰を容認する風潮があると指摘した。
生徒が残した遺書も見せてもらったというが、内容は明らかにしなかった。
橋下市長は「しっかり
こちらの謝罪の意を受け入れてくださった」と述べた。
▲補足、感想など
古代ギリシャで、アリストテレスが教師をしていた学校があった。
アリストテレスは、aという学生は叱り、bという学生は褒めて励ました。
贔屓(ひいき)ではないか—という批判に対して、アリストテレスは、学生にはそれぞれ個性というものがある。ある者は褒めてやる必要があるし、ある者には手綱を引き締めなくてはならないのだ---と。
さて、記事の内容に帰ろう。
筆者は、2つの指導者としての「要点」を提示したつもりだ。
バスケットでも、部員の能力を目一杯引き出さなければ、上位となることは難しかろう。
そして、部員各自の「潜在する能力」を引き出すためには、個々の能力とその「耐性」のようなものを指導者は見極めなくてはならないのだ。
表題で筆者が書いた「難しいなぁ」---というのは、この部分だ。
アリストテレスを例示するまでもなく、人間ってやつは様々だ。
5発殴っても平気な人間もいれば、2発殴れば切れる人間もいる。
だから。
指導者は難しい。
ただ、筆者は思う。
橋下さんのいうように、体罰がどうだ—と簡単にいえるようなものではない。
11人しか部員のいないなんとか高校では、ミスしたら監督が蹴飛ばしたかもしれない。
でも、それなくして甲子園にでれるはずもあるまい。
結局、教育は「綱渡り」なのだ。
教育とは、細い細いロープをバランスをとりながら、細心の注意を払って向こう側へ渡るものだ。うまく渡れるものもいれば、バランスを失って落っこちる人間もいる。
犠牲者というならそうだろう。しかし、やむをえざる「犠牲者」ではあるまいか。
※追記。
この件に関して、戸塚ヨットスクールの戸塚さんがコメントしている。それをご紹介したい。
また、末尾で筆者の感想を述べたい。
--ここから--
大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が顧問から暴力を受けて自殺した件で、戸塚ヨットスクールの校長・戸塚宏氏が、出演し 「あの子だけということは、あの子にも問題があったということ」と語り、波紋を呼びそうだ。
戸塚氏のフリースクール「戸塚ヨットスクール」では、暴力が原因とされる複数の死者が出ており、 刑事事件となり、有罪判決を受けたこともあった。
この日の「サンデースクランブル」で戸塚氏は 「(自殺者が)あの子だけということは、あの子にも問題があったということ。
本当に体罰で死んだかどうかもわからないですよね」などと述べた。
主将は昨年12月の自殺する前日に、1日で3、40発殴打されたことを母親に告げていることが、 大阪 市教育委員会の調査で判明。顧問教諭は数回として否定している。
橋下徹市長は100人態勢を組み徹底調査の方針を打ち出した。
また、政府も義家弘介文科政務官を大阪市教委に派遣することを決めた。
ここまで--
▲補足、感想その2
戸塚さんの言葉を「冷たい」--と感じるだろうか?
戸塚さんの言葉は重たい。
30年ぐらい前かなぁ。戸塚さんの経営しているヨットスクールで数名の生徒が死亡した。あぁ、数年前にも屋上から飛び降りてどうこう--という話もあったなぁ。
30才近くになって、とじこもりの子供をもつ親たちが、ワラにもすがる思いで、このヨットスクールの門を叩くのだ。
その人間のもつ「生きる力」というか「なにかをやりたいという活動への意思」を燃え立たそう--というのが、戸塚さんの考えかただ。その手段としてヨットがあるのだ。--と。
ところが、ヨットは危険なスポーツだ。
海に落ちで行方不明になる-とかがでて、戸塚さんは「懲役刑」となった。<生きる力を与えてくれ--と願ったが、死ぬまでやってくれとは言っていない--とか親のエゴが出てくるためだ>
ヨットスクールも解散した。
戸塚さんは刑を終えると、また、ヨットスクールを再開して、今に至っている。
人間というやつは、様々だ。
本人のもつ「精神力」も様々なのだ。
--脆そうでもろくない、強そうで強くない--
指導者というものは、だから難しい。
戸塚さんは、指導者として、いわば辛酸をなめた人だ。
生徒の内部の「脆さ、強さ」を充分にしっている人なのだ。
だから、--体罰で死んだかどうか分からないじゃないか--という言葉が言えるし、そう言える唯一の人でもある。
もう一度、繰り返そう。
教育は綱渡りである。そのリスクと犠牲は覚悟するしかない。