2013年1月2日水曜日

小沢さんは、とうとう首相になれなかった。


▲昨年末、安倍政権が発足した。
 うまくいけば、5-6年は続くであろう。
 ならば、小沢さんは、75才くらいになる。
 もう、首相などという地位につく可能性はあるまい。
 これで"在日の星"小沢さんの目はなくなったなぁ---とつくづくと思う。
 それは、また、筆者の「安心」へとつながる。
 竹下さん →金丸さん →小沢さん---と続く「韓国系・北朝鮮系」の人脈がともあれ、遮断された--ということでもあろう。
 やれやれ----

 以下、新聞から抜粋。

 生活の党の小沢一郎衆院議員は1日、都内の私邸で 開いた新年会で「衆院選では(第三極が結集していれば) 票数では自民党に負けていなかった。
 今夏の参院選に 勝負をかける」とあいさつし、反自公勢力の選挙協力 実現に向け調整に乗り出す考えを示した。

 出席者によると、小沢氏は「日本維新の会の橋下徹代表代行も、 みんなの党の渡辺喜美代表も(選挙協力の必要性を)分かって いなかったが、衆院選の結果を見て分かったのではないか」と指摘。
 「自民党の独り勝ちを許すわけにはいかない」と参院選での巻き返し に強い意欲を示した。

 新年会は、昨年は東日本大震災の被災地に配慮し取りやめたため、 2年ぶりの開催となり、現職国会議員では森裕子・生活の党代表ら 13人が出席した。
 当時の民主党幹部ら120人が駆けつけた 平成23年の新年会と比べると、小沢氏の“威光”のかげりを印象づけた。


▲補足、感想など
 「威光」---ってなんだ?
 小沢さんがネコババした日本国民の血税30億ドルのおこぼれにあずかるかもしれない—ということか。
 3000億円近いお金だ。うまく運用すれば、10-20人の国会議員など丸抱えできるであろうに。いや、年前の120人だってもしかしたら可能かもしれないなぁ。
 それにしても---と思う。

 年齢とは「残酷」なものではある。

 小沢さんという人は、30代の終わりか40代の始め頃に、「首相に」と推薦されたことがある。
 その時、小沢さんは「若すぎるから」--とこれを断った。
 この「断り」の理由の一つとして、まだまだチャンスがある---と考えたということがあるのであろう。
 しかし、以来約30年という歳月を経過したが、とうとう「次のチャンス」は来なかったようだ。
 その止(とど)めをさしたのが、今度の「安倍政権の成立」であろう。
 冒頭でふれたように、安倍さんの政権は恐らく5-6年は続く。
 すると、小沢さんは、どう考えても「首相となるのは無理な年齢」となってしまうのだ。
 お金をどれだけもっていても、「首相」となることはできない----か。
 う~ん。
 人生での一つの決断—ということか。
 小沢さんは、自分の30代末の「首相となることを断ったという決断」を振り返ってどう考えているのだろうか。
 残念だ—とか、思うのかな。
 「運命の女神の後ろ頭は禿げているのだ」---という諺は面白いなぁ。
 いやいや。---と筆者は思う。
 チャンスはあの時の一度ではなかった。
 チャンスは何度も何度もあったのだ。
 小沢さんという人は、自分の言動で、自分の政治的な姿勢で、その数あるチャンスを潰し続けてきたのだ。
 「運をつかめるかどうか」--ということも「自分の資質」というものの上に乗っかっているのだろうなぁ。