▲小津安二郎という戦前~昭和30年代頃、活躍した監督の名作をリメイクしたものだ。
前作は「東京物語」というものではなかったかな。
見た筆者の印象は—というと。
”俳画”のような映画だなぁ、と思う。
そして、世界にもっていっても、絶対に「売れない映画」だな、とも思った。
日本人は、世界的なレベルをはるかに抜き去って、もう、ハリウッドなどと別世界へ辿りついた民族だなぁ。
上で俳画と書いた。
日本画、陶芸、俳画、禅画、蒔絵、七宝などなど、日本の独自の、独創の美というものがある。
世界では殆ど、知られてもいまい。
日本人は、2千年の歴史を経てこの高さの境地まで辿り着いたのだな—と思う。
そして、日本という国・日本人は、世界各国から理解されない「孤独」の道を一人、歩んでいかざるをえない----そういう宿命を与えられた民族なのだとつくづく思う。
以下、粗筋とか、気になったところを箇条書きとしたい。
あ、小津監督の「東京物語」は昭和28年だ。
この頃の世代—戦争を経験した世代と、現在とを比較すると栄養とかもあるのだろうが、昔の人は速く老化していた。
この頃の世代—戦争を経験した世代と、現在とを比較すると栄養とかもあるのだろうが、昔の人は速く老化していた。
そうだなぁ。昭和40年代ぐらいまで、もう50才を越えると「本当の老人」だった。
リメイクとはいえ、70才くらいでこんなにヨタヨタするか?
い、粗筋にふれるとかいっても、ほとんど筋らしいものはない。老夫婦が東京に住んでいる子供を訪ねてきた—それだけの話なのだ。
ここらだな。
上で書いたように、筋らしいものは殆どない。だから、ストーリーで見せる映画ではないことが分かる。
それに替わるものとしての「映像美」「表情」「言葉」というものにこだわった—そういう映画なのだろう。
う、東京へでても老夫婦には特別することもない。ただ、二人で並んで座っている。
畳の上で、ベンチで、川の辺で、ホテルのベッドの上で-----。
え、家族愛—とか特別な言葉をつかわなくても、慎ましく確実に「愛情の」表現がなにげなくなされる。----日本人だけの「空気を読んだ」--そんな表現方法で。
お、まとめ
この映画が高く評価されるのかどうか---筆者には分からない。
そこにあるのは、平々凡々たる日常の暮らしであり、なにげない「愛情の表現」なのだ。---なんの特別なこともない、---ただ淡々とした。
小津監督が「東京物語」をつくった昭和28年という時代はどうだったのだろうか。
先の戦争の傷がやっと癒えた---まだ、高度成長が始まる前の「踊り場」のようなタイミングであったのかもしれないな。
今も、次の成長へ入る前の「踊り場」のようなタイミングなのかもしれない。
今、あらためて、日本型の「愛情表現」で家族の絆を確かめよう—ということなのかも。