▲もう21世紀にはいって10年以上を経過した。
こんな時に、中国の書聖、王羲之の書の写が見つかったそうだ。
王羲之って4世紀ぐらいの人だ。
もう真筆はないのだとか。
その写といっても7世紀頃のものらしい。
日本から唐の時代に渡った遣唐使の誰かが持ち帰ったものらしい。
8世紀として、1300年位前か。
それも、個人が所有しているのだそうな。
もう、値段もつけようもない品物であろうに。
以下、新聞から抜粋。
「書聖」と呼ばれる四世紀の中国・東晋時代の書家、王羲之の書の写しが見つかった。
東京都台東区の東京国立博物館が鑑定した。
筆遣いや文面などから七~八世紀の唐代に宮中で制作されたものの一部と
みられる。
王羲之の真筆は発見されていないため、その書風の解明に役立つ貴重な資料となりそうだ。
王羲之の字姿を伝える写しの発見は「妹至帖」以来、四十年ぶり。
縦二五・七センチ、横一〇・一センチの
紙に、三行にわたり二十四文字で書かれ、手紙の一部とみられる。
国内で個人が所蔵していることが分かり、t同館列品管理課長が鑑定していた。
冒頭の文字を取り、t課長らが「大報帖(たいほうじょう)」と命名した。
王羲之の写しと判断した根拠は
(1)写した文字の輪郭の内側を墨でうめる「双鉤填墨」という高度な手法で
書かれている
(2)王羲之の息子「期」らの名前や、よく用いた表現「日弊」がある
(3)「妹至帖」などに字姿がよく似ている
-としている。
内容は「(便)大報期転呈也 知/不快 当由情感如佳 吾/日弊 為爾解日耳」と読み取れる。
紙は、縦に線のある縦簾紙。
幕末から明治にかけての古筆鑑定の権威、古筆了仲が「小野道風朝臣
」筆と鑑定した紙が付されていた。
同館によると、遣唐使らがもたらしたとみられるという。
同館で開かれる特別展「書聖 王羲之」で初公開される。
<王羲之(三○三~三六一年、諸説あり)> 中国・東晋の書家。楷書、行書、草書を芸術的な書体へと完成させ、古今第一の
書家として「書聖」と称された。
優雅で力強い書風は、唐の太宗皇帝など歴代皇帝が愛好。
三五三年に揮毫した詩集の序文
「蘭亭序」が最高傑作とされる。
作品の多くは宮中に収集された後、戦乱などで失われ、真跡は残っていない。
貴族出身で地方長官
なども務めた。子の献之も書家で父と並び「二王」と呼ばれた。
日本には奈良時代に伝わり、和様の書風に影響を与えた。
◇鑑定したt東京国立博物館課長の話 王羲之の極めて精巧な模本は数が少なく、世界でも
十前後しかない。
今回の写しはその中に入るもので、模本としてのレベルが高い。字姿は本物に近いだろう。
▲補足、感想など
7世紀に中国でつくられ、それを遣唐使が日本へもちかえり、21世紀の日本でそれが確認できる----。
流れた時間とその間の歴史を考えると、「よく残ったものだ」とただただ感心する。
1300年以上ももつ「紙」か。
今ある記録メディアで、1300年ももつというか、時間の経過に耐えるものは存在しない。
恐るべし—紙--ということだろうな。
また、日本という国は、「歴史の宝石箱」のようなものだな。
遣唐使がもってかえった—という文言を聞くだけで、茫々たる時間の厚みに圧倒される。