2012年1月23日月曜日

大川小学校の事故を再点検。

▲昨年の東日本大震災の時、先生方、児童を含めて80人以上が犠牲となった石巻市の大川小学校というところがある。

 震災から1年になろうとする間際に、同市の教育委員会が「人災」の部分もあったと謝罪した。

 まぁ、結果として80名以上がなくなるという小学校という単位では最大の被害者数なものだから、なんらかのコメントを発表せざるを得ない…という立場であったのだろう。
でも…と筆者は思う。

 人間ってやつは、そんなに賢くはない。

 予想もしない事件事故に遭遇して、常に正しい判断ができる訳ではない。

 そういう人間のもつ「愚かしさ」を、津波というものの危険を常に抱えている土地では許容すべきではないのか。

 以下、新聞から抜粋。


 東日本大震災で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の
惨事について、同市教育委員会は、児童の遺族らへの説明会を開いた。

 同校の津波避難マニュアルなどの不備を認め、「人災の部分もある」として謝罪。

 説明会は震災後3回目で、前回から7カ月半ぶり。
 飯野川第一小学校で行われ、父母ら約70人が出席した。

 大川小が作成した地震・津波の発生を想定した「危機管理マニュアル」には、避難場所として「近隣の空き地・ 公園等」とあるだけで具体的な場所は明記されていなかったが、市教委は、マニュアルの指導・点検をしていなかったことの責任を認めた。

 また、災害時に児童を引き渡すための保護者の連絡先などを記す「防災用児童カード」が配布・回収されていなかったことも明らかになった。

 その上で、市教委は
(1)避難場所を定めていなかったことで高台避難が迅速に判断できなかった
(2)教職員の津波に対する危機意識が低かった
(3)過去の経験から安全と思いこみ、校庭に居続けた――と認定。

 再発防止策について、
(1)避難場所の実地踏査による点検
(2)教職員が適切に対応する能力の向上
(3)地域での防災の推進――などを挙げた。

 市教委によると、津波で被災した石巻市内の小中学校のうち大川小を含む10校が、津波の際の避難場所を指定していなかった。

 教育長は謝罪したうえで、「天災ということも考えられるし、学校管理下の大きな被災として人災という部分も考えられる。どちらかという判断はできない」と話した。

 当時、校内にいなかった柏葉照幸校長は「今回の事態は校長としての至らなさに原因がある」と述べた。

▲補足、感想等

 三陸海岸に「津波てんでんこ」という諺がある。
 てんでんこ…とは、てんでばらばらに逃げるという意味だ。

 これは生き延びる人間の数を増やすためのこの土地ならではの工夫・智慧なのだ。

 自分の思うように、他人をことを構わずにとにかく早く逃げろ…という意味だ。

 そのことで逃げおおせて結果として生き延びる人間の数が増えればいい。また、結果として死亡した人間の家族は生き延びた人間を恨まない…とい不文律なのだ。

 冒頭で委員会は、マニュアルがどうとか…言っているが、実際に、津波等という大きな災害に遭遇いた時、マニュアルがあろうがなかろうが、人間は常に賢く判断できるものではない。
大川小学校の先生方は、実際に川の方へ児童を誘導した形となった。

 このあたりだなぁ。

 津波でんでんこ…という「言い伝え」がどれだけ正しいか分かる。

 大川小学校で生き残った先生は、誘導された方向の反対側…山側へ逃げてからくも助かった。(この生き残った先生が非難されていたなぁ。しかし、これは上の津波てんでんこ…という意味が分かっていない親達からのものであろう)

 人間の生死を決めるのは、そんなマニュアルではないのだ。

 もっと本質的な意味での「常識」なのだろうなぁ。

 しかし、個人として常識があっても、集団の行動としては「非常識」となりうる。
 こう考えれば、大きな意味での「運」「不運」としかいいようがない。

 冒頭でもふれたが、人間は想定もしていない災害に巻き込まれたとき、必ずしも正しいというか賢明な行動がとれる訳ではないのだ。

 そういう人間のもつ「愚かしさ」を、「運」という名の下に許容してあげるべきでないのか。