▲さぁ、どうだろうか。
表題の問いに対して、筆者はなんとも答えることができない。
でも。
このブログで、よく、レニ・リーフェンシュタールという人を取り上げる。
30代にして、ヒトラーからその才能を認められた女優兼映画監督、70代にして水中写真家---という人だ。
なにが言いたいかというと、「本物の才能」というものは、一度や二度の失敗とか、挫折等にはめげないということだ。
繰り返し繰り返し、何度でも何度でも出てくる。
逆に言えば、一度や二度の挫折などに潰れるような人間は、「本物の才能」をもっているとは言わないのだ。
橋下さんという人が、「本物の才能」をもっている人かどうかは分からない。
でも、それに充分替わるだけの「本物の怨念」を胸の底深くもっている人だ。
以下、新聞から抜粋。
「大阪都構想」をめぐる対立をきっかけとした大阪市長の選挙で、
橋下氏が再選を果たしたが、大阪都構想が前に進むかどうかは不透明だ。
出直し選挙の強行によって、地方自治への流れが停滞してしまったことは間違いない。
日本の民主主義史上に残る無意味な選挙
3月23日にされた大阪市長選は、橋下氏が
新人を引き離して再選を果たした。
橋下氏は大阪都構想の来年4月実現に向け、設計図を完成させる考えだ。
しかし、橋下氏は意味のない選挙をやってしまった、と思う。
野党は「大義がない」として対立候補を擁立せず。
お金だけがかかった、恥ずかしい選挙だった。
投票率も23.59%。白票/無効票も6万7506票で対立候補3人の合計よりも多かった。
記録に残る無意味な選挙であった。
前回の選挙でも、「大阪都構想の実現」が大義名分とされていた。
「府市一体で大阪都構想」を進めるためであった。
そのダブル選挙で維新の会は圧勝したのだから、
大阪都構想を実現してくれると支持した有権者は思っただろう。
ところが、大阪維新の会は2012年9月に「日本維新の会」という政党を結成して国政に進出し、
展開を見せた。
とくに右寄りで自民党を脱藩したベテラン議員の集団「太陽の党」と合併して石原慎太郎氏と共同代表になったあたりか
ら大阪への関心が薄れて国政を視野に入れた動きや発言が多くなった。
2013年5月には、従軍慰安婦問題をめぐって橋下氏自身が発言をして、政治的混乱を招いた。
7月にサンフランシスコ市を訪問する前であっただけに、
米国でも女性団体の総バッシングに遭って訪米を断念する羽目に追い込まれる。
今では自民党をはじめ各政党や中央官庁の役人たちが橋下氏を怖がらなくなっている。
「橋下はもう台風の目にはなりえない」と、完全に見下している。
道州制、地方自治など予定されていた法案も先の議会で葬り去られた。
しかも、地元・大阪でも、橋下氏の神通力は消えてしまった。
次の選挙でにらまれたら怖い、というのが議員たちが橋下氏に従ってきた理由だから、
もはや市議会においても統率力は無くなっており、急速な「橋下離れ」が起きている。
つまり、彼が推進しようとしていた市バスや地下鉄の黒字化、
民営化などの動きも急速に鈍くなっているし、
議員たちは地元の赤字路線の撤廃には再び抵抗するようになっている。
大阪発のベンチャーを増やしていこうというまじめな取り組みも、協力企業の熱意が急速に萎んでいる。
これから先は、橋下氏が考えているような大阪都構想はうまく進まないだろう。
これまで以上に議会などがサボタージュする可能性が高まっている
大阪都構想に以前から反対している堺市だけでなく、他の自治体も従わないところが増えてくるだろう。
今回の選挙の直接のきっかけとなった「区割り案」に関しては甲論乙駁というより、
そもそも議論に向き合わない議員が続出し、
橋下氏は1人で区割り案を提出する羽目になるのではないだろうか?
▲補足、感想など
確かにK、大阪都構想なるものがうまくいくかどうかは分からない。
でも、と思う。
じゃ、大阪都構想へ反対している人にお尋ねしたい。
今のままの形の延長上に、「大阪という地に人を集め繁栄することができるのか」--と。
今のまま、現状がベストだ—というならそれでもいい。そう主張すればいい。
ないしは、大阪都構想なるものは机上の空論だ、オレのこのプランの方が余程マシだ—というなら、そのプランを示して頂きたい。
上掲の記事では、先日の大阪市長選は、「大義がなかった」とのこと。
大義がない?
そうじゃあるまい。
大阪都構想に対抗できるだけの「構想」とか「プラン」がないため出せなかっただけであろう。
ないしは、「現状の形がベスト」だと言えなかったからであろう。
また、橋下さんの慰安婦に関する発言についても、米軍司令官のいう「兵役についている者なら、性欲が抑制できる筈」という「建前論」に含まれた「ウソっぽさ」に反発してのコメントであろう。
そんな建前だけで、「性欲という本能」が抑制できるわけがない—という日本人的主張と、アメリカ人のもつキリスト教を背景にした「建前論」がぶっつかった議論であった。
これは後から橋下さんが撤回していたが、「キリスト教を背景にした建前論」という部分に理解が及ばす、安易に踏み込み過ぎたと反省したためであろう。
まぁ、都構想について、現在のところ、停滞気味なのは確かだ。
それは、都構想のメリットを大阪府民にうまく説明できないためであろう。
また、あくまで机上のプランである「都構想」というものを実施するためには、一直線には進展しまい。
手を変え品を変え、様々なアプローチを試みてやるしかあるまい。
冒頭でもふれた。
本物の才能というものは、繰り返し繰り返し、何度でも何度でもでてくる。
その繰り返しのしっこさに、現実というものが根負けして受け入れてくれるのだ。