▲英国の産業革命に実に200年も遅れるような大のろま頭脳。わざと難解にした漢字だけの漢文という不完全言語を採用して、高度な情報を他者に正確に伝えることもできない。今もって識字率30%の国民の大多数が無学文盲、無知蒙昧。ヤクザとゴロツキばかりが跋扈する荒涼たる無頼社会。それが中国、中国人。
20世紀半ば、自分の国を守るための武器すらも造れなかった、そんな大ノロマな中国人が、1940年代の日本のゼロ戦をどうたら---か。
もう、笑ってしまう。
まず、中国人の言いを聞いてみよう。
第2次大戦で活躍した日本の「零戦」、なぜ威厳が地に落ちたのか―中国
17日、斉魯晩報は、旧日本軍の零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」が第2次世界大戦の初期と後期で大きく評価が分かれた背景について論じた記事を掲載した。
2019年6月17日、斉魯晩報は、旧日本軍の零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」が第2次世界大戦の初期と後期で大きく評価が分かれた背景について論じた記事を掲載した。
記事は、「零戦は今もなお日本人の間で精神的なシンボルとしての地位を持っている。確かに第2次世界大戦の初期には上昇率の高さ、回転半径の小ささ、速さ、航続距離の長さで米軍を大いに苦しめた。
しかし日本人の零戦に対する評価は一面的なものであり、米国人は大戦後期の悲惨な戦績から零戦のことを『七面鳥』と呼んでいる」と説明した。
そして、「1944年6月19日、人類史上最大の空母決戦とされるマリアナ沖海戦が日米両軍の間で起こり、日本軍は空母9隻、艦載機450機などを集結させて米軍と戦った。
戦力では米国にやや劣っていたものの、日本軍の上層部は零戦の存在から戦局を楽観的に見ていた。ところがこの戦いで日本は惨敗を喫する。
米軍が123機を失ったのに対し、日本軍は戦闘機378機、空母3隻、タンカー2隻を喪失したほか、満を持して送り出した零戦が米軍のF-6Fになすすべなく敗れ、『マリアナの七面鳥撃ち』とまで称される体たらくだった。
これにより、太平洋の戦場における零戦の地位は急落したのである」と続けた。
その上で、「零戦の威厳が地に落ちた背景には、日本人の当初の設計理念が関係しているといわれる」とし、「戦闘機の設計では機体の強度や重量と敏捷性のバランスが大きなテーマとなる。
零戦の設計者である堀越二郎はその中間をとり、ある程度の強度と敏捷性を確保しようとした。
しかし、これに軍部が反対を示す。その理由は、『中庸な戦闘機を作っていては欧米に引けを取ることになる。帝国軍人の精神を十分考慮すべし』というもので、機体の防御性を犠牲にしてまで徹底的な減量化が図られたのだ」と説明した。
さらに、「その結果出来上がった零戦は、機体の総重量わずか1.6トンで、エンジン効率が米国の戦闘機よりも劣る中でそれに優るとも劣らない機敏な動作を実現した。
ここから零戦の神話が生まれていった。しかし、当時の日本軍はパイロットの命を軽視しており、経験豊かなパイロットを次々と使い込うんだうえ、配属されたばかりの新人もほとんど訓練を行わないまま戦場に送り込んで犠牲にさせていた。
マリアナ沖海戦当時、日本軍のパイロットのレベルはすでに極端に悪化しており、零戦が誇る機敏さを十分に生かせないどころか、機敏さと引き換えに防御性を失ったことで惨敗を喫することになった」と論じた。
記事は最後に、「零戦の悲劇は、日本のみならず全人類に対する教訓なのである。最も尊いものは人の命であり、それをいわゆる『奇跡』と交換しようとすれば、最終的に悲惨な代償を生む、という教訓だ」と結んでいる。
▲補足、感想など
けっ、中国人のもの言いに笑ってしまう。
なんだって。
「最も尊いものは人の命であり」云々か。
中国人にそんなことを言われるとは思わなかったな。
どうせ、中国人の愛国心なんてものは、うそ、はったり、みせびらかし、コケオドシだろう。
中国人の愛国心とやらの記事があったなぁ。
--ここから--
それは、「世界価値観調査(2005)」という調査で、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という
設問に「はい」と答える日本人の割合がなんと15.1%と、調査対象国24カ国中最低だったことに表れている。
ちなみにスウェーデンは80.1%、中国は75.5%、アメリカは63.2%である。
また、「あなたは○○人であることにどれくらい誇りを感じますか?」に「非常に感じる」「かなり感じる」と答えた人の数も、
日本は断トツに低い57.4%で23番目である。
中国人ほど、愛国心が薄い国民はない。
「愛国無罪」で反日行動をするのは、頭の程度が低いか、あるいは他の目的のカモフラージュである。
一般中国人のほとんどは、北京政権を嫌っている。酒を飲んで本音を聞けば、政府、共産党の悪口ばかりである。結局、いまは稼がせてくれるから愛国者のふりをしているだけだ。
その証拠に、成功しておカネをつかむと、彼らはどんどん国を出て行く。
--ここから--
日本人には、別にハッタリも見栄もない。
正直そうおもっているのだろうな。
あれ、話がどこかに行った。
ゼロ戦か。
まず、ゼロ戦をウイキペディアでみようか。
--ここから--
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は、第二次世界大戦期における日本海軍(以下、海軍と表記する)の艦上戦闘機。略称、零戦(ぜろせん、れいせん)(以下、零戦と表記)。
試作名称は十二試艦上戦闘機(略称は十二試艦戦)。
連合軍側のコードネームは「ZEKE(ジーク)」だが、支那事変(太平洋戦争勃発前の日中戦争)から太平洋戦争初期にかけ、2,200
kmの長大な航続距離・20mm機関砲2門の重武装・優れた運動性能で、米英の戦闘機に対し優勢だったことにより、敵パイロットから直訳の「ゼロファイター(Zero
Fighter)」や「ゼロゼロ(Zero
Zero)」と主に呼ばれた。
大戦中期以降は、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立やF4UコルセアやF6Fヘルキャットなど新鋭戦闘機の投入で劣勢となるが、後継機の開発の遅れで、終戦まで日本海軍航空隊の主力だった。また、用途も拡大し、戦闘爆撃機や特攻機としても使われた。
開発元は三菱重工業(以下「三菱」)。三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産、総生産数の半数以上は中島製である。生産数は日本の戦闘機では最多の1万機以上。
--ここまで--
1940年にできたゼロ戦は、他国に比して一世代をふっとばしたような飛行機であった。
それは、設計者の船越さんのセンスというものにのっかったものだった。
工作機械などの精度が、欧米より遅れていて、エンジンなどが弱かったということで、大戦の中期以降は、アメリカの新鋭飛行機に押され気味となったことは否めない。
ゼロ戦を含む日本の大戦時の飛行機についての書き込みがある。拾ってみよう。
--ここから--
257:>>54
対抗機を作ったのではなく対策をあみだしたが正解
当時の米軍機は格闘性能ではどうしてもゼロに勝てなかったが
急降下性能では大きく勝っていたことがテストでわかったから
格闘戦は禁止。上空からの一撃離脱戦法でゼロに対抗した
ゼロは急降下中の米軍機に追いつけない(空中分解する)からね
82:銀河と流星改の流れるようなラインは美しいと思う。
とあるミリタリー雑誌に、拳銃や兵器の美しさは微妙で絶妙なR(曲面)で成り立っている、という話が載っていたけど、
銀河は正直凄いと思う。
その分、町工廠の皆さんが苦労したけどさw
84:>>82
機首回りだと流れるライン(零戦、雷電)より
角張ったライン(コルセア、Fw190)の方が抵抗が少ないとか
98:>>84
コルセア、Fw190も名機だしな。
やっぱり馬力に物を言わせて引っ張るタイプのほうが効率がいいのかな。
雷電に関しては、経験不足から方錐系の胴体のデザインに失敗したといわれているね。
147:>>98
角張らせると前に負圧(引っ張る力)が生まれて結果的に抵抗が少なくと
Fw190の場合はこの力を冷却に利用(ファンで押し込んだ空気が逆流して一部はオイルクーラーを冷やす)
堀越技師もこの力の存在は分かってたらしいが
148:しっかし、昔の日本の兵器の命名者は本当に才能あるよな。
下手をすれば中二病とかDQNネームとか、後ろ指を指されかねないのに、実際につけられた名前は違和感はなくしっくり
来ているし実にカッコイイ。脱帽するわ。
69:日本もアメリカみたいに次々新型機投入すれば良かったのに烈風作るの遅すぎ
71:>>69
そこは工業国と農業国の差だから 仕方ないでよ
75:>>71
五式戦に相当する機体なら技術的には昭和18年の段階で
投入できたと聞く。
259:>>75
五式戦って設計時に液冷エンジン乗せようとしたけど液冷エンジンの性能が悪くて
しょうがないから空冷エンジンにして機体下部をちょこっと改造したら目標性能出せた機体だっけ?
結果からみれば昭和18年の段階で投入できたよなあ
262:飛燕のエンジンをすげ替えた
ハ-40(DB601の国産版)は当時の日本の工業技術では手に余るシロモノだった。空冷エンジンへの換装の結果、補機類が減って機体重量が軽くなり運動性がうp
稼働率アップが一番大きかったようだけど。
88:米国の予想を超える純粋な技術力で対抗した日本は
ライヴァルとして未だに高い評価ですよ
日本の零戦などとは空戦を避けねばならず
必ず高高度からの急降下で攻撃を加えてそのまま高速で離脱など
米国のプライドが傷つくほど日本の機体は高性能だったわけです。
コルヴェットがランエヴォに山道でぶっちぎられるような屈辱ですね。米軍のパイロットにも零戦(しかも著名な西沢や坂井)との空戦を挑んだ者もいますが。
90:スタイルでいうなら、
陸軍97式戦も悪くないよね
固定脚含めて なんかシンプルで素人でも操縦できそうな印象
116:海軍機なら零戦52型乙
陸軍機なら五式戦
空戦で来て強武装、防弾性能アップの52型乙以降は、完全に戦闘爆撃機型になっちゃって、鈍重になる一方だし。
飛燕は良い機体だが、整備班が余程優秀じゃないと命に関わるしw
94:日本の機体は訓練しまくらないとのりこなせない機体が多かったらしい。簡単なのは赤トンボ号ぐらいだったとか。
113:昔の日本軍の航空機は国籍マークの日の丸がデカデカとしててカッコイイ
今の自衛隊機は日の丸が小さくて蛾みたい
132:>>113
基本敵味方識別は目視ですから
対戦中後半は誤射しないように陸軍も海軍も主翼の全縁に黄色い塗装してたね
127:ゼロ戦の後継機開発しようにもエンジンが致命的に糞だってきいた
136:>127
エンジンじゃなくて燃料の質だってどこかで聞いた。ハイオク使ったらすげー好調だったらしい
231:アメリカはF6Fもコルセアもムスタングもそれぞれ1万機以上作ってるけど
日本は零戦シリーズ全部でやっと1万
ドイツさんだってBF109だけで3万以上作ってるのに・・・
232:一杯作っても、それに乗せるパイロットを養成するための練習機も足りなかったそうだな
何十人に対して赤とんぼ一機の割合だったとか
勿論末期は燃料も足りず、編隊訓練を自転車で行う有様だったそうな
233:>>232
練習機より教官不足の方が深刻。
教官たる優秀な人材は前戦から離れたがらず、次々と消耗するに
つれ、戦闘ノウハウが失われていった。
253:連合国を心肝寒からしめた、といわれてる零戦だが
実際のキルレシオをみるとF4F以降は負けてる
というか、F6F以降になると完全にやられキャラ化している。地上撃破の数なんかもキルレシオには含まれてしまうため、
実際はもう少しマシかもしれないが
いずれにせよ、みんなが思っているほど俺TUEEEEした機体ではない。まあ、機体スペックの差以上に、戦法の優秀さやパイロットの練度の差もあるけどな
256:>>253
搭乗員の練度に尽きるな
237:オクタン価の同じ燃料入れた一式戦は、零とほぼ同じ最高速度だったとか。
隼の活躍まで零戦の戦果扱いされているよね・・・
239:一式戦三型厨がきたぞーwと言われるけど、wikiネタで恐縮だけど、大戦末期になってくると隼の方が連合軍にとっては手強かったらしいな。二式戦は用途限定、三式戦、四式戦はややカタログスペック倒れ、五式戦と隼三型は実際に現場で使える機体というイメージ
240:>>239
隼は撃ち落とされ難かったみたいね
連合軍機を撃ち落とす事も出来なかったらしいがw
241:>>240
機速が遅すぎ&小回りしすぎwで、一撃離脱を主体としたアメリカ軍機は翻弄され続けた。ちょうど、零戦が中国大陸でデビューした際の戦闘と似ている。あれも旧式戦闘機相手につんのめって、射撃位置が
掴めなかった。
246:ここを読むと一撃離脱を仕掛けられてもヒラリとかわし、追い込んで格闘戦に持ち込むって感じだな。真っ直ぐ飛ぶだけの最高速はともかく、機動性はそうそうバカに出来ない物があったようだ
まあ、大戦末期でもこんな戦い方出来るのは僅かに残ったベテランならではなんだろうけどな
140:日本が大型戦車を造らなかったのは技術よりも、港湾設備など
社会インフラが貧弱だったからという話があるけど、飛行機も
同じかもしれない。 2000馬力級の戦闘機も造れないことはなかったが、前線に送っ
たあとに稼働率を維持できなかった。
229:99式20mm機銃はタイプによってメリットもデメリットも違う
調べてごらん
205:傑作機って
陸軍は疾風 海軍は紫電改?
264:>>205
陸軍の傑作機は2式戦鍾馗
海軍は・・・やっぱり零戦21型かな
269:>>264
傑作って程の機体でもねえだろw エンジンは困ったちゃんだし
格闘メインじゃないので格闘バンザイの上にも現場にも理解されず
序盤は航続距離が短いので活躍の場はなく
中盤以降は疾風があるのでいらない子
。B-29が日本に飛来する頃には性能不足
271:>>269
開戦時にドイツから輸入したBf109と性能テストして圧勝してるぞ。航続距離が短いという評価もあくまで日本軍基準の話で
アシカ作戦に投入してれば余裕で活躍できるレベルだ。当時来日したドイツ人技師が欲しがったくらいだぞ
265:零戦も52型丙からは一撃離脱重視の機体になったよ。
防弾装備もされて降下制限速度も米戦闘機並みに。
本土防空戦では米軍機ともキルレシオでそんなに負けてない。
213:たぶん小学生の頃に読んだ国語の教科書にある小説に
空爆に向かう米軍機をみた母親が「B29…」とかつぶやくシーンがあったけど
あの時代に日本人が機種名を知ってるの?
227:当時の新聞の縮刷版見ると解説記事が載ってたりする。サイパン陥落後あたりの朝日新聞で、B-17やB-29の飛来が予想されるとわりと冷静に解説記事がある。
222:航空朝日とか戦時中に発行されてた飛行機雑誌や、アサヒグラフみたいな写真雑誌を見ると、
日本軍機だけでなく連合軍機がえらく詳しく出てますよ。サービスがいいのは陸軍で、これが鍾馗だ!屠龍だ!とマニアックな解説をしてくれてます。婆ちゃんは「艦載機」と言ってた。
瀬戸内某所、造船所の近くに住んでたので、艦載機にはしょっちゅう機銃掃射を食らってたそうな。
224:戦中派は女でも軍関係のことよく知ってたりするよね
うちのバーさんはミハエル・ヴィットマン知ってたわ。しかもにわかな俺より詳しく
267:震電が半年早く完成してたら本土爆撃食らうのを
防げたかもっていう話に壮大なロマンを感じる
270:半年早くとなるとエンジンが誉しかなく性能的にイマイチなので
失敗機の烙印押されてるだろう 震電は未完成がロマン
--ここまで--
まぁ、先の大戦を振り返って思うのは、欧米に100年遅れたことで、例えば工作機の精度とか、インフラ整備につかう機械、例えばブルドーザーのような機械の不備不足につながる。全体にいえるのは、日本が貧乏というか富の蓄積が乏しいということだ。
それが、戦艦大和の使い方にも及んでいるし、兵糧を送るだけの手段の乏しさに発現している。
欧米からみて、丁髷を切って70年で、ゼロ戦・戦艦大和を建造できるとは想像もつかなかったのだろうな。
日本・日本人は、外から見たとき、その「実力」の分かりづらい国なのだ。
そのことが、日本人の苛立ちにつながり、戦争へとつながっていったということだろうな。