▲どうして、ひきこもりって、原因を他者に求めるのだろうな。
自分自身の問題だと分かっていても、他者に責任をなすりつける—という選択しかできないということか。
自分自身の弱さに基づく現象を、まともに「自分自身のこととして受け止める覚悟」がないということだな。
ふ~ん。
迷うなら、分からないなら「本を読め」
そういえば、「読書家のひきこもり」って聞いたことがないな。
そうか。
なにか、その辺りに、問題解決の方向性のようなものがあるのではないのかなぁ。
まず、表題の記事から抜粋。
2019/06/05(水
元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京都練馬区の自宅で長男(44)を殺害したとされる事件で、熊沢容疑者が警視庁の調べに対し、事件6日前に長男から激しい暴行を受けた、と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。長男はこの頃、「俺の人生は何なんだ」と叫ぶことがあったという。同庁は事件に至る経緯を詳しく調べている。
練馬署によると、長男の無職英一郎さんは中学2年の頃から家庭内で暴力を振るい始めた。大学に進学してその後別居した時期もあったが、事件1週間前の5月25日、自ら希望して実家に戻った。
捜査関係者によると、英一郎さんは家にこもってゲームで遊ぶ一方、26日には熊沢容疑者に激しく暴行。自暴自棄な様子で叫ぶこともあった。熊沢容疑者は妻に「長男に危害を加える」との考えを口にしたという。
隣の小学校で運動会が開かれた6月1日、英一郎さんが「うるさい。ぶっ殺すぞ」と発言。4日前には川崎市で児童ら20人の殺傷事件が起きたばかりで、熊沢容疑者は「子どもたちに危害を加えてはいけない」と感じたといい、午後3時半ごろ、包丁で英一郎さんを殺害した疑いがある。
▲補足、感想など
記事を読んでて思うのは、「ひきこもり」と「読書家」は両立しないということだ。
40歳にもなって「俺の人生は何なんだ?」とかいうか。
このセリフの子供っぽいことをみよ。
この事実は、この人、本を読んでいないということだ。
俺の人生は俺の人生さ。誰のものでもありゃしない。
自分の選択とか自分に関わるいろんな現象を自分のものとして、自分の責任として、自分の選択の結果として受け入れるという覚悟がない。
つまり、読書家は「ひきこもり」にならないということだ。
は~ん、と思った。
上の事実は、この本人が「ひきこもり」になりかけた時点での、親の対応の方向性がオカシイのだ。
「いいよ、休みたければ学校を休め。その替り、月50冊の本を読め。また、親・兄弟にはキチンと挨拶しろ」--とか筆者なら言う。
月50冊も本を読んでいれば、中村天風さんの自己暗示の方法も知るだろうし、他のいろんな手段を試みてみようとするだろう。
少なくとも、自分の選択が、自分の人生を形成する、そしてその結果は自分で受け入れるしかない—ということは理解できよう。
40歳を越えて「俺の人生はなんなんだ」式の「子どものような・幼稚なセリフ」を言わせるな。
進む方向に迷ったら、どうしたらいいか分からなくなったら「本を読め」。
そのことをキチンと自分の子供達に教えよう。