2019年6月5日水曜日

俺の人生は、俺の人生。誰のものでもない。すべては自分自身に起因する


どうして、ひきこもりって、原因を他者に求めるのだろうな。
 自分自身の問題だと分かっていても、他者に責任をなすりつける—という選択しかできないということか。
 自分自身の弱さに基づく現象を、まともに「自分自身のこととして受け止める覚悟」がないということだな。
 ふ~ん。
 迷うなら、分からないなら「本を読め」
 そういえば、「読書家のひきこもり」って聞いたことがないな。

 そうか。
 なにか、その辺りに、問題解決の方向性のようなものがあるのではないのかなぁ。
  
 まず、表題の記事から抜粋。

 2019/06/05(
 元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京都練馬区の自宅で長男(44)を殺害したとされる事件で、熊沢容疑者が警視庁の調べに対し、事件6日前に長男から激しい暴行を受けた、と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。長男はこの頃、「俺の人生は何なんだ」と叫ぶことがあったという。同庁は事件に至る経緯を詳しく調べている。
 練馬署によると、長男の無職英一郎さんは中学2年の頃から家庭内で暴力を振るい始めた。大学に進学してその後別居した時期もあったが、事件1週間前の5月25日、自ら希望して実家に戻った。

 捜査関係者によると、英一郎さんは家にこもってゲームで遊ぶ一方、26日には熊沢容疑者に激しく暴行。自暴自棄な様子で叫ぶこともあった。熊沢容疑者は妻に「長男に危害を加える」との考えを口にしたという。
 隣の小学校で運動会が開かれた6月1日、英一郎さんが「うるさい。ぶっ殺すぞ」と発言。4日前には川崎市で児童ら20人の殺傷事件が起きたばかりで、熊沢容疑者は「子どもたちに危害を加えてはいけない」と感じたといい、午後3時半ごろ、包丁で英一郎さんを殺害した疑いがある。

補足、感想など

 記事を読んでて思うのは、「ひきこもり」と「読書家」は両立しないということだ。
 40歳にもなって「俺の人生は何なんだ?」とかいうか。
 このセリフの子供っぽいことをみよ。
 この事実は、この人、本を読んでいないということだ。

 俺の人生は俺の人生さ。誰のものでもありゃしない。
 自分の選択とか自分に関わるいろんな現象を自分のものとして、自分の責任として、自分の選択の結果として受け入れるという覚悟がない。
 つまり、読書家は「ひきこもり」にならないということだ。

 は~ん、と思った。
 上の事実は、この本人が「ひきこもり」になりかけた時点での、親の対応の方向性がオカシイのだ。
 「いいよ、休みたければ学校を休め。その替り、月50冊の本を読め。また、親・兄弟にはキチンと挨拶しろ」--とか筆者なら言う。

 月50冊も本を読んでいれば、中村天風さんの自己暗示の方法も知るだろうし、他のいろんな手段を試みてみようとするだろう。
 少なくとも、自分の選択が、自分の人生を形成する、そしてその結果は自分で受け入れるしかない—ということは理解できよう。

 40歳を越えて「俺の人生はなんなんだ」式の「子どものような・幼稚なセリフ」を言わせるな。
 進む方向に迷ったら、どうしたらいいか分からなくなったら「本を読め」。
 そのことをキチンと自分の子供達に教えよう。