2013年1月20日日曜日

先生が暴力教師のような報道は納得いかない—と。


桜宮高校の自殺騒動はいろんなところに波紋を広げている。
 このブログでなんどもふれた。
 「殴ったこと」と「自殺」との因果関係を疑え—と。
 普通の高校生は、殴られたぐらいでは自殺などしない。
 そこに個人的ななにか要因がある筈だと。
 どうもこのあたり、冷静になって考えれば常識だと思うのだが。
 obの生徒から、先生を擁護する意見もでてきたようだ。
 なんどでも言いたい。
 こういう問題は、橋下市長が考えているほど、単純なことではない。
 「殴られた」→「自殺」だなんて、思考の流れがぶっとんでいる。
 ただ、自殺した個人及び家族の問題と絡んでいるので、曖昧なままで、そろそろ着地点を見出べきだと。
 まず、新聞から抜粋する。


 大阪市立桜宮高校で、男子バスケットボール部主将だった男子生徒が顧問から体罰を受けた翌日に自殺した問題は、橋下市長が「体罰ではなく暴力」と怒りをあらわにし、同校の教員総入れ替え人事を市教委に迫る事態に発展している。
 だが、「体罰は愛情の裏返し」 「マスコミは真実ではないことを書く」と涙を流して顧問を擁護するOBもいる。

 長年、顧問による体罰は、 教え子たちにとって単なる「暴力」だったのか、それとも「愛情ある指導」だったのか-。
 「生徒が亡くなったので全面的に擁護はできない。でも、体罰の裏側には愛情があった。
 先生が暴力教師のように報道されていることに納得がいかない」
 約10年前に顧問から指導を受けていた同校OBの男性は無念さをにじませた。

 顧問は体育系の大学を卒業後、平成6年4月に保健体育科教諭として採用され、同校のバスケ部顧問に就任した。
 平成15年以降、 全国高校総体に4度、同部を導き、新人大会中央大会(大阪府大会)でも20、21、23年度に優勝している。
 こうした実績から優秀な指導者として全国的にも知られ、16歳以下の男子日本代表チームのアシスタントコーチを務めたほか、 大阪高校体育連盟バスケットボール専門部の技術委員長としても活動していた。

 同校を“常勝校”へと育て上げる中で、顧問は生徒にたびたび手をあげていたが、長年、部内や学校で問題になることはなかった。
 保護者の1人は「上級生をたたいていた。気合をいれるためだと理解している」と話す。
 OBの1人も「先生にたたかれたときは、練習に身が入っていないなど自分自身に問題があった。
 先生からはフォローもあり、 うまくいったときには『おめでとう』『ようやった』と声をかけてくれた」と振り返る。

 現役部員も顧問への尊敬の念を言葉にする。
 「先生はバスケの指導がズバ抜けていたが、高校生としてどうあるべきかを教えてくれた。それは人としての気遣い。
 道を聞かれたら教えるだけじゃなく、一緒についていってあげるとかを教えてくれるような人だった」

「しかられ役」作り引き締め
 「試合前には選手のメンタル面にも気を配りたい。そこで重要になるのが、選手たちにかける言葉だと考えている」
 顧問は平成18年、バスケの専門誌に自身の指導法についてこう述べている。
 顧問は「勝利へ心ひとつに」というキーワードを挙げ、 仲間のミスを全員でフォローすることを意識した練習に取り組み、チームの結束力を高めていることを明かしている。

 だが、専門誌では触れられていない指導法があった。
 OBによると、顧問は特定の生徒を「しかられ役」として より一層厳しく接する手法で、チーム全体を引き締めていたという。
 自殺した2年の男子生徒は、立候補する形で主将に就任。
 学校関係者によると、顧問は生徒に対し 「主将はいやがることも率先してやるべきだ」など、主将としての理想像を生徒に対し繰り返し伝え、 「リーダー」に関連する参考書なども買い与えていたという。

 体罰も生徒に集中していたとみられており、生徒が自殺数日前に顧問宛てに記した手紙はこのような趣旨の記載があった。
 「ほかの人が同じようなことをしているのに自分だけがしかられる」「たたかれ、つらい」
 顧問は立っていられない状態で、校長らが抱きかかえて退出しようとしたが、顧問はそれを振り払って土下座した。校長らも一緒に土下座した。

 市教委が生徒の自殺を公表した以降、メディアは市教委や学校関係者への取材に基づき、顧問の体罰を連日報道。
 市教委は同校バスケ部や、別の体罰が発覚したバレーボール部の無期限活動停止を決めた。
 「マスコミは先生やバスケ部の真実を知らないまま報道していて許せない」。
 こうした事態にOBの1人は大泣きしながら訴える。

 OBの中には、顧問に対する処分軽減を求める嘆願書提出を検討する動きも出ている。
 顧問に対して批判とともに広がる擁護の声。
 だが、教育評論家のo氏は「体罰は法律違反。教育の場だけ認められるのはありえず、 議論の余地がない」とした上で、「体罰をありがたがっている卒業生もいるようだが、それは、私は、 人格をゆがめて卒業してしまっているのだと思う」と見方を示す。

 今回の自殺を受け、「部活動からの体罰一掃」を宣言している橋下市長もこう切り捨てた。
 「教員、生徒や保護者の意識の積み重ねでできた伝統が体罰を黙認して、生徒が命を落とした」


補足感想など
 教育評論家ねぇ。なにを偉そうに。
 また、橋下さんの表現も単純すぎる。
 ふん、と思う。
 殴ってなにが悪い、蹴っ飛ばしてなにが悪い。
 何度でもいいたい。
 「殴られたこと」と「自殺したこと」の因果関係を疑え。
 なにか、自殺した生徒に「思考がぶっとぶ」ような要因があるのではないか。
 普通の高校生は、殴られたぐらいでは自殺などしない。それくらいなら「退部」するさ。
 その思考の流れがオカシイだろう。非常識すぎる。
 筆者も決して楽しい高校生活ではなかったが、それでも「自殺」しようとは思わなかった。