2013年1月17日木曜日

どうして、指導者が謝らなくてはならないのか?


▲桜宮高校の生徒に自殺騒動はどうも変な方向へいくなぁ。
 どこらに核心があるのかな。
 「生徒が自殺した」--ということに回りが振り回されている--ということだろうな。
 そりゃ、確かに。
 一生徒が自殺した—という事実は大きい。
 しかしなぁ。
 だから、誰が生徒を自殺に追い込んだか—という論議となるのは、そりゃ違うだろう--と筆者は思う。
 もう一度、原則というか基本的なところから確認したい。
 それは、教育とか子育て—ということにはリスクはつきもので、まず、その「覚悟」をせよ—ということだ。
 今回の事件でもそうだ。
 まず、---今回の事件は、公立高校の部活でのこと--ということだ。
 部活なんて、そのことの好きな人間が集まって勝手にやっていることではないか。
 いやになったら、ヤメればいいことだ。
 だから、殴られる →いやになった →退部する  ---それだけのことではないか。
 対して、今回の場合、 殴られる →自殺  ---って、おかしいだろう。
 その思考の流れが。
 思考の流れがぶっとんでいる。そこに奇妙さというか、非常識さを感じる。
 失礼ながら、この自殺した生徒の方になにか大きな原因のようなものがあるのでは--と感じる。
 そりゃ、生徒の心理まで読めなかった—とか指導者が糾弾されるかもしれないが、まぁ、それは限度があるし。
 はっきり言おう。
 筆者は、この指導者は謝る必要もないし、学校から注意ぐらいは受けるとしても、それ以上、非難されることなどない—と考える。
 謝罪など、もっての外だ。
 もっと冷静になれよ。
 公立高校の部活の話だそ。
 橋下市長など、過剰反応しすぎる。

 以下、新聞から抜粋。

 「体育科の入試は中止すべき」という大阪市の橋下徹市長の発言には、首をかしげた。

 大阪市立桜宮高バスケットボール部の男子生徒が顧問の体罰を受けた後に 自殺した問題で、市長は「こんなことで募集を続けるのは大阪の恥」と言い切り、 体育科の定員120人を普通科に振り替える代替案を提示した。

 これを機にスポーツ指導の場で手を上げる悪弊を一気に根絶させようという市長の考えは わかる。
 しかし、今回は一指導者が起こした問題で、体育科全体の問題ではないはずだ。
 志願者の中には桜宮高で力をつけ、将来は日本を代表する選手になりたい、と思っている 生徒もいるだろう。

 昨年11月、当時の田中真紀子文科相が何の疎漏もなかった3件の大学新設申請を突如却下 (のち撤回)して混乱を招いたのは記憶に新しい。

 「大学認可のあり方を抜本的に見直す」 という意気込みはよかったとしても、方法論が間違っていた。
それと同じで、大人の都合で 生徒たちの夢を断ちきってしまうのはよくない。

 それにしても問題の体罰教師はどこで何をしているのか。

 人を何発も殴るほど血気があるなら、 隠れていないで表に出て「間違ったことをしていた」と謝罪したらどうだ。
 こういった 問題が起きるたびに教育委員会の幹部が出てきて形ばかりの会見を開くが、誠意が感じられず 腹立たしさを覚えることが多い。

 本人が自らの言葉で「体罰は間違い」と認めることが、防止へ一番の薬になるのではないか。
 いまの状態では殴った方が守られている感じさえする。
 顔を出すことに支障があるのなら 文書ででもいい。周りがどうこう言うより、本人が早くけじめをつけるべきだ


▲補足、感想など
 体罰ってなんのことだ。
 ふん、と思う。
 殴ってなにが悪い。蹴っ飛ばしてなにが悪いか。
 はっきり言えば、今回、たまたま精神的にひよわな生徒であることが見抜けなかった指導者が、因果関係すらも定かならぬ「自殺騒動」に巻き込まれてオロオロしているということだろう。
 橋下市長の今回の騒動に対する反応は、明らかに常軌を逸している。
 今回のことは、教育において「覚悟すべきリスク」の一つなのだ。
 これ以上、騒動を大きくすべきではない。
 誰が「生徒を自殺に追い込んだか」なとという視点で追いかけてはならない「騒動」であろうと思える。
 それよりも通常の生活に、通常の部活を早急に復活すべきだ。
 常識をもって、真っ当な対応をすべきだ。