2013年1月4日金曜日

3年余の民主党政権下で、日本で暮らすことは不愉快であった。


▲なんというか。
 日本を中心とする北東アジア域、自由と繁栄の弧の中の国々の「政治的な不安定さ」を創りだしているのは、日本で暮らす「韓国系、北朝鮮系」の人間達の工作によるものだ—という主張がある。
 こうして、”空白の”3年余の民主党政権というものを振り返ってみると、まさしくその主張が「正鵠を得ている」ことが分かる。
 この3年間を振り返って—という記事があった。
 まず、それを抜粋してみよう。


■強靱な頭脳と精神こそ国難救う

 思い返せば、3年余の民主党政権下の日本に生きていることは、不愉快であった。
 この期間はその不愉快さも極まったかの感があった。

 ≪日本の「常識」の大道を行く≫

 不愉快さの原因は、人間の卑小さばかりを見せつけられ、人間の偉大さや高貴さを示す事象が実に稀であったこと。
 日本人が日本に生きていることに誇りを感じさせることがなかった。
 そして、民主党政権を選択したのが日本人自身であることを思えば、国民の現状に絶望しそうになった。
 だが、安倍晋三自民党が大勝したことで、何とか絶望しきることがなくてすんだ。

 安倍政権に望むことは、日本の歴史と伝統に基づく日本人の考え方の「常識」という大道を歩むことである。
 憲法改正も安全保障も経済政策も教育問題も、日本人の「常識」から発想すればいいのである。
 逆に、この3年余の政権が、いかに非常識な考え方を振り回していたことか。
 亡国の悪夢を見ていたような気がする。

 内村鑑三は、「武士道と基督教」の中で「我等は人生の大抵の問題は武士道を以て解決する、正直なる事、高潔なる事、寛大なる事、約束を守る事、借金せざる事、逃げる敵を遂わざる事、人の窮境に陥るを見て喜ばざる事、是等の事に就て基督教を煩わすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである」と書いた。
 日本人の「常識」とは、「祖先伝来の武士道」を基盤としたものに他ならない。

 ≪「祖先伝来の武士道」今再び≫

 「正直」「高潔」「寛大」といった徳がどのくらい失われてしまっているか、「約束を守る事」ということが「近いうち」という言葉をめぐる騒動でいかに蔑ろにされたか、ということを思えば、「祖先伝来の武士道」に依って生きることも容易ではないのである。
 
 安倍自民党の公約に「国土強靱化」というのがあるが、インフラの老朽化は危機的な問題であり、それを解決していくために「国土」の「強靱化」は不可欠であろう。
 「強靱」という表現はいい言葉である。
 「強靱」という言葉には引き締まった語感がある。「強靱」には自らに厳しい節制がこめられている。

 今年の日本は新たな門出のときを迎えるが、その節目にあたって必要なのは、日本人の精神の「強靱化」である。
 領土問題や他の外交・安全保障の問題のような、眼をそらしてきた問題と堂々とぶつかる「強靱」な精神であり、本質的な議論を避けない「強靱」な思考力である。

 ≪小利口さではもはや通用せぬ≫

 横光利一が「今文壇で一番頭の悪いのが中野重治だ」といい、対して中野が「俺の頭は悪いかもしれないが、強い頭だ」と書いた。
 「強い頭」、これこそ今後の日本人に必要なものである。
 教育改革の要諦も、ここにある。
 戦後の日本の教育は、「いい頭」に価値を置き、「強い頭」を持った人間を育成することを怠ってきた。
 自分で考えず、ただ回転の速い、整理能力の高い、要領のいい頭を「いい頭」としてきた。
 しかし、こういう頭は、時代の風向きに敏感なだけの小利口な頭に過ぎない。
 日本も、もうそれでは通用しなくなった。

 内外の国難に取り組んでいけるのは「強い頭」に他ならない。
 「強い頭」とは、人間と世界の過酷な現実を直視する水平的な勇気を持つにとどまらず、その現実を貫く垂直的な希望を抱いているものだからである。


▲補足、感想など
 どうも、難解な文章となっているなぁ。
 キーワードは、「強い頭」らしいのだが、その意味はあまり明瞭ではない。
 武士道と絡めたような話だから、もっと日本人なりの・日本人が古来からもっている「常識」で判断する人間というか、頭脳をもて—という感じかな。
 鳩山さん、菅さんあたりを意識した表現かもしれないな。
 鳩山さんなどが「韓国系」であることに「対比」して、より「日本人」ということを意識付けているのだろう。
 それにしても—と筆者は思う。
 この3年余の間、鳩山さん→菅さん→野田さん—と韓国系・北朝鮮系の帰化人の首相だった訳だが、朝鮮系の民族というものの「他国へ(他民族へ)融合することのできなさ」--というものに、改めて驚かされる。
 ここまで「民族の血」というものが、人間の思考・判断というものに影響を及ぼすものなのか。
 アメリカでは、先年のバージニア工科大学での韓国系アメリカ人学生の乱射事件以来、韓国からの移民を事実上、完全に拒否している。
 この犯人の動機も「アメリカに馴染めない→アメリカ人がオレを拒否している→アメリカ人が憎い--という不満によるものだった。
 子供の時に移民しているから、言葉に訛りがあるとかではない。
 諺に「郷に入っては郷に従え」というものがある。ところが、韓国・北朝鮮系の人間は、「郷に入っても郷に従えない」--人達なのだ。
 悪くいえば、この固陋さ、頑迷さこそが「民族的特徴」だ。
 いや、話がどこかへいった。
 民主党政権下では、筆者も不愉快というより、いつも、ひやひや—していた。
 なにかドサクサまぎれに、外国人へ投票権を与える—とかされるのではないか。
 韓国・中国からの帰化を大幅に緩和するのではないか—など。
 安倍さんの政権下では、そういう心配がないだけ、安心できる。そのことがなによりも嬉しい。