20世紀末頃までか。
あぁ、つまり、日本が明治維新で、イギリスの産業革命に100年遅れて出発し、欧米列強と肩を並べるということを国家の目標とし、欧米諸国を追いかけ続けた期間ということなのだな。
100年の遅れを、150年近い期間を掛けて、おいつき肩を並べたのは、21世紀初めか。
(ついでにいうと、今の中国をみよ。イギリスの産業革命に200年遅れで出発し、約30年くらいで追いつき追い越した感覚でいる。どうして、自分たちが産業革命に200年遅れ、日本の明治維新に100年も遅れたのか、中国人自身が分かっていない。その理由も分からず、有頂天になっているのが現状だ)
話がそれた。
21世紀に入って、日本では欧米諸国でこうだった・・という説得の仕方では、日本人を納得させることができなくなった。
それは、狭隘な愛国心というようなことではなく、まぁ、あっちはあっち、こっちはこっちと分かってきたということであり、日本国内の事例とか歴史で判断する基準のようなものが確立したというようなことであろう。
そんな時代に、欧米諸国ではナントカという論法を振り回す人間がいる。
まぁ、参考程度と考えればいいのでは。
以下、新聞から抜粋。
マンションのターミナルバリュー(最終価値、残存価値)がマイナスに近づくケースが続出している。
日本では建物の法定耐用年数は重量鉄骨造りが34年、鉄筋コンクリート造りが47年だが、そのルールがはっきりしていないため、住民の一部が反対して建て替えができなかったり、 積立金だけでは大規模修繕もままならないといった理由でターミナルバリューがマイナスに近づいていく。
ところが経営コンサルタントの大前研一氏は、欧米では「築50年」の物件が高値で取引されると説明し、日本との違いを指摘する。
欧米の場合、マンションは「永遠の資産」という発想が前提にあり、パリ、ロンドン、ニューヨークなどでは50年前に建ったマンションが今でも高い値段で売買されている。
同じ地域でも新築マンションのほうが高いとは限らない。
たとえば、マンハッタンのセントラルパークに面したエリアのマンションは大半が築50年以上だが、1戸2億~5億円から値下がりする気配がない。
「永遠の資産」だから、欧米のマンションは室内を大改装するのが当たり前だ。
外観は古くても部屋の中は非常にモダンでピカピカになっている。
日本では、あれほどお金をかけてマンションの部屋をリノベーションするのは見たことがない。
理由は簡単だ。日本のマンションは50年経ったら建て替えなければならないから、わざわざ30~40年経った物件に 大金をかけてリノベーションする物好きはいないのである。
▲補足、感想など
ヨーロッパの中欧付近、イタリアとかトルコなどを旅行していても、鬱蒼とした森林をみることは殆どない。
例えば、レバノン杉などという名称が残っているので、森林はなかったワケではない。
そもそも遊牧民族は森林を嫌ったそうだ。
ゲルマン民族の大移動などいう4世紀から6世紀にかけて、ユーラシア大陸の真ん中付近からヨーロッパの各地へ遊牧民族が移動していった訳だが、彼らにとっては森林などというものは羊とかを育てるには邪魔なものだったのだろう。
それ故に、ここ数千年のうちに伐採され、森林が殆ど残っていない。
このあたりに、ヨーロッパ諸国では、家を建てるという場合の材料として主として石造りが採用される理由がありそうだ。
たしか、中世、木造の建物が都市部にあって、大火にあったという説明を聞いたことがあるなぁ。
遊牧民族ゆえの歴史、木造建物での耐火性などを踏まえて、西欧諸国では建築材料としては石材が主で、木材以外のものを使うということであろう。
だから、イタリアでレオナルド・ダ・ヴィンチの生家とかいうものが今でも残っているのだ。
それに対して、日本では木材というものが建物の材料の選択肢として大きく残っており、それとrc とかの費用対効果を比較・判断しながら暮らしていることが大きいように思える。
アメリカについて言えば、アメリカ大陸の土地の広さからすれば、土地自体の価値は小さい。
それゆえ、建物に価値の大部分がいってしまう。
ところが、建物の建築技術の見劣りというか、日本の大工さんほど丁寧な造りではないから、居住する人間が手間暇かけて家の手入れをすることで家+土地の価値が上がったり、そのまま維持することができるのだろう。
こうして、比較してみると、それぞれ国の事情により、建物の材料・建築技術の歴史があり、どこに価値があるかが異なることが分かる。
そのことは大前さんがいうような「欧米ではなんとか」・・・というような一括りにした単純なものではない。
日本には日本なりの理由があるのだ。
大前さんの意見は、参考として聞きはするけれと、ふ--んというようなものか。