ボランティアはボランティアではないか。
阪神大震災の時と比較してああだ、こうだ・・・といっているようだが、そもそも比較するようなことか。
なにか、必要以上にボランティアをあてにしている感じがする。
他人を、他人の好意をあてにするな。
カンバレ東北というのは、他人をあてにするという意味ではあるまい。
まず、被災者自身で、工夫して立て。
以下、新聞から抜粋。
被災地でのボランティア減少。
震災後の3カ月間に岩手・宮城・福島の3県で 活動したボランティアはのべ約42万人で、同時期に約117万人が活動した阪神大震災の約3分の1。
これがピークで、その後は一貫して右肩下がり。学生ボランティアが増えると見込まれる7月まで減少傾向が続く。
「ボランティアが足りません」。
「ボランティアが足りません」。
6月上旬、岩手県で活動する「遠野まごころネット」のメンバーは東京・中野でチラシを配った。
だが被災地の写真パネルの前で足を止める人はまばら。
連休後に訪れるボランティアはピーク時の3分の1。
「今後は仮設住宅に移った被災者の心のケアも必要なのに。 」
ボランティア不足の背景には、現地へのアクセスの難しさがある。
ボランティア不足の背景には、現地へのアクセスの難しさがある。
今回の被災地は都市部から遠く、広い。
宿泊施設のない集落も多く、安全面からテント設置や車中泊を認めない自治体も多い。
▲補足、感想など
阪神大震災の時、こうだったから・・なんて意味があるのか。
この記事の論調に他人に、他人の善意に対する甘えがある。
ボランティアというものは他人の善意に頼ったものだ。
風の向くまま、気の向くままであろう。
そんなことより、自分達で工夫せよ。自分の足で立て。
その地元民たちの覚悟をみて、ならば自分たちも・・・ということがボランティアの意味であろう。
まず、被災した人自身が、自分でなんとか立ち上がろうと努力せよ。
その姿を世間に見せよ。
それなくして、なにがボランティアか。
なにが関心の風化か。
本末転倒であろう。