▲中国人もノーベル賞が欲しいようだ。
今年も貰えそうもないので、「差別されている」とか思うらしい。
これはなぁ、と思う。
まず、自分自身を直視しろよ。
自分達が、なぜ英国の産業革命に200年も遅れたのか、なぜ、日本の明治維新に100年も遅れたのか、なぜ、日本の敗戦時から35年も遅れて改革開放政策が始まったのか…を。
そもそも、改革開放政策が開始されてまだ30年しか経過していないではないか。
しかも、インターネットにおいても情報を制限しているような状況で。
要するに、まだなんらかの果実が稔るのを期待するには早過ぎるのだ。
以下、新聞から抜粋。
中国のインターネットでノーベル賞は関心を集め、ユーザーたちはかなり自由に考えを述べ合っている。
「中国人はなぜノーベル賞を取れないのか」というテーマは最もホットな話題だ。
多くの中国人ユーザーが気にしているのは自然科学、経済と文学の分野。
中国人はまだ1人もこの賞を手にしていないということだ。
この事実は中国人のプライドを深く傷つけており、不満、怒りなどさまざまな感情を込めた書き込みが寄せられている。
今年のノーベル医学・生理学賞に、中国中医学院の屠首席研究員(80)が選ばれる可能性があると伝えられ、ネットで期待する声が高まった。
屠研究員は中国の古文書に記載された生薬にふくまれる成分の研究で成果をあげ、2011年度の米国のラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞という賞を受けている。
同賞の受賞者が同じ年のノーベル医学・生理学賞を受賞する事例が以前にあったことから、「科学分野での中国初の受賞者は女性」といった文章がネットに出回った。
しかし、今年もノーベル医学・生理学賞、文学賞ともに中国人は選ばれなかった。
なぜだめなのか。さまざまな分析が書き込まれている。
今日の中国社会は拝金主義が蔓延しており、学者が落ち着いて研究できる環境ではないとの意見もある。
さらに、中国の企業は外国の技術をコピーすることばかりしているので、研究開発に資金を投じないことが問題だとの書き込みもある。
これらの中国自身の問題点を指摘する意見に対し、「中国人は差別されており、研究者はいくら頑張っても評価してもらえない」「中国は意図的に外された」「ものすごく不公平感が残る」といったノーベル賞委員会を批判する意見が半分近くもある。
▲補足、感想など
中国人って、僻(ひが)み根性ばかり発達した民族だなぁ。
まぁ、自分達が解説しているように、拝金主義だとか、コピーばかりだとか…というのもあろう。
これはなぁ、と筆者は思う。
核心は、科学とか研究とかいうのは「積み重ね」だということだ。
日本の場合、一番最初は湯川博士だが、1949年の受賞だったと思う。
ならば、明治維新から約80年を経過している。まぁ、北里柴三郎博士などが受賞してもおかしくはなかったのだろうが、ノーベル賞創設のころで、日本人は極東の未開の土人扱いだったから、選考からはずされたものだろう。
日本が明治維新から、約80年でノーベル賞を受賞したというのは、外から情報をとりいれ始めてノーベル賞を受賞するという経過の一つのメルクマールであろう。
中国人は、1980年にトウ小平の改革開放政策が始まって、約30年を経過したばかりではないか。
なぜ、中国人って急ぐのか。
もう、20-30年くらい我慢し研究を積み重ねて当然ではないか。
1960-70年代、中国は文化大革命という混乱の中、4500万人にも及ぶ文化人を殺害・人肉食し、古典等の書籍をもやし、国内の多くの寺院とかの名刹を破壊しつくしたではないか。
1980年になって、トウ小平氏が改革開放政策に切り替え、そこから外国へ多くの留学生を送りだし、やっと科学とかまともに発展するようになったのだ。
一からやり直して、やっと30年を経過したばかりではないか。
日本の例をみよ。
明治維新から約80年もかかっているのだ。
中国人にノーベル賞が受賞できないのは当然だと思わないか。