▲広島市へアメリカ大統領がくる…という話があるようだ。
広島市長は謝罪を求めないと発言すると、おかしな市民団体から抗議を受けたという。
なにかおかしな時代がきた…なぁ。
韓国系か、北朝鮮系の人間が主となった団体であろう。
日本人の名前を使うな。通名を禁止せよ。
以下、新聞から抜粋。
市民団体「広島市政の刷新と文化行政を考える会」は、松井一実市長が米大統領の原爆投下への謝罪について「こだわらない」と発言したことに抗議する文書を市に提出した。
文書は、米国内で多数を占める原爆投下の正当化の世論に対し、「広島と長崎は対峙すべきだ。
謝罪と補償のない米大統領の広島訪問は不要」と指摘。
同会の小林正典代表は「原爆投下責任をどこまでも追及してほしい」と訴えた。
松井市長は記者会見で、米大統領の広島訪問について「被爆の実相に触れることが大切」と述べた。
▲補足感想など
ふ—ん。
例えば、日本人が前の戦争末期に原爆を完成させていたら、なんとかして、使用したろうなぁ、と思う。
戦争とは、いわば国として持てる力をぎりぎりにつかった総力戦だ。
もっているものがあれば、当然それを使うだろう。
そして、戦後にアメリカから日本人に対して「謝罪せよ」…とか言われても、それは謝罪という意味が違うだろうと思う。
ちょっとアメリカ相手にやりすぎたかな…くらいには思うかもしれない。
アメリカ人も、日本に対して、上で想定したような感じで受けとめているのだろう。だから、記事にあるように肯定的なのだ。
まぁ、日本人に対しては原爆を使用し、なぜドイツ戦・イタリア戦で使用しなかったのか…という問に対しては、人種差別という側面があったことは否定できまい。
未開のサル同然の劣等な民族だ…という見下した思いが当然あって、その点でドイツ人、イタリア人に使用するより罪悪感は乏しかったのだろう。
現在でもそうではないか。
日本のバブル崩壊など、日本人がアホだからだ。白人は優秀だから、あんなことにはならない…と日本の失われた☓☓年の時、言い続けていたではないか。
ついでながら、日本人が海外で暮らすことの難しさは、この白人からの蔑視になかなか耐えることができない…という点も一つの要因であろう。
話がどこかへいった。
話を戻して、要点を箇条書きとしたい。
1. 戦争とはお互いに自分の正義を信じて、国力をあげて戦うものだ。原爆があれば、日本も当然それを使ったであろう。
2. 戦争は結果として、勝ち負けとなるが、なんとか万人殺害したから、謝罪せよ…というものではない。戦争は善悪ではない。言わば、相手の態度に我慢できなくなって殴りあうものだ。
そもそも罪(つみ)なんかではないではないか。
逆に言えば、日本は戦争負けしていないから、<なんせ、二千年近い歴史で対外戦で負けたことなど殆どないのだから> 簡単に謝るのだ。
戦争をして、日本以外のどこの国が謝ったか。謝る国家など見たこともない。
3. だから、アメリカに謝罪せよ…なんとかいうのはピント外れだし、また、オバマさんはそんなことを無視するだろう。
4. この謝罪せよ賠償せよ…という言い方、在日の北朝鮮人韓国人の言い方とそっくりだ。
広島市政の刷新と文化行政を考える会、小林正典代表 という集団・個人らは、韓国系北朝鮮系の人間により構成されているのだろう。
こういうキチガイじみた・的外れの行動を日本人名でされるのは非常に不愉快だ。
通名ではなく、本名でやれ…と言いたい。