2011年10月19日水曜日

中国がアニメで反転攻勢を狙う。

▲中国がアニメで日本に対し、反転攻勢をかけるのだってさ。

 ふん、馬鹿馬鹿しい。身の程知らずメ。

 中国のもっている古典って一体なんだ。

 三国志? 西遊記 …って。

 あれだけか。

 売れるアニメをどうすれば作れるのか?ということが根底から分かっていないのだな。

 いやいや、これが中国人ってものさ。

 だからこそ、イギリスの産業革命に200年も遅れるのだ。だからこそ、アヘン戦争に負けるのだ。

 自分達が産業革命から2周遅れの民族だということをもっと自覚せよ。

 以下、新聞から抜粋。

 中国の若者の間で、日本など海外アニメの影響が強まることに焦燥感を抱く中国当局は今後、国内のアニメ産業育成を強化し、反転攻勢に打って出る構えだ。
 中国政府は2006年9月、日本など海外のアニメ番組をゴールデンタイムに放映することを禁止。

 当時、放映されていたアニメ番組の中で大半を占めていたとされる日本のアニメなどを事実上“追放”した。
 その後、国を挙げてアニメ産業を育成した結果、中国メディアによると、10年にアニメの制作本数は世界一になったという。

 今月23日からは東京で「中国アニメ・フェスティバル」を開催し、中国アニメを紹介する。
 また、13年までに中国アニメの歴史をまとめた「中国動漫博物館」を浙江省杭州市に建設する計画という。

▲補足、感想など

 この中国人のわけの分からなさが核心だろうなぁ。

 民族としてもつ理屈の分からなさというか、民族の特性としての頑迷さとでもいう表現が当たっているのかなぁ。

 為政者の頭が悪い…というのではないのだなぁ。

 これは中国という国の成り立ちのようなものに起因するのだろう。

 中国という国家は、中原で国家が成立し、文化が爛熟してくると、北から騎馬民族が押し寄せ、文化的な遺産を破壊し、民族は逃げまどうというくり返しであった。

 国が覆(くつがえ)るたびに、伝統とか文化が破壊され、技術や芸術を後世に伝えることができなかったのであろう。

 そういえば、中国は各地方に民謡のようなものがないのだそうだ。日本には草刈唄というようなものがあるが、中国にはそれこそなにもないのだと。

 結局、中国の歴史は上のような事情でブツ切りにされ、伝統とか文化の蓄積ができていない国家なのであろう。

 その蓄積のないことによる薄っぺらさが、民族としての行動の薄っぺらさとして顕在化するのだ。

 その例が、アヘン戦争であり、文化大革命なのであろう。いや、もっと近くを言えば、天安門での虐殺なのであろう。

 そこに顕著な特徴は、大衆の「知的レベルの低さ」だ。

 毛沢東も言っていたなぁ。

 教育を受けていない人間のほうが、扇動しやすい…とか。

 一部の優秀な人間が、その他の大衆を知的レベルの低いままにして、その大衆を扇動し、大衆から収奪する…という構造になっているのだ。

 今の共産党独裁なる政治構造でもそうなのだろう。

 太使党の政治家が主席となって、内陸部の知的レベルの低い大衆から収奪している形であろう。

 (現在、中国では文盲が1億人を越すくらい存在していて、小学校の有料化で文盲が増える状況にあるという)

 いや、話がどこかへいった。

 中国のアニメの話だった。

 中国の映画にせよ、アニメにせよ、その薄っぺらさの根底にあるのは、「文化とか歴史とかの蓄積による混沌」が小さいためだ。

 なぜ、小さいかといえば、上でふれたような3千年以上の歴史があっても、北方民族の侵入によってブツ切りになっており、文化が後世に伝承されていないためだ。

 日本のアニメの背景にあるものは、二千年に近い歴史と文化、芸術、技術などが、失われることなく後世に伝わってきたことによる。だから、「歴史・文化の蓄積が大きい」のだ。

 中国の三国志の映画などをみていると、この蓄積の差がよく分かる。

 中国人には、三国志を史実?通りになぞって作るということしかできない。

 日本ならば、同じテーマで、マンガに、アニメに、小説に、女性キャラに変えて…とか様々にバリエーションがでてくる。

 このあたりだろう。

 これが「蓄積の差」「混沌の大きさの差」なのだ。

 そのことを、中国人は意識的に無視しているのであろう。

 えっ、なんだっけ。

 動漫博物館…か。

 そんなものを作ればアニメが面白くなるか? 売れるアニメが作れるか?

 はっきり言って、中国のアニメは面白くない。もう数十年、日本を追い越すこと無理だ。