2012年3月29日木曜日

1年8ヶ月ぶりに死刑が執行された。

▲法相が交替して、2年近くぶりに死刑が執行された。

 当たり前のことだと筆者は思う。

 そもそも、死刑執行について、法相のところでグダグタ逡巡するような問題か—と思う。

 死刑執行に署名もできない人間を、法相に選ぶこと自体が間違いなのだ。

 もし、死刑という制度自体を廃止するというのならば、法律を変更しなければなるまい。

 では、国民の大多数が「死刑制度の廃止」ということを賛成するのか。

 この世の中には、とても人間とは思えないような行動にでる「人非人」がいる。

 そういう人達には、死刑という罰はやむをえないものであろう。

 以下、新聞から抜粋。

 関係者によると、死刑が執行されたのは、

 山口県下関市のJR下関駅で平成11年、15人を死傷させた上部康明死刑囚

 ▽横浜市で14年、元妻の両親ら3人を殺害した古沢友幸死刑囚

 ▽宮崎県で13年、女性2人を殺害し現金を奪った松田康敏死刑囚

-の3人。

▲補足、感想など

 日本の首相は、アメリカ、イギリス、中国などのトップより、表情が緩いのだとか聞いたことがある。

 その理由は、背中に負うている「職責の重さの差」なのだとか。

 アメリカの大統領ならば、イラク紛争でみるごとく自分の判断一つで他国へ攻め入り、何万人もの自国の若者を死に追いやることになるかもしれない。

 その責めを一人でじっと耐えなければならない----その「職責の重さ」が、表情に「厳しさ」を押し当てているのだ。

 対して、日本の首相は、負うべき「職責の重さ」が他国より軽いのだろう。それゆえ、「のほほん」という表情になるのだとか。

 いや、話がそれた。

 法務大臣というものは、日本の法制度というものを体現する職責を負うている。

 それは人間が人間を「死」に追いやることの決断の重さは分かる。

 しかし、それはアメリカ大統領が核のボタンをもっていることと同じだ。

 前の江田さんは、職責<<<個人の感情 という人だった。

 う~ん、職責より個人の感情が優先するなど—と。ならば法相に任命されることを拒否せよ。

 日本人の大多数が、「死刑制度の廃止」という選択をしない限り、法相とは、死刑を執行するという「職責」を担い続け、その決断の重さに耐えることができる人間でなければならない。

 日本の内閣で、アメリカ大統領の背負っている「責任の重さ」という感覚がもっとも理解できるのは、法務大臣かもしれない。