▲法相が交替して、2年近くぶりに死刑が執行された。
当たり前のことだと筆者は思う。
そもそも、死刑執行について、法相のところでグダグタ逡巡するような問題か—と思う。
死刑執行に署名もできない人間を、法相に選ぶこと自体が間違いなのだ。
もし、死刑という制度自体を廃止するというのならば、法律を変更しなければなるまい。
では、国民の大多数が「死刑制度の廃止」ということを賛成するのか。
この世の中には、とても人間とは思えないような行動にでる「人非人」がいる。
そういう人達には、死刑という罰はやむをえないものであろう。
以下、新聞から抜粋。
関係者によると、死刑が執行されたのは、
山口県下関市のJR下関駅で平成11年、15人を死傷させた上部康明死刑囚
▽横浜市で14年、元妻の両親ら3人を殺害した古沢友幸死刑囚
▽宮崎県で13年、女性2人を殺害し現金を奪った松田康敏死刑囚
-の3人。
▲補足、感想など
日本の首相は、アメリカ、イギリス、中国などのトップより、表情が緩いのだとか聞いたことがある。
その理由は、背中に負うている「職責の重さの差」なのだとか。
アメリカの大統領ならば、イラク紛争でみるごとく自分の判断一つで他国へ攻め入り、何万人もの自国の若者を死に追いやることになるかもしれない。
その責めを一人でじっと耐えなければならない----その「職責の重さ」が、表情に「厳しさ」を押し当てているのだ。
対して、日本の首相は、負うべき「職責の重さ」が他国より軽いのだろう。それゆえ、「のほほん」という表情になるのだとか。
いや、話がそれた。
法務大臣というものは、日本の法制度というものを体現する職責を負うている。
それは人間が人間を「死」に追いやることの決断の重さは分かる。
しかし、それはアメリカ大統領が核のボタンをもっていることと同じだ。
前の江田さんは、職責<<<個人の感情 という人だった。
う~ん、職責より個人の感情が優先するなど—と。ならば法相に任命されることを拒否せよ。
日本人の大多数が、「死刑制度の廃止」という選択をしない限り、法相とは、死刑を執行するという「職責」を担い続け、その決断の重さに耐えることができる人間でなければならない。
日本の内閣で、アメリカ大統領の背負っている「責任の重さ」という感覚がもっとも理解できるのは、法務大臣かもしれない。