▲元大リーガーの松井選手という人間をみていると、「人生の選択」ということを考えてしまう。
恐らく、松井というプレーヤーが考えている・いたことはたった一つだ。
アメリカ・大リーグで、「ホームランバッターでありたい」ということだ。
そのために、体重を増やした。
しかし、その体重でプレイするためには、アジア系の人間の骨格、靭帯等の強さが足らないのだ。
結局、もっとも負担がかかる膝をやられ、プレイできる時間を短くした。
体重が元のままであれば、アメリカでは中距離ヒッターであろう。
「ホームランバッターでありたい」という夢は、自分の選手人生を短くする「自分自身を痛めつける夢」でもあったのだ。
この一連のことは松井という人もよく分かっていて、覚悟していたことだ。
だから、覚悟の中味は、 ホームランバッターでありたい >> 選手として活躍できる期間の短かさ ということ。
筆者が上でふれた「選択」とはそういう意味だ。
以下、新聞から抜粋。
「カーン……カーン……」
バッティングケージ内に響き渡る、バットがボールをとらえる音。
打球がバッティング投手を保護するためのネットの金属枠を直撃する。
「キーン」という長く鋭い金属音がその場全体の空気を、揺さぶる。
時折、大きく息をし、呼吸を整え、バットを構える。
そこから一気に振り下ろし再びバットを上げる。
3月も残すところあと1週間あまりとなった。
温暖な地で行われているアメリカ大リーグ各球団のスプリングトレーニングが佳境を迎えつつあるこの時期、まだ寒の残るニューヨークで独り、 黙々と自主トレに励んでいる野球選手がいる。
松井秀喜選手である。
2月に渡米、そのすぐ翌日から現地での自主トレを始め1ヶ月が経った。
その間300スイングをこえる打ち込みを行う日々を重ね、来るべき「その時」のために、トレーニングを欠かさずにきた。
しかし。
「その時」はまだ、来ていない。
日本でのプロ生活をあわせると今季はちょうどプロ生活20年目となる。
節目の年に松井選手は、みずからの野球選手としての存在のかかった正念場を迎えている。
「現実を受け入れるしかない……現状を受け入れながらも、日々準備というか練習をしていくしかない。」
「まだプレイをするという意思がある以上は練習しかない……ただプレイしたい、
まだプレイしたいって、それだけ」
昨年のオフシーズン、これからの野球人生について松井選手はこう語った。
「野球が好きだし、野球で今までずっとここまで来たわけですから……ということはやっぱり野球で結果を出して自分自身を証明する以外ないです」
「みずからの真骨頂を見せるために」
「けがをする前よりもっとよい選手となるために」
お日様の姿さえ見えない室内ケージ。
300球を超えてもなお変わらずに響く、まだまだプレイしたいという心の声。
▲補足、感想など
失礼ながら—と筆者は思う。
松井という選手が、大リーグで選手を続けることはもう無理であろう。
野茂なんてどうしていたろう。それこそ、アチコチでやっていた—という記憶がある。彼もとうとう現役が続けられる限り、外国にいた。
松井という選手もおそらく、現役が続けられるかぎり、外国でプレイするのではあるまいか。
冒頭でふれたように「ホームランバッター」でありつづけたいという「夢」が、自分の現役でおられる時間を短くするものだとしても、
自分の「人生の選択」であり、その「選択」に対して潔くありたい—と考えているのであろう。