▲中国って奇妙な国だな、と思う。
中国政府の例えば、日本の尖閣諸島絡みとかベトナムなどへの攻撃的な対応とか、報道官の他国への高圧的な言い方をみると、なにか、その裏側に自国へのなんらかの思いがあるように見える。
ところが、一般の国民は国への思いが奇妙なほど希薄なのではないか—と思える。
このギャプは一体なんなのだろう。
中国人という民族は、まるで「砂」のような人達ではないか。
国家というものに「魅力」がないのだろう。
だから、国の指導者とか、日本にいる中国人の教授などが、無理して「求心力」のようなものをでっち上げているようだ。
ところで、中国内陸部の砂漠化が激しい。
あれだけ国土というものを痛めつければ、もう、人間が住めない地域が増えていそうだ。
愛国心をもたない、まるで砂のような民族は、住めなくなれば、環境のいいところへ逃げ出せばいい—としか考えていない。
日本は中国人のこれ以上の増加・帰化などを制限すべきだ。
中国系の帰化人となっても、日本の環境が悪くならば、更に逃げ出せがいいとしか考えてはいまい。
まず、2つの記事を抜粋する。
21世紀の中国は、世界中がその一挙手一投足に注目する超大国だ。
本来であれば、中国人は世界のどこに行っても大事にされるはずなのだが、各国でその真逆の反応が起きている。
アフリカでは中国人の1人や2人、殺しても平気だと思われているらしい。
特に欧米人の差別意識はひどい。中国人はなぜ、ここまでばかにされなければならないのか?
フランス在住の中国人によると、まず「すみません、日本人ですか?」と丁寧な態度で聞かれる。
「違う」と答えると、「では、韓国人ですか?」と続く。
だが、それでも「違う」と返すと、 「じゃあ、中国人だ」と途端に失望した様子で言い放たれるそうだ。
これは作り話でも何でもない。我々は明らかに日本人や韓国人より「下」に見られている。
外国人は中国人を見下している。これは争う余地のない事実である。
主な理由を3つ挙げると
(1)どこでも声が大きい
2)列に並ばない
(3)不潔、
になるだろうか。
欧州のある国では、どこのトイレに入っても「並んでください」「流してください」「手を洗って下さい」と呼び掛ける中国語の注意書きがあった。
外国人が抱く中国人のイメージは非常に悪い。
海外では「中国人お断り」のホテルまである。
欧州に行くと、たいていのホテルは中国人の団体客だけ別の会議室のような場所で食事をさせる。
世界各国の観光客に対する好感度ランキングでも、日本人はトップだが、中国人は後ろから2番目だ。
そう考えると、海外に出かける中国本土の人間は、できるだけ国籍を隠し通した方が得策だ。
韓国人とでも言っておけばよいし、台湾人や香港人でも構わない。
欧米では日本人のふりをしてもバレないだろう。
□ 次に、日本にいる中国人教授の記事を抜粋したい。
2012年4月10日、毎年行っている 「日中共同世論調査」で、日本人の対中好感度が昨年、急激に下がった原因について、中国の大学教授が 「GDPの日中逆転という現実を受け止めきれていないため」との見解を示している。
昨年8月に発表された世論調査の結果によると、中国に対する好感度について、 日本の一般市民20.8%と有識者40.6%が「どちらかといえば良い」と回答、それぞれ前年より6.5ポイント、 10.8ポイント下げた。
こうした日本人の中国に対する好感度の急落について、劉傑早稲田大学教授は 「歴史認識、領土問題、経済・貿易、食の安全などいくつもの要因が絡み合っている」としながらも、 「国内総生産(GDP)で中国に追い抜かれたことが、日本社会に大きな衝撃を与えた。
30年ほど前に対中経済援助を始めた当時は考えられなかったことだろう」と指摘する。
だが、こうした現実を「日本政府はとても冷静に受け止めている。
だからこそ、中国に対して、 世界第2位になった以上はそれなりの責任と義務を果たすよう、あれこれ注文を付けてくるのだろう」 としたが、民間はまだその域に達していないとの見方を示した。
その例として、「3月中旬に日本メディアが世界銀行の重要ポストに中国人が就いたことについて、 『また中国人か』といった論調で取り上げた。
一部の日本人が中国の発展に対し、嫉妬心を覚えているのは確かだ」とした。
その上で、「日本メディアや国民がこの現実を受け止め、気持ちの整理をつけるまでにはあと10~20年はかかるだろう。
その間、中国は慎重で謙虚な姿勢で周辺国との関係を処理していかなければならない」と指摘している。
▲補足、感想など
上の記事を読んでどう思われたであろうか。
ある現象がある。その現象にどう対応するとかどう解釈するか—というところで、中国人って外れているというか、斜め上にいっていないか。
その部分に中国人の国への思いとか、日本人と比較しての劣等感・優越感とかが複雑にないまぜになっているような気がしないか。
上段の記事では、中国人は嫌われている →じゃ、日本人のふりをすればいい—というのだ。
えっ、と思う。
中国人は自らが嫌われる理由を知っているのだ。ならば、それを是正するというのが本来の対応方法であろう。
日本人が同様の理由で評判が悪いというならば、日本人であるのならば、まず、自分から、次には自分の子供の躾から直そうと努力するだろう。
嫌われている → じゃ、日系アメリカ人のふりをしようか—なんぞ、頭にすら浮かびもしない。
さて、核心はどこにあるのかな。
中国人にとって「個人の損得勘定」しかないということだろう。集団とか国への帰属意識というものがないのだ。だから、簡単に嫌われている→じゃ、日本人のふりを—となるのだ。
後段は、中国への日本人の好感度が減少した。これはgnp で中国が日本を追い越したため、日本人が嫉妬しているためだ—というのだ。
ふん、嫉妬—だとさ。
この劉傑という大学教授はアホじゃないのか。本当に日本の大学で教授をしているのか。(どうも中国の対日工作員ぽいなぁ)
意図的に解釈しているのかもしれないな。中国人からすれば、日本人から「嫉妬」されるというのが嬉しいのだろう。
日本人からすれば、対外国への好悪について、「嫉妬」といういかにもプライベートな感覚で解釈するという「やりかた」が理解できない。
このあたりだな。
2つの記事で共通しているのは、いずれも「個人的な対応」「個人的な意識」ということなのだ。
そこに集団(国)への帰属意識というものが極めて薄い事が分かる。
ここで冒頭の感想に逆戻りする。
なるほど、中国人という民族は、個人個人がバラバラになって存在する—まるで砂のような人達なのだな。
国とかなにか大きなグループに求心力がないためであろう。
19世紀、アヘン戦争の頃に、「勤王の志士」も「新選組」も中国には出現しなかった理由がよく分かるではないか。
こういう民族に「愛国心」などある訳があるまい。つまり、国というものが「求心力」をもっていないのだ。
冒頭で中国内陸部の砂漠化にふれた。また、中国臨海部の海の汚染もひどいものだ。
国に・国土に対して国民一人一人が愛情をもっていないためであろう。
さらに輪をかけて、1960-70年代での文化大革命で、数千万人の文化人・職人達を殺害し、1980年台以降の一人っ子政策で我侭放題の小皇帝を大量生産することで、ここまでモラルの低下した国民を多く生み出したのだ。
そういう中国を日本人が「嫉妬」していると思うか。
中国人は、みずからの「愛国心のなさ」「モラルの低さ」で国土を砂漠化し、その荒廃した国土の中で徐々に衰退していくものと思える。