▲いや、某タレントの生活保護の問題から、まぁ、手をかえ品をかえて、擁護派の湧くこと湧くこと。
いずれも韓国系か北朝鮮系の人間であろうが、まぁ、これだけ言論人の中に多く存在しているのだなぁ。
日本人って、ことさら、言挙げするというのが苦手なものだから、今までは、なんとなく言いくるめられていたのだろうなぁ。
インターネットのお陰で、この朝鮮系の擁護派が誰なのか—隠されていた姿をくっきり現した感じだなぁ。
以下、新聞から抜粋。
年収数千万円とされるお笑いk等の 「母の生活保護受給問題」。
この騒動を受けて、国は扶養義務の強化に言及し始めた。
果たして子供はどこまで親の面倒を見るべきなのだろうか?
世界を見渡しても、国によって扶養義務に対する考え方はかなり違う。
国立社会保障・人口問題研究所のaさんによれば、なかでも日本の制度は特異な例だという。
「親が子供に対して扶養義務を負うのは各国に共通していますが、子供が親に対して扶養義務を負う国は少数派だといえます。
日本のように、家族に扶養照会がいくというのは、先進国ではかなり珍しいケースです」
例えばアメリカやイギリスでは、扶養義務は夫婦間と子供に対してのみ発生する。
ドイツでは親と子供には互いに扶養義務があるとしているが、きょうだいは扶養の対象外だ。
こうした現状を踏まえて、aはこういう。
「家族のなかで助け合うのは素晴らしいことですし、日本の社会の美徳です。
しかし、それを国から強制されるのはどうかと思うんです」
千葉大学地球環境福祉研究センター長のk教授も、生活保護の扶養義務については、 制度や政策の前にまず「モラルの問題として議論してほしい」と話す。
「生活保護を個人の権利のように考えると、親に対する扶養義務が無視され、生活保護を受ける人が激増して、財政的な問題が生じます。
結果、河本さんのような問題が起こると“厳格に運用すべし”という議論が出てくる」
kさんによれば、いまの日本の生活保護制度は「コミュニタリズム」に基づいているという。
コミュニティーがあり、家族の上に自治体があり、国家がある。
まずは家族というコミュニティーで扶養しましょう。それが無理なら自治体と国家が面倒を見ましょうというシステムだ。
「このシステムの中に、“もらえるものはもらっておこう”という自己中心的な考え方がはいってきてしまうと、 制度自体が破綻して、本当に困っている人がもらえなくなって悲惨な状況になる。
この制度を支えるのは人々のモラルなので、そのことを自覚してほしい」
▲補足、感想など
まぁ、後段の千葉大学の教授の意見がまともなのだろうなぁ。
それもしても、前段の部分の扶養義務という議論からもってきて、欧米ではどうたら—なんぞ、いつの時代の話か—と思う。(欧米ではなんとか—なんぞ、2000年までしか通用しない。日本は日本、アメリカはアメリカ。そもそもまともな生活保護の制度が日本以外にあるのか)
論点を反らしてやろう—という気が満々だな。
これは、制度自体がもう時代にそぐわなくなっているのだろう。
橋下さんが、生活保護は給付するとしても、その金持ちの息子から相当額を徴収しよう—という意見を述べていたが、ひとつの方法だろう。
ザルのように生活保護を与えていれば、必ず破綻する。
抜本的に制度を見直し、橋下さんがいうように、親族で充分な収入を得ている人間から徴収して、それを給付に回すということも考えよ。