▲大阪で、自殺できないので、死刑になりたい—という半気違いのような人間が2人を殺害するという凄惨な事件が起こった。
たまたま通りかかったばかりに殺害された方々に対し、深く哀悼の意を表したい。
新聞で、この犯人の半生を読んでいて、「星を掴もうと思う」という言葉を思い出した。まず、その言葉をご紹介したい。
--ここから--
星を掴もうと空に手を伸ばしても、恐らく掴むことはできないだろう。
しかし、高く掲げたその手は泥を掴むこともまた無いのだ。
--ここまで—
どう解釈すればいいのかなぁ。
若い頃に、星空を見上げながら、あの星を掴みたい—と願う。たしかに儚い夢で、結局は星を掴めなかった。
しかし、上を向いて、星空に両手を差し伸ばしている限り、犯罪に手を染めるという考えも浮かんではこないのだ—ぐらいかなぁ。
以下、新聞から抜粋。
何の罪もない人々が犠牲になる通り魔事件が、また発生した。
殺人未遂容疑で現行犯逮捕された礒飛京三容疑者は「誰でもよかった。殺して死刑になりたい」などと身勝手な動機を供述した。
礒飛容疑者は覚せい剤取締法違反罪で服役していた、新潟刑務所から今年5月下旬に出所したばかり。
知人がいる大阪市を訪れ、 「たまたまたどり着いた」という同市中央区で事件を引き起こした。
「通帳の金を20万円引き出し『もうこれしかない。生きていくにはどうしたらよいか』と包丁を買った」と話し、自殺を図ろうとしたと。
事件については「仕事も住むところもない。死ぬしかない」と出所後の生活苦を動機に挙げ、 「人を殺せば死刑になると思った」と供述。
中学で1年後輩だった会社員は「俗にいう不良。やっかいな先輩だった」と振り返る。
礒飛容疑者は中学卒業後、地元の暴走族グループに入った。
グループの後輩だった自営業の男性によると、「総長」として約30人のメンバーを従えた。
成人後は暴力団にも加入したという。
新潟青陵大教授は 「礒飛容疑者も人生に絶望し世の中を逆恨みした『ある種の自殺』と考えられる。
▲補足、感想など
ニュース映像などをみていると、気の弱そうな通常人の顔をしている。なんというか、根っからの極悪人では多分無いのだろう。
別のニュース源では、小学生の頃、母親をなくし、父親の仕事が倒産したらしい。以後、中学生の頃からは記事に書いてある通りだ。
子供の頃、両親がどうこうなんて人間は一杯いるだろう。
だから、それ以降は、冒頭でふれたように「星を掴みたい」と思うかどうか—で人生が左右されてしまうのだろうなぁ。
子供の頃、星空をみあげながら、あの星を掴みたい—と思わなかったか。
星空に向かって、両手を高く差し伸べている限り、覚せい剤なんぞと縁もあるまいに。