▲なにかエラク大仰な言い方をしたがる人がいる。
表題のいいなんて、そうだろうなぁ。
自民党の元国会議員が橋下さんを批判しているのだが、その批判のしかたというか内容がなぁ。
まるで「引かれ者の小唄」のような感じなのだ。
この人は、橋下さんの人気の核心部分が分かっていない。
橋下さんの人気の核心部分は、そのもつ「構想力」と「突破力」だ。
橋下さんに対抗しようと思うなら、橋下さん以上の「これからの大阪をどうする」「これからの日本をどうする」という「新構想」を皆の前に提示してみよ。
それができないなら、表題のようないかにも—という言い方はやめることだ。
自分で自分の能力の無さを、世間の向けて明らかにしているようなものだ。
以下、新聞から抜粋。
いまや橋下市長を敵に回したくないマスコミ 批判記事を書いたら飛ばされる? 大阪に何が起きているのか
○山 橋下氏が、僕は敵を作りたくないが、向こうから出てくると反論した部分ですが、私はそうは思いません。
かつて橋下氏が大阪府知事選に出馬する際、応援してくれということで、1000人集会を開いて橋下氏を一生懸命応援した、終わった後は「ありがとう」でもなかった。
橋下氏は自民・公明党の推薦を受けて出馬しましたが、当選した途端に一転して険悪ムードを演出した。
憲政記念館で自民党の菅氏に「自民党の地方分権のマニフェストは0点だ」と言ったのも覚えています。
あれだけ菅氏にお世話になっておきながら、そこまでやるのかと思いましたね。
思うに、橋下氏はGNO(義理・人情・恩返し)が0点です。冷徹すぎると思いますよ。
もっと反省すべきだし、メディアもはっきりとモノを言う必要があります。
○西 今は橋下氏を敵に回したくないと考えるメディアも多いのではないでしょうか。
○山 あまり表に出ていない事実ですが、橋下氏の批判記事を書いた記者が次々と人事異動でいなくなっています。
NHKや産経新聞、毎日新聞もそう。近畿エリアで一体、何が起きているのでしょうか。
大阪の民主主義は死んだ、なんて言うとまた批判されそうですが。
○西 これまで、大阪発で全国に発信できるニュースがなかった。今は唯一、橋下氏の話題だけがある。
そういう意味でメディアは重宝する、批判的な記事を書いた記者を異動させることはあり得るんじゃないでしょうか。
▲補足、感想など
橋下さんを批判したら、飛ばされる—って。
なに言ってんだ。昨年の大阪府市の統一選の前にどれだけ、橋下さんへの誹謗中傷をやったか。
覚えていないのか。それなら昨年の記事を転記してみよう。
--ここから—
橋下府知事の記事が相次いでいる。
大阪府の橋下徹知事に逆風が吹き始めたのか。
橋下知事について「ウソを平気で言う」といった厳しい関係者証言などが並ぶ雑誌記事が相次いでいる。
府知事選と大阪市長選のダブル選の投開票日は、あと1か月後の2011年11月27日だ。
選挙戦への影響はあるのだろうか。
橋下知事は市長選へ転じ、現職の平松邦夫市長と対決する。
知事選は、橋下知事後継候補の松井一郎府議と倉田薫・池田市長との争いが軸になる。
そんな中、「新潮45」11月号は、「『最も危険な政治家』橋下徹研究」と題して4人の筆者による4本計30ページの特集記事を載せた。
記事のテーマはそれぞれ、橋下知事の心理分析や出自、政策(大阪都構想)批判など。
いずれも橋下知事に対し、厳しい視線が感じられる内容となっている。
筆者のひとりは、「日本の路地を旅する」(文芸春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家の上原善広氏。
文芸春秋はサイトで「路地(被差別部落)をその出身者である著者が訪ね歩く」と紹介しているが、今回も上原氏は橋下知事にかかわる場所や人を丹念に訪ね歩き、これまであまり知られていなかった側面について報告。
別の筆者である精神科医でノンフィクション作家の野田正彰氏の記事では、「橋下青年の高校生のころを最もよく知る先生」が語った内容として、「嘘を平気で言う。バレても恥じない」「彼を評価する先生は、まずいないのではないか」と。
また、橋下氏が、前の府知事選に立候補表明する直前まで、「2万パーセントない」とテレビカメラの前で語っていたことを取り上げ、橋下氏による誇張は、豹変することや煙にまく「予兆にみえる」との分析も書かれている。
「新潮45」は大阪では売れ切れ店が続出。
全国展開している大手書店の大阪市北区にある複数の支店に聞いてみると、「売り切れで今、追加発注中」「一度売り切れて、本日追加入荷しました」といった反応。
この「新潮45」の反響に刺激されたのか、週刊新潮と週刊文春も、橋下知事の生い立ちや親族などに関する記事を載せ、10月27日には首都圏の店頭に並んだ。週刊新潮は8ページも割いている。
「メディアの姿勢に疑問」の反発も週刊新潮の記事は、先に発売された「新潮45」を踏まえた内容で、週刊文春の記事も、橋下知事について、「変節と裏切り」が「人間性を探る上で欠かせないキーワードだ」と指摘。
両誌とも期せずして橋下氏に対し厳しいスタンスの内容となっている。
選挙を直前に控えた時期のこうした記事に対し、橋下知事側ではどう捉えているのだろうか。
10月27日夕の段階では、「議論していない」(大阪維新の会事務局)、「本人から特に対応の指示はきていない」(橋下知事の後援会事務所)とのことだった。
ただ、選挙直前の時期にこうした記事が続くことに対しては、「メディアの姿勢に疑問を感じる」としている。
--ここまで--
どうだ。
こういう誹謗中傷を平気でできるマスコミ関係者というのも凄いなぁ。
まぁ、要するに力関係というところかなぁ。橋下さんに負けたからどこかに行ったということでしかあるまい。(ついでに言えば、筆者は橋下さんの父親がヤクザであろうがなんであろうがどうでもいい)
いや、話がどこかにいった。
再度、話を戻すと、表題の民主主義がどうたら—なんぞ、関係ないではないか。
橋下さんに不満があるなら、冒頭でふれたように「橋下さん以上の構想」を世間の人々の前に提示してみよ。
それができないなら、表題のような「引かれ者の小唄」を歌わないことだ。今はただただ黙々と勉強に専念すべきだ--と天から声が聞こえている。