▲Iという評論家の発言が表題だ。
ちょっと言葉はあれだが、まぁ、筆者も同様の感想だ。
愚者という言葉は、キツイかもしれないが、軽率でいまある現象を自分の頭で考えられない—他者からの扇動にカンタンにのせられやすい人だと思う。
このことの核心はなにか。
それはこのブログで、何回も繰り返しているように、「反原発」「脱原発」というなら、原発に代替するエネルギー源を示してみよ—ということだ。
その一番の核心部分を示すこともできず、ただただ「反対」の「脱原発」などと主張し、あまつさえ、官邸前でデモを繰り広げるという愚かしさ、軽率さは糾弾されてしかるべきと筆者は思う。
まず、現実を直視せよ。
現在のエネルギーというものがどこから供給されているか—それをまず、よく見よ。
原発をこれからどうするか—という方針は、その現実直視の上で出発し、決められるべきだ。
以下、新聞から抜粋。
昨夜は官邸前で反原発デモが盛り上がったらしい。
こういう大衆運動は日本では終わったと思っていたが、ソーシャルメディアが大衆運動を活性化したのかもしれない。
彼らの「大飯原発の再稼働阻止」という目的はナンセンスだ。
すでに運転許可が出て再稼働の作業は始まっている、これを止めるには技術改善命令が必要で、デモは役に立たない。
他の原発を動かすなという示威だとすれば、それは5兆円に達している原発停止による損失をさらに拡大する。
つまりこれは日本を貧しくしろというデモだ。
原発の健康リスクは火力より小さく、運転を止めることで安全にもならない。
原発を止め続けると、数年で東電以外の電力会社も債務超過になる。
避けるためには、コストを利用者に転嫁するしかない。
彼らは本質的な問題を取り違えているのだ。
日本がいま直面している危機は、明日は今日より貧しくなるということである。
労働人口は毎年1%ずつ減り、政府債務は50兆円ずつ増えてゆく。
きょう生まれる赤ん坊の生涯の可処分所得は、退職する老人より1億円以上も少なくなる。
夏の停電にそなえて、製造業は海外シフトを急いでいる。
メーカーに勤務するビジネスマンと話すと「いつまで日本にいられるか」が話題になる。
そんな時代に「エネルギー供給を止めろ」と訴えるデモは、日本の最後の愚かなエピソードとして記憶されるだろう。
▲補足、感想など
このiなる評論家のいいがすべて正論か—というわけでもないようだ。
しかし、この原発の再稼働を阻止しようという動きを批判している部分は正しかろう。
確かに、福島の原発事故による被害は甚大で、この先どうなるか—さえ不透明だ。
でも—と思う。
だからこそ、これから原子力というものをどう扱うか—という問題を考える上でも、日常の生活を維持しなければならない。
電車を動かし、工場を動かし、家庭では食事の準備をしなくてはならないのだ。
そういう通常の生活を維持するためのエネルギーの確保には、どうしても原発の再稼働が必要だ。
そのことが理解できないというなら、まさしく「愚者」であり、「軽率」であろう。
こういう愚かしい主張を拡大させてはなるまい。
もう一度、大事なことを繰り返そう。
反原発、脱原発を主張するならば、原発に代替するエネルギー源を示せ。それもできず、単に「反原発・脱原発」を主張する人間など、「愚者」そのものだ。