▲国会で行われている、昨年の東日本大震災での政府の対応についての検証作業だが、筆者には新聞などの論調が気に入らない。
後からならなんでも言える。
それならば—と言いたい。
昨年の地震後の混乱の中で、正しい方向性が示せたか?
検証作業というなら、新聞などのマスコミについても、自らを振り返ってみて、正しい方向性を国民の前に示せたか—確認してみよ。
筆者は、枝野さんの証言について、アレコレ批判するという姿勢に与(くみ)しない。
先のなにも見えない混乱の中で、身体と頭脳をフル回転できるというのは、その個人の資質であり、能力だ。
当時の菅さん、海江田さんと比較してみよ。(あぁ、当時の東電のなんとかという社長とも比較しみよ)
菅さんも海江田さんも、原発危機の重圧に押しつぶされる寸前で、まともに判断できる状態ではなかったではないか。
また、マスコミであっても、正しく方向性が示せたわけではなかった。
それを一年以上が経過し、混乱がようやく収まると、当時の担当者の一言半句をまるで「鬼の首をとった」かのような表現をする。
それほど、えらそうなことが言えるのか。
まず、自分を振り返れ。自分自身を検証してみよ。
以下、新聞から抜粋。
福島第1原発事故当時に官房長官だった枝野経産相が事故の検証を進めている 国会の国会事故調査委員会に参考人として呼ばれ、聴取に応じた。
菅政権のスポークスマンの役割を 担っていた枝野だが、この日に問われたのはその情報発信のあり方だった。
■やっと認めたのは3か月後に海外向け
メルトダウンを政府が認めたのは国際原子力機構に報告した昨年6月で、事故から3か月もたっていた。
公表の大幅な遅れについて問われると、枝野は「炉心損傷の可能性については、3月13日午前中の記者会見 の段階で、『十分可能性があるということで、その想定のもとに対応しております』と申しあげた」と 開き直った。
委員から「多くの国民は、6月までそんなに深刻な事故とは感じていなかったのではないか」と 突っ込まれると、「もしかすると思い込みを反省しなければならない側面があるのかなと…」とまるで 他人事のような答えだ。
さらに、「炉心も溶けているし、漏れているのはあまりにも大前提で、改めて 申し上げる機会がなかった」と驚きの発言が続く。
■首相官邸「情報疎外」のまま今度は原発再稼働
傍聴した女性は「責任ある立場として、あのような言い方しかできないのは疑問だ」と不信を募らせた。
aも枝野の無責任ぶりに怒る。
「委員会を見ていて非常に腹立たしかった。番組VTRには出てこなかったが、枝野さんは首相官邸に報告 されていないことが、東電や原子力安全・保安院の会見で明らかになっていたことに怒りをぶちまけていたが、こんな状況のまま、検証もしないで東電は原発の再稼動をすると言っている。
こんな会社に やらせて大丈夫かという根本問題が残っている」
事故調査委は28日には事故当時の菅首相が参考人として呼ばれ聴取を受けるが、どんな『驚き発言』 が飛びしてくるか。
▲補足、感想など
ふん、なにを言ってんだ。
なにかもっともらしいことを言っているようだが、単なる「言いがかり」のようなものだな。
仮に、ある事件が発生したとする。
その事件の経過及び後処理というものは、実務の担当者が行う。しかし、その経過などをどう世間に公表するか—ということの間には乖離というか取捨選択があって当然だ。
細部にこだわると、無用な混乱も起こるし、大局が見えなくなる。
枝野さんは、無用な混乱を予防し、事故の処理を無難にこなした—と表現してよかろう。
何度でも言いたい。
後から、ああだこうだ-というのは簡単だ。
しかし。
真っ白な霧に覆われたような状態の中で、次々と未知の現象が発生する。
その状況の中で、安全側へ安全側へと判断し続けることができたのは、「枝野さんを中心として、大事故の重圧の中でも頭脳が<身体が>フル回転できる一握りの人達の能力」のお陰だ。
まず、そのことに感謝すべきではないのか。