▲表題について、中国人が自問自答している記事があって、面白いと思った。
自答と書いたが、その答えのピントの外れ方がまた、中国人らしいと感じた。
まず、その記事を抜粋してみよう。
中国大手検索サイト百度の掲示板に「なぜ中国人には日本のような新しい文化創出ができないのか 」というスレッドが立てられ、さまざまな回答が寄せられている。
寄せられたコメントには、中国は制限が多すぎるからという意見があった。
例えばアメリカではホワイトハウスやペンタゴンが爆発するような映画も作れるが、中国では絶対 に天安門が爆発するような映画は作れないという。
また、流行文化の繁栄には思想の開放が必要だからという意見や、人民が貧しすぎるからという意 見、創造力の欠如と適切な土壌の欠如を挙げる意見もあった。
さらに、中国人の思想が保守的すぎるからという意見もあったが、「中国文化は某党に破壊されて しまったので文化がないからだ。党は党の文化が必要なのだからおとなしくいう事を聞くべきだ」という意見もあった。
ほかにも、新しい文化はなかなか受け入れられないから、中国は発展途上国だから、などの意見や 、「思想の開放と言論の自由があり、指導者が古株でなくなれば、自然と流行文化が出現してくる 」と期待を込めた発言もあった。
▲補足、感想など
自答の中に、思想の開放が必要とか、貧しいから—とかもある。自虐ネタかな。
話はそれるが、日本には各地に民謡というものがある。
それこそ、江戸の頃からあったものだろう。
対して、中国の田舎にいっても、民謡などが存在しないそうだ。
さて、どこいらに核心があるのかなぁ。
恐らく、1つは、儒教というものだ。
掲示板から書き込みを拾ってみよう。
--ここから--
□黄文雄が言ってたけど、
儒教は人間から想像力を奪ってしまうらしい。
中国が外国人に開放され始めた頃、 日本人の現代音楽家が、 あれほど広く長い歴史がある中国だから、さぞかし誰にも知られてない名曲が沢山あるに違いないと思い、中国に歌を探しに行った。
ところが何もないと知りがっかりして帰ったとか。
□儒教の価値観では、師、祖、の権威は絶対的だから。
革新は無茶、野蛮、無礼なモンらしい。
--ここまで--
まぁ、おそらく正鵠を得た意見であろう。
また、数百年ごとに、焚書坑儒のようなことが起こる。
最近では、1960-1970年代半ばまでの文化大革命があった。
2500万人にも及ぶ知識人・文化人・職人などが殺害されたという。
つまり、師匠・先生とか言われる人々を殺害したのだ。
これでは、仮になにか伝統芸能とか、伝統的な技術があったとしても、うまく後世に継承できる訳がない。(なお、ついでながら、近頃の中国人の言動の自己中心ぶりがひどいが、これは上でふれた文化大革命により、いわゆる先生・先輩というものがいないこと、また、一人っ子政策による小皇帝がそのまま大人になるということによる表れではないか--という指摘があった。当たっているのでは--と筆者は感じたのだが)
新しい発想というものは、長い期間で蓄積された文化・伝統・技術などの巨大な混沌から生まれるものだ。
新しい発想というものは、長い期間で蓄積された文化・伝統・技術などの巨大な混沌から生まれるものだ。
もう一度論点を整理してみよう。
なぜ、中国では新しい文化創造ができないか—という問いに対して、
あ、儒教というものが人間の創造力を奪っているから。
い、文化創造には、伝統・文化などの巨大な混沌が必要だが、中国では定期的にそれまでの文化を抹殺する事件が発生し、蓄積ができないため。
--まぁ、このあたりが、正解ではないのかなぁ。