▲朝日新聞に巣食うevenki族の人達の感覚って異様だな。
「精神が歪んでいる」—といっても、そう外れてはいまい。
表題で「笑う」と「嗤う」という違いがどうたら書いてあって、ふ~んと思った。
ちょいと、その違いをネットで検索してみよう。
--ここから--
笑うと言うのは文字通り好意的な程度で、面白い事を笑うと言う意味です
一方の嗤うと言うのは好意的な態度ではなく、嘲笑う意味で使います。
表現するなら笑うは「ハハハハ」としますが、嗤う場合は目がトンでしまった状態で「グヒャヒャヒャヒャヒャ!」と言う感じですね。
--ここまで--
なるほど、そういう違いか。
嗤うといえば—で思い出した。
もう、数年も前か。
朝日新聞に一般人のデモが押し寄せたことがあった。その時、朝日新聞社内から、日本人からのデモを見て「わらっている」記者?達の写真が公開されていた。
あんな「わらい」か? 嗤うって。
日本人を「上から目線」で見ずにはおられない朝日新聞社のevenki族工作員の記者達か---。
もう、精神が歪んでいるのだろうな。
以下、新聞から抜粋。
「仕方ない帝国」に生きてて楽しい? (政治断簡)
2017年2月19日
類は友を呼ぶ。
日米首脳会談から1週間余、この言葉をかみしめている。脳内BGMは「世界は二人のために」。どこに行くのかあなたと2人、厚遇、おべっか、ナイスショット。
2人は、「嗤う」が板についているという点で「類」だと私は思っている。
人をバカにしたり見下したりは誰しもついつい普通にあるが、それと「嗤う」ではステージが違う。
あざけって、わらう。さげすんで、わらう。なかなかできることではない。ある意味才能。褒めてないけど。
1月26日、衆院予算委員会。
民進党の大西健介氏が質問している最中、安倍晋三首相が退席した。
え? なに? トイレ? 騒然とする委員室。
やがて戻ってきた首相は、ズボンをずり上げるしぐさに続き、両手を上げて伸びをして、閣僚らからドッと笑いが起きた。
国会審議を軽んじている。カリカリと質問する野党議員を見下し、嗤っている――。
「真意」はこの際関係ない。権力者の言動はそれ自体がメッセージだからだ。
ああ。心がザラザラする。お前は無力だ、お前のやることには何の価値もないというメッセージを、まんまと感受してしまった。嗤われる側はそうやって少しずつ気力をそがれ、政治のダイナミズムは失われる。
もちろん逆に、嗤う権力者を痛快で頼もしいと感じる人もいるだろう。
だが、嗤いは嗤いを、軽蔑は軽蔑を招き、社会はすさむ。
そう。俳優のメリル・ストリープさんが先月、ゴールデングローブ賞の授賞式で、かの大統領を念頭にスピーチしたように。
「衝動的に人を侮辱するパフォーマンスを権力のある人間が演じれば、あらゆる人たちの生活に影響が及び、他の人たちも同じことをしてもいいという、ある種の許可証を与えることになるのです」
嗤われるのは、数の力という「現実」に抗し、理念や理想を語る者。所与の現実から最大限の利益を得ることに腐心する「現実主義者」にとって、理想なんて1円にもならないキレイゴトだから。しかし――。現実ってなんだ?
「現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈伏せよということにほかなりません」(丸山真男「『現実』主義の陥穽」)
そのように捉えられた現実は、容易に「仕方がない」に転化する。
こうした思考様式がいかに広く戦前戦時の指導者層に食い入り、日本の「現実」を泥沼に追い込んだか。丸山はこう、言葉を継ぐ。
「ファシズムに対する抵抗力を内側から崩して行ったのもまさにこうした『現実』観ではなかったでしょうか」
既成事実への屈服が、さらなる屈服を生む。対米追従は仕方ない。沖縄に米軍基地が集中するのは仕方ない……。現状追認の無限ループ、そんな「仕方ない帝国」に生きてて楽しい?
嗤われたら笑い返せ。現実は「可能性の束」だ。私もあなたも一筋の可能性を手に、この世に生まれてきたのだ。
(政治部次長・高橋純子)
▲補足、感想など
一体、この日本にいる朝日新聞のようなevenki族工作員達の「立ち位置」ってなんなんだ?
オレ達は、日本人じゃない・日本人には入れない、だからといって、韓国人でもない。
在日韓国人という名の「根無し草」か。
この朝日新聞の高橋某という人はなにものだ?
アメリカのトランプ大統領と安倍さんがわらっていたら、自分達が「嗤われている」とでも思うのか。
安倍さんが途中で、トイレに行ったら、民進党というevenki族政党が嗤われていると思うのか。
もう、被害妄想の世界であろう。
もう、精神が歪んでいないか? 殆どビョーキ状態ではないか。
安倍さんは、潰瘍性大腸炎という難病と戦っているのだ。委員会の途中で抜け出すくらい、許してあげよ。
記事を読んで思うのは、もう、「精神の闊達さ」というものを失った人間の文章だな。
どういう環境の中で育ったものか。
盆・正月には、親類縁者が集まっては、日本人に差別された—てな話ばかりを聞いて育ったのか。
まぁ、はっきり言って、こんな「殆どビョーキ状態」の記事を書いて、日本人を説得することはできない。
まず、「差別されたの」「虐められたの」という世界から決別せよ。
精神の闊達さを回復せよ。
自由な・闊達な精神から書かれる記事でなければ、日本人を納得させることはできない。
上のような記事は、朝日新聞が 新聞業 →不動産賃貸業に転換せざるを得ないタイミングを近づけるだけだ。