▲でも、日本人のいっている「四季がある」という意味はアメリカ人などが考えているような意味ではあるまい。
この根底にあるのは、文化というものの蓄積の差、歴史の厚みの差だろうな。
日本にはなんといっても、長くて2千年、まぁ、1500年ぐらいの歴史があるのだ。
その間での日本人の試行錯誤というものが、日本語といういうツールを使って残っているのだ。
以下、新聞から抜粋。
19日放送の「ボクらの時代」で、厚切りジェイソンが、日本文化を称賛する番組に困惑していることを明かした。
番組では、厚切りジェイソンとSHELLY、パックンの3人が、日本の芸能界について外国人目線でトークを展開した。
その中で、厚切りジェイソンは「凄くない日本の文化に感動しないといけない場面がある」と日本で活動する外国人タレントのデメリットを語ったのだ。
厚切りジェイソンによると、日本の文化を称賛する番組に出演したときのこと、日本文化がすごいのは「四季があるから」という返答が求められたが、
内心では「アメリカにも季節はあるんだよね」と思ったそう。
だが、それを発言すれば全面カットされてしまうため、「四季凄いよね!」と言うほかなかったという。
これを聞いたSHELLYは思わず苦笑い。
そして「それ外国の人はよく言う!(日本人は)四季を感動させたがるけど、世界中に四季はあるって」と納得したのだ。
厚切りジェイソンは「四季はどこにでもあるよ!」と大声で指摘していた。
▲補足、感想など
そう、四季は世界中どこにでもある。
その通りだ。
日本人が言おうとしているのは、四季が北緯35-36度くらいで、比較的明瞭なこと。
そして、四季を巡る様々な祭りとか、イベントがそこにくっついているのだ。
そして、そのイベントには歴史があり、和歌とか歌とかが付随している。
日本人は、それらをまるごと、楽しんでいるのだ。
「文化の厚みの差」とでも言えば当たっているか。
四季がある—という表現は、言葉足らずかもしれないな。
でも、アレコレ説明しても、分からない人間には分かるまい。
日本人が誇りにしている「四季がある」という表現について、同意できなければ無視しておけばいいこと。
別に賛同などしてくれなくていい。
そういえば、もうすぐ、桃の節供だな。
日本人は、その言葉を聞くだけで、春の訪れを感じる。
アメリカ人がどう思おうと知ったことではない。
ついでに桃の節句の説明を書いておこうか。
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3月3日はこの五節句のうちの一つで、もともとは3月上旬の巳の日をさし、中国の上巳の日に川で身を浄める禊ぎの習慣があり、これが平安時代に日本に伝わったとされています。後に川に人形を流して厄災を祓う「流し雛(ながしびな)」の風習となっていきました。
ひな祭り自体は、京の貴族階級の子女から始まった人形遊びが起源で、江戸時代に庶民へと伝わり、次第に3月3日に、女の子のお祝いの儀式として人形を飾るしきたりが定着していったとされています。
これら2つが合わさって現代の雛祭りの原形となりました。
現在でも流し雛の風習が残っている地域があります。
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