▲まぁ、完全に否定するつもりはないよ。
江戸時代まで、武士の教養の基礎をなしていたものは、論語だし。
様々な中国由来の書籍で、日本の武士階級は、その根本的な教養というか常識を形作ってきたのだ。
そのことを敷衍すれば、「武士道だって、中国起源」といえなくもない。
でも。
中国には、じゃ、「起源たる武士道」がどこかに残っているのか。
1960年代半ばから1970年代半ばまでの文化大革命なるもので、知識人・文化人を4千万人以上も殺害、人肉食し、日本の京都にあるような名刹を、貴重な文化財を尽く、自分の手で破壊しつくしてしまったではないか。
先人達の営々たる努力を、先輩達の輝くような叡智の賜物を、自分たちの手で破壊する—というのはどんな気持ちなのだ?
上でもふれた「まだ、どこかに残っていた武士道」を自分のこの手では破壊して、面白かったのか。
あぁ、この前か、中国共産党が、文化大革命そのものを「錯誤だった」とかで総括していたが。
以下、新聞から抜粋。
日本ははるか昔から古代中国に学んできたため、日本の文化のなかには中国発祥のものが少なくない。日本の文化は中国文化の影響を受けつつ形成された、独自の文化であるといえるだろう。
中国メディアの今日頭条は、日本人は学習能力が高く、日本の文化はもともとは中国の文化を基礎に発展させたものは多いとしながらも、「中国が起源でありながら、世界的には日本の文化であると認識されているものは少なくない」と主張する記事を掲載。
記事は、日本が中国の文化を取り入れながら、非常に長い時間をかけて独自の文化を形成したと主張する一方、「和服」や「下駄」、「芸姑」、「生花」、そして、「武士道や剣道」は、もともと中国が起源の文化であるにもかかわらず、世界は「日本文化」と認識していると論じた。
たとえば和服については「呉服とも呼ばれることからも分かるとおり、中国の呉の国から日本に織り方が伝わり、さらに唐の時代の服装が日本に伝わったうえで、それらが日本独特の進化を遂げたものが和服」であると主張。
確かに中国では「和服は唐服にそっくり」だとする意見は多い。
また、下駄についても「和服と同様に日本が中国から学んだものである」とし、中国では2世紀から3世紀にかけて存在した英雄たちが下駄を履いていたとし、「時系列的にも歴史に合致する」と主張した。
さらに芸姑についても、中国の宮中に使えた「官妓」が起源であると主張したほか、生花についても「中国から日本に伝わった後に、中国では廃れてしまったものだが、日本では今なお発展を続けている」と指摘。
また、武士道や剣道についても「武士は中国では春秋時代には登場していた」と主張。武士道と言えば「主君のためなら命すら投げ出す忠誠心」が有名だが、この忠誠心とはもともと「中国の思想家である孔子や孟子が説いた『忠』の精神である」と主張、だから、武士道も中国が起源の文化であるなどと主張している。
▲補足、感想など
日本という国は、大陸から更に海に入った島国だ。
辺境の地・草深い田舎であり、刺激も乏しいために、なかなか文化というものが発展しなかった。
だから。
奈良時代まで、中国の文化を積極的に取り入れたのだ。
おかげで、日本のものは、中国にあるものに似ている。
記事の内容をまるっきり肯定する気にはならないが、さりとて、否定することもできまい。
ただ。
中国と異なることは、日本は歴史で、異民族に征服されたことがない。
歴史上、価値観の逆転が起こったことがない。
だから。
奈良・平安時代の百人一首が今持って、人気があるのだ。
どうだ。
この日本人のものもちの良さは---。
日本は、中国のような焚書坑儒の類のことが起こったことがない。
結局、日本人の歴史では奈良時代くらいに「知性主義」というようなものが確立したのだろうな。
中国人が、記事のごとく、日本にあるものの起源を主張しても、自分の手で焚書坑儒の類のことをやり、「起源」そのものを破壊したのは、自分の「手」ではないか。
起源を主張するより、これから中国人として誇れるものを創造することに力を注ぐべきでないのか。