▲日本列島は、ユーラシア大陸の東端から更に海に入ったところにある辺境の地である。
辺境ではあるが、朝鮮半島から対馬は見えるし、対馬から壱岐は見えるし—と、見える島へ着けば最後には北九州が見える。
そんなことで、朝鮮半島と九州という地は、古代から細々と行き来があったのであろう。
こうして、日本と中国(朝鮮半島は中国の国の一部となったことがある)との間では行き来があり、砂金などを使った商売も成り立っていたのだろう。
商売となれば、文字も言葉も必要だ。<今、北朝鮮から小型木造船で渡ってくる、弥生時代後期ともなれば、あの位の船を製造することができたのだろうな>
こうして、ぼちぼち、中国との縁ができてきたのだ。
以下、新聞から抜粋。
中国メディア・今日頭条は、「どうして日本には中国のように輝かしい古代文明が生まれなかったのか」に関する日本のネットの議論や態度を紹介する記事を掲載。
記事は「島国である日本が古代文明において中国に及ばなかったというのは当然といえば当然のことだ。海上交通が発展していない古代において外国と交流することは難しく、それが文明の発展を阻害していた」と。
そのうえで、日本のネットがこの問題について日本で中国のような古代文明が発達しなかったことを認めた上で「辺境の地だったから」、「国土が小さく資源が乏しかったから」、「平和だったから」、「自然が豊かで発展しなくとも楽しくやっていたから」といった見方を示したと紹介。
また、「大部分の日本人は日本人が古代中国を崇拝し、文字や制度、法律など様々なおいて古代中国から深い影響を受けていることを素直に表現する。
日本の和服の源流が古代中国の服にあることさえも認めているのだ。
日本のネット上ではみんな古代中国を崇めているように見受けられる。彼らは普段自尊心がとても強いのではないのか? もしや、単に気持ちを偽っているだけなのか」と。
そのうえで、日本のネットが「古代日本は世界最底辺の文明」などとし、統一王朝ができる前には原始的な部落しか存在しなかったと認めている。
そして、「今の日本は確かに先進国となった。われわれはいまだに古代の美しい夢の中に生きていてはならない。他人の強さを認めてこそ初めてそこに近づくことができるのだ」とし、謙虚な姿勢を持つ必要性を説いている。
記事を読んだ中国のネットは「少ない土地や資源の国が先進国になったのはすごいこと。そして、日本人の古代文明に対する考え方は、まさに『謙虚さが人を進歩させる』だ」、「謙虚さ。この点に関しては日本人はやっぱり素晴らしい」、「自らをはっきり認識できているからこそ、日本にも強い時代がやってきた」といった感想を寄せる。
そして同時に、「だから日本は韓国より強いのだ」との意見も見られた。
▲補足、感想など
謙虚がどうたら—なんて筆者には、さっぱり分からない。
単に、日本人は「知的正直」ということを重視しているだけだ。
科学的・合理的思考というものは、「知的正直」というものに乗っかっているのだ。
そんな当たり前のことが、中国人には理解できないということか。
3世紀頃までの日本の弥生時代を経ても、日本人は自民族なりの文字を創造することはできなかった。
やはり、島嶼国家であり、辺境の地にあって、刺激が乏しかったのだろうな。
また、弥生人という主として、揚子江の南側付近から竹の筏などに乗って、日本へ稲作をもたらした人々は、1万年前から日本列島に住んでいた縄文人と争ってはいない。
渡ってきた弥生人の数が少人数で長い時間を掛けて渡ってきたためであろう。
こうして、日本人は刺激の乏しい辺境の地で、まぁ、ボチボチ暮らしていたのだ。<揚子江の南側付近というものがどの程度の田舎なのが想像もつかないが、漢字を使用していた弥生人もいたのだろうなぁ>
稲作が伝来してきたことで、食料に不自由することがなくなり、貧富の差が生じてきた。
こうして、日本の最西域である九州において今の天皇家のような土豪が生まれ、朝鮮半島から鉄を購入して、鏃(やじり)とし勢力・版図を拡大したのだ。
4世紀頃から中国の漢字を取り入れ、9世紀に至る間に漢字からカタカナ、ヒラカナを派生させ、漢字かな交じり文という世界最強文字を生み出すことができた。
同時に、論語などから日本人の思想の根底を築くことができたのだ。
奈良時代から遣隋使、遣唐使などで日本人エリートを中国へ送って、勉強させた。
唐詩選なんてものには、今も、沢山のファンがいる。筆者も十分な敬意を抱いている。
このように、日本文化の基底に中国の唐時代の文化が存在していることを否定しない。