2017年11月16日木曜日

大川小学校の先生方は、スーパーマンではない

なぜ、通常人が小学校の先生方にスーパーマンであることを期待するのだろうか。
 そりゃ、自分の子供が亡くなった—その責めを他者に負わせたいという気持ちも分からないではない。

 でも、それはもう合理主義の範囲を超えて、「いいがかり」に近い。
 東北地方に伝わる「津波てんでんこ」とは、津波襲来の際にテンデバラバラに逃げて、助からなかったものの親族も、助かった人達に恨み言を言わない—という不文律であろう。

 以下、新聞から抜粋。

 東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲になった石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審第7回口頭弁論が、仙台高裁(小川浩裁判長)であった。 
 この日は当時の大川小の校長と市教育委員会幹部の計2人の証人尋問が行われた。

 元校長は、大川小まで津波が来るとは思っていなかったと主張。
 その上で、地震があったとき、浸水の危険があるとされていた学区の児童を保護者にどう引き渡すかなどは決まっていなかったと証言。
 議論する必要はなかったかと問われ、「そこまで(頭が)まわらなかった」などとした。

 こうした学区の児童を家まで送り届けるスクールバスについては、「『津波の方には向かわない』」と話した記憶があるとする一方、誰にいつ言ったかなどは記憶にないとした。
 原告の1人、sさん(50)は「そういう認識の人が命を預かるセクションにいた。教育者とは何かと思ってしまう」と話した。

補足、感想など

 筆者は、陸前高田市の旧の松原跡に立ったことがある。
 陸前高田市は、地震発生から津波の襲来まで、確か、30分を切っていたと記憶する。
 仮に観光で陸前高田市の松原を観光中に、地震が発生した場合、周囲に高い建物は存在しない。
 あるとすれば、北側約1キロ先にある山の部分だけだ。
 すぐに走り出せば、ギリギリ間に合うかもしれない。でも、観光に来ていてすぐに動けるものなのか。
 筆者には絶望しかなかった。

 大川小学校でも、地震発生から津波襲来まで40分程度ではなかったかと記憶する。
 その短い時間の中で、子供達を助けようと精一杯の判断を先生方はされた筈だ。
 確か、避難先が北上川に架かる橋を渡って対岸にあったために、集団で橋に向かった時点で津波が襲来して多くの子供達とともに引率の先生方も亡くなってしまった。

 これで、引率の先生方に過失ありなのか。
 冒頭でもふれた。
 先生方は、スーパーマンではない。普通の能力者なのだ。
 40分程度の短時間の中で、生徒の数の確認をして、安全な避難場所へ連れて行こうとしたが、避難が間に合わず、津波に巻き込まれたということであろう。

 父兄の人の言葉が筆者には気に入らない。
 じゃ、自分ならば、子供を守ることができたのか?

 なにか、混乱がなにもかも収まった後、冷静にものが考えられる状態の中にあって、混乱の中で、間近に迫りくる津波から子どもたちを守ろうと必死に頑張っている先生方を、冷笑しているように聞こえる。
 人を評するとしても「余りに酷」というものではないのか。

 筆者には、亡くなったa先生が、b先生が「判断ミス」をしたのだ—という裁判に与することはどうしてもできない。
 大事なことを繰り返したい。
 大川小学校の先生方は、決してスーパーマンではない。
 通常の能力者なのだ。通常の判断の結果が、たまたま、津波の襲来が予想より早くて、災難に巻き込まれ、子どもたちと一緒に亡くなったのだ。
 東日本大震災の津波に遭遇して助かった人は、本当に運の良い人達だけだ。
 「運が悪かったのだ」という言葉に中に、なにもかも「収めてあげる」のが本当ではないのか。