▲ひきこもりを巡ってあれこれ記事がでる。
それを見ていて思うのは、子供がひきこもりになりかけた時の親の「あまりの対応力の無さ」だ。
もう、どうしていいか。途方にくれてしまうようだ。<チェ、ボーと生きてんじゃねーよ>
親自身も、いい年齢までいっているだろう。
自分の経験などから、まともなアドバイスもできないのか—と思う。
表題でふれた。
「本を読め」、「自己暗示をかけろ」---簡単ではないか。
その時点でやれば、十分に回復の可能性が高いさ。
ひきこもりについて記事をみてみよう。
今年度受け持ったA男は低学年から不登校。
ある日突然学校で具合が悪くなり、翌日からパタリと登校できなくなった。
以後、家を一歩も出られない状態が続いている。
初めての家庭訪問で会った時の印象はしっかり者。
冗談を言うとゲラゲラ笑い、家で作った作品を見せてくれた。
なぜ登校できないのか、不思議に思うほどだった。
違和感を覚えたのは母親と話した時だ。
「今、お困りのことは」と聞くと「何も困つていません」。
表情のないまま淡々と話す。普通この状況なら誰かの助けがほしいはず。
母親は不安な気持ちにふたをして自分自身を守っている。
そうするしかないのだと思った。
A男は毎日ゲームに没頭している。
学校に行けない理由は自分でも分かっていない。
おそらくA男は「ひきこもり」という形で、何らかのSOSを発しているのだ。
学校の同僚に相談し、専門機関と連携してケース会議を開いた。
だが、学校側の判断は「保護者が困っていない以上、できることはない。
先方のアクションを待つ。家庭訪問もしない」だった。
腹立たしかった。苦しんでいる子が目の前にいるのに何もしなくてよいはずがない。
校長に相談し家庭訪問を再開した。
今は週1回A男と会い、たわいない会話や簡単なゲームをしている。
少しずつ心を開いてくれており、今の目標は信頼関係を築いて一緒に家の外に出ること。
そして母親とも関係をつくり専門機関につなげることだ。
学校復帰はその先でいい。
ひきこもりの長期化が問題になっている。
最も深刻なのは多くのひきこもりの人やその家族が支援者とつながっておらず、つながっていても適切な支援を受けられていないことではないか。
明かすことのできない課題に苦しんでいる子や親の不安を受け止め、支援者につなげることは日常的に関わる教員だからこそできる。そう信じてA男やその家族と向き合っていきたい。 (羽)
▲補足、感想など
専門機関がどうたらと書いてあるが、その機関に特別な能力・ノウハウがある訳ではない。
一番大切なことは、その本人の精神が萎えているのだ。
その精神の萎えを回復させてやればいいこと。
本人の生命力に火をつけろ。
だから。
本を読め。中村天風さんばりの自己暗示をかけろ---。(中村天風さんが分からなければ、検索してほしい)
小学生くらいだったら、親が褒めてやればいい。
対応策は至って簡単だ。
でも、それもできない人がいる。
で。
戸塚さんのところにお世話になるという人もいる。
戸塚さんの記事をみてみよう。
--ここから--
2019年06月21日
【ひきこもり】戸塚ヨットスクール校長…「子どもには体罰を加え不快感を与えることが必要」「中高生は手遅れ。日本は潰れる」
戸塚ヨットスクール校長が「中年引きこもり問題」にもの申す!
「日本は潰れます」
令和を迎えるやいなや、凄惨な事件が続いて顕在化した、中年のひきこもり問題。
社会の闇に巣食っていた問題が臨界点を迎えた格好だが、そこで昭和に袋叩きに遭った男が吠えた。
戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長(78)である。
昨今の中年のひきこもり問題に、戸塚氏の歯軋りすまいことか。
「40年前、私がマスコミに叩かれたとき、世間が教育についてもう少し考えてくれていれば、日本はここまでひどくならなかったと思いますよ。ひきこもりが多いと話題の40代、50代なんて、あの時、私が治してあげられなかった世代じゃないですか」
戸塚氏は2度、時の人になっている。1975年(昭和50年)、単独太平洋横断ヨットレースで優勝し、翌年、戸塚ヨットスクールを開設すると、スパルタ訓練で登校拒否や家庭内暴力の子供を立ち直らせたとメディアが報じ、治療依頼が殺到した。これが最初。
次に時の人になったのは、ご存じのように、訓練生が亡くなったのを機に、メディアが反戸塚キャンペーンに転じたときだ。
結果、83年6月、傷害致死容疑で愛知県警に逮捕され、3年1カ月の勾留を経て、懲役6年の実刑判決を言い渡されたのである。
戸塚氏は“唾棄すべき体罰”の象徴になり、おかげで“治療”ができなくなったため、ひきこもり予備軍を放置することになった、と言いたいらしい。
「中年のひきこもり問題について、社会性がないからだのなんだのと言われますが、そもそも人間性あっての社会性。正しい教育によって人間性が培われていないのに、社会性を身につけさせるなんて無理です」
では、どうすればよかったと言うのか。
「リベラルな教育、ほめて伸ばす教育が正しいとされてしまっていますが、ほめて子供が伸びるわけないじゃないですか。学校の先生も文科省や教育委員会から“子供たちのほめるべきところを見つけましょう。叱ってはいけません”と指導されていますが、こんな教育で、人として必要な能力や人間性が身につくわけがありません。叱ったり、体罰を加えたりして不快感を与えることが必要で、子供に不快感を与えない教育は間違っています。子供が自分の力で不快感を取り除く過程で、進歩する能力が身につくんです」
■中高生は手遅れ
戸塚ブシの評価は読者に委ねるとして、平成を経て令和になっても、戸塚サンがいささかもブレずに一貫していることだけは、疑いの余地がなさそうだ。
「うちの教育の基本は大和魂。これは心身一如、精神が肉体を動かすという考えに基づく科学的な進化論です。かつて登校拒否児たちを預かっていたときも、大和魂で教えたからこそ、彼らを治すことができました。それなのにマスコミは私たちを潰した。“力による教育はイカン”と唱える連中が、力でもって私たちを潰したのです」
その結果、もはや手遅れなのだという。
「日本は潰れます。もう立て直すこともできませんから、うちではこう言っています。“日本が潰れた後に盛り返していける人材を育てよう”。だからいま、うちのスクールでは幼児教育が中心です。
日本の教育が失敗している原因は3~8歳、幼稚園から小学校低学年の子供たちの教育がきちんとできていないところにあるからです。昔と違って、中学、高校からうちで預かっても手遅れ。ない袖は振れない。進歩する能力が備わっていない人間を教えても、意味がありません」
戸塚ヨットスクールが昭和、平成、令和と続いているのは、極論のなかにも説得力があるからか。
--ここまで--
ふ~んと思う。
筆者は、戸塚さんのやり方に対して、否定的ではない。
海に放り込んでなにが悪い—と思う。
自分で生きたい—と手足をバタバタし、あっぷあっぷすることこそが、生命力というものだと思う。
その生きたいを思う力を「本を読む」「自己暗示をかける」---という方向にすればいいだけだ。
なにが大事なことなのか—確認したい。
こんな自分でも生きて・暮らして、そして、社会の中でなにかお役に立ちたい---その願いをかなうような精神にするということだろう。
海の中で溺れかけて、心底、生きたいと思え。
そして、その生きたいと思う気持ちを、「本を読む」「自己暗示をかける」という方向へ昇華しろ。