2020年7月1日水曜日

読書感想文は必要か—と国語教師から


必要か—か。
 必要か---と問われれば、書けたらなぁ、と答えるしかない。

 筆者は、このブログで感想文のようなものを書いている。
 でも。
 それは、この歳になって、やっと書け始めたのだ。しかも他者の感想文に紛れ込んで---

 昭和30年代の初め、義務教育の頃、夏休みなどの宿題にあったような気がする。
 それでも、まともな文章など書けたためしがなかった。
 だって。
 感想そのものがないのだから。

 感想って、かなりの基礎知識がないと無理ではないのかなぁ。
 まぁ、お前がアホだったからだ—と言われれば、返答のしようがないのだが---

 まず、表題の文章をみよう。
 
20200701
「読書感想文は必要か?」国語教師の問いかけが議論呼ぶ

読書感想文は必要か??国語の教員だという人物からの問いかけを発端にTwitterで議論が交わされている。
学生時代、夏休みの宿題やコンクールへの応募のために提出が求められた読書感想文。
 その必要性に疑問を投げかけている投稿者は、本来、読書は「知りたいから」「自分が好きだから」読むもので、強制されるものではないとしている。
 そして、感想文を書かされることで「読書が憂鬱になる」「日本人の読書嫌いと作文嫌いを助長している」と語っている。さらに、「原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導のせいで「メッチャ堅苦しい、つまらないものになっている」とも述べている。

この投稿がきっかけとなり、読書感想文は不要か必要かの議論に。読書感想文が嫌いになった子どもの頃の体験や、大人になってどう役立つのかの解説など、様々な意見が寄せられていている。

■不要派

「頑張って書いた読書感想文を授業参観の日に『ただのあらすじで感想文になってない』と担任に言われてから文章書くのが暫く嫌いになりました」
「そもそも読ませる相手が明確になってないから、小中学生にとっては超絶難しい作文」

「強制でやらせるものではないですね。本嫌いの一因になっている」

■必要派

「読んだだけで終わりになることの方が勿体無い。読んで、様々な角度から感想を考えてみることで逆に楽しみ方が増える」

「自分の意見を持つ訓練になるから必ず将来に役立ちます」
「自分の気持ちを明確に理解し他者へ可能な限り正確に伝えるという、人間として大事なコミュニケーション能力を鍛える大事なもの」

「医師として思うのは、『問題点を集約せよ』『それに対しどう思ったか』の能力は大変重要で、出来ない人間の相手は困難を極めます。重要」
議論は、「不要」「必要」に留まらず展開。「内容を誉めなきゃいけないようで大嫌いでしたが、あるとき酷評したら愉しかった」「ちゃんと授業として少なくとも1時間は『読書感想文の書き方』を指導して欲しい」「教師の指導力と人員を割けるかの問題」といったコメントも寄せられている。


補足、感想など

 筆者の感覚でいえば。
 全員に強制するものではないと思える。
 書けるものだけが、書ける能力のあるものだけが書けばいいのでは—と思う。

 筆者は、義務教育の時には、ほとんど文章など書けなかった。
 こんな文章を書き始めたのは、50歳を越えたあたりからだ。

 感想文は必要か—と問われれば、「必要ない」と言い切るものはない。
 ただ。
 書ける「能力」のある者だけが、自発的に書けばいいのではないか---と思う。