2011年10月11日火曜日

超電導ブームの唯一の成果。

1980年代だったか。もう、遥かな昔だなぁ。

超電導ブームというものがあった。

超電導とは、マイナス273度で、物質の電気抵抗がゼロになるという現象だ。

これが、マイナス273度よりも高い温度で電気抵抗がゼロになるという物質を見つけた研究者がでた。

いわゆる高温超電導物質だ。

発見した研究者は、すぐにノーベル賞をもらった。

さて、この高温超電導物質を探すという競争が、そう10年くらい続いたかなぁ。

しかし、まともなものが見つからず(実験室で数値としてでるのだが、物質が不安定でつかいものにならないのだったか)、いつの間にか下火となった。

そうこうしている内に、2000年を超えて、日本の住友電工が超電導をつかった電線を売りだした。

この1980年代、世界中を巻き込んだ高温超電導騒動から、生み出されたただひとつの商品であり、結果であった。

(日経ビシネスにもう少し、詳しく書いてあった。ビスマス系でマイナス163度だそうだ。すると、絶対零度より110度程度高温で超電導現象が起こるということなのだな。ここまで高温<言い方が奇妙に感ずるなぁ>だと、安価な液体窒素で冷却できるという点が商品化する上で、ハードルを一つ超えたことになったようだ)

以下、新聞から抜粋。

日本企業はここ数年、「研究開発費を投じている割には、収益に 結び付けることができていない」と言われてきた。

みずほ総合研究所は、日本の「研究開発効率」(=過去4年間の付加価値/8年前から6年前までの累積研究開発支出)がここ数年、米国やドイツに比べ 2~3割下回っているとの調査結果を公表。

日本の「技術で儲ける力」の衰えを指摘。

「革新的なテクノロジーを 生み出す力」が消えたわけではない。

新しい技術は着実に育っている。

例えば、超電導ケーブルはその1つだ。

覚えているだろうか。

1980年代後半の「超電導ブーム」を。

電線の 電気抵抗をゼロにして送電ロスを防ぐ新技術として、多くの企業が参入した。

しかし、 技術的ハードルの高さに開発を断念する企業が続出。

ブームは瞬く間に過ぎ去った。

その「夢の技術」を参入から40年、研究し続け、ついに工業製品として量産化に持ち込んだ企業が住友電気工業だ。

超電導ケーブルの技術開発と生産で世界をリードする同社の大阪製作所。

米国や中国 など世界中から受注が舞い込み、年産500キロメートルの生産能力を2倍に拡大しようとしている。

オランダで超電導現象が確認されてから100年。

超電導・エネルギー技術 開発部の林和彦・応用開発部長は「今年は超電導技術の事業化元年」と話す。

その研究開発は撤退と隣り合わせだった。

経営会議で報告すると「超電導は 会議室から出て行け」と言われ、開発チームは誰でも一度は「会社を辞めろ」との言葉を浴びたという。

それでも諦めることなく、素材の組み合わせと生産方法の研究を進めた結果、2003年、 転機が訪れる。不純物が極めて少ない超電導線の製造を可能にする成法を開発したのだ。

新製法の導入以降、電流量は飛躍的に伸び、実用化へのメドが立った。

応用範囲は無限だ。発電所からの送電ケーブルに使えば、送電中の損失が半減する。

少ないスペースで大容量の電流を流せるため、土地の有効活用にもつながる。

小型で 高出力の超電導モーターは船舶や電気自動車の性能を大幅に向上させ、MRIの小型化が進む。

市場規模は2兆~3兆円と想定されるが、用途開発 が進めばその規模がさらに膨らむ。

「社内のだれも計算できない」(林部長)という膨大な開発投資をまとめて回収する日が近づいている。

日本企業の研究開発にとって、この10年は「衰退」ではなく、「助走」の期間――。

新技術はまだまだある。

絶対に交通事故を起こさない車、藻を活用したバイオ燃料の量産、念じるだけでロボット や機械を操れる装置……。

世界が欲しがる日本の知恵を埋もらせることなく「稼げる技術」に変えれば、この国は再び輝きを取り戻す。

▲補足、感想など

筆者は、「超電導ブーム」の顛末を実体験している。

どれだけ華々しい夢が語られたかを知っている。

冒頭でふれたように超電導の技術を使って、商品にしたのは住友電工だけなのだ。

高温超電導物質の発見から四半世紀か。

つまり、新発見から商品にたどり着くまでにそのくらいかかるということなのだなぁ。

技術者の働ける期間を考えると、企業で定年までそれだけをやっていたということであろう。

忍耐とか、執念とか、いったいなんと言えばいいのだろうか…イトカワの物質をもってかえったはやぶさの業績をみたときと同じような印象を受ける。

ヘンタイ的な、偏執狂のような、半キチガイのような…。まぁ、なんとでも言え。

これが、日本人というものなのだろうなぁ。

記事にある筑波大の渡邊信先生の「オーランチオキトリウム」も、四半世紀とはかからないだろうが、それでもかなりの時間を要するはず。

こうしてみると、「開発力が衰えた」というのではなく、技術の進歩・発展には「踊り場」のような時期があると解釈するほうが正しいような感じがする。

なんせ、日本には「ヘンタイ的」な人間って一杯いるぞ。