2012年5月1日火曜日

亀田製菓の経営者のお気の召すままに。


▲亀田製菓というのは、新潟県のド田舎にあるセンベイなどのメーカーだ。
今度、韓国の農心という評判の悪いメーカーと提携すると発表して、日本国内から批判の声があいついだ。
これはなぁ。
亀田製菓という経営者のお気の召すままにどうぞ--と思う。
まぁ、別の話ではあるが、韓国には統一協会という悪名高いカルト集団があるが、日本人でも多くの人間が入信する。
えっと、この教会で韓国人と結婚した日本人妻が韓国で数千人が行方不明となったとか。
それでも、騙される人間は騙される。
それをいうなら、今の民主党政権だってそうだ。三年前、どれだけその危険性を発信しても、やはりというか、テもなくコロリと多くの有権者が騙されたではないか。
つまり、騙される人間は騙されやすい素質・性格のようなものを持っているということだ。
そういう人間・組織には、それなりの無惨な結末が用意されているということだろう。
以下、新聞から抜粋。

■ 批判コメント1万件
亀田製菓のブログが炎上している。426日にはコメント数が1万に迫る、寄せられた声の大半は、韓国の「農心」との提携を批判するものだ。
■ネズミ、ゴキブリ混入のイメージ
農心の創業者である辛春浩氏はロッテの創業者、重光武雄(辛格浩)氏の実弟。
即席麺などを製造する韓国の食品メーカーだが、異物混入が相次ぐなど、品質管理に難 がある企業、というイメージもつきまとう。
2008年には韓国食品医薬品安全庁は、農心が製造する菓子に「ネズミの頭部」が混入していたと発表。
同じくクロゴキブリの混入が指摘された際には、流通過程での混入を認めながらも、賠償や回収には 応じなかった。
今回、亀田製菓のブログが炎上しているのは、こういった「事件」を起こしてきた企業と提携することで、 同社の製品も信用できなくなる、と感じる人が多いためだ。
■ 嫌韓地雷を踏んだ亀田
亀田製菓が発表している提携内容は主に3つである。
①お互いが米国やアジアの市場に持つ販路の 相互活用。
②レシピの提供などの技術提携。
③包装材などの共同購入。
亀田製品の品質に、特に問題が生じるように思えないが、ブログには下記のような書き込みが殺到 している。
農心というと製品に虫などが混入していたニュースを何度も見かけたことがあるため、そのような企業 が絡むとなると、どうしても製品を口にすることができません。
大好きだったハッピーターン、さようなら。時々食べてたぽたぽたやき、さようなら。ビールのおともの 柿ピー、さようなら。亀田君、大好きだったのに残念です。
■ 原因はマスコミの韓国流行幻想
原因の大半は、マスコミが作ってきた「韓国流行幻想」にある。
一昔前にくらべて受け入れられるように なったのは事実だが、現在の日本において、韓国文化が人にもてはやされているわけではない。
にもかかわらず、マスコミでは韓国文化が一大ブームを迎えているかのような情報を流し続けている。
幻想でもなんでもいいから「流行している」と報道することでブームを作ってしまおう、という 姿勢をテレビ局や雑誌社などが共有し、虚報を流し続けている。
■海外市場かイメージか
亀田製菓が提携によって得たかったものは、海外市場への販路だろう。
海外展開においては亀田製菓の先を行く企業だ。現在数%に過ぎない海外売上比率を2018年度には 30%に引き上げる、という目標を達成するために提携するのは、的確な企業戦略だ。
ただ嫌韓地雷を踏んだことで、品質について今後さまざまな「うわさ」が流れることは覚悟する必要が ある。企業イメージか海外市場か、予想外の選択を迫られる亀田製菓の苦悩は深い。

▲補足、感想など
このブログでもなんどか花王の不買運動のことにふれた。
花王は、不買運動なんて、この一兆円企業にとってなんの影響もないという素振りだが、実質的にはかなり追い詰められているようだ。
そういえば、先日、なんかで薬局へいったら、牛乳石けんが箱売されていた。その売れ方のようなものに少し驚いた。
花王という会社も昨年の8月以降の不買運動に対して、まともな対応をしていない。ただただ、日本の主婦たちがそのうち飽きてくれる・忘れてくれることだけを願っているようだ。
まったく、そんなことで、主婦たちが忘れてくれるものか。
亀田製菓も農心と提携すれば、同じことが起こるだろう。
---大好きだったハッピーターン、さようなら。時々食べてたぽたぽたやき、さようなら。ビールのおともの 柿ピー、さようなら。---
上のこのセリフ、どうってことないさと思うか。亀田製菓の経営者達は。
いや、いいさ。どうぞ、どうぞお気の召すままに。
騙される素質をもつ人間は、どのように周囲からその危険性を指摘されても騙される。統一教会へ入信している人達と同じだ。
これはもう致し方ない。ただ、その無謀な判断に対して無惨な結末が待ち受けているだけだ。