2012年7月30日月曜日

私達の怒り—って。一体、誰に対する怒りなのか。反原発デモ。


▲反原発デモが、なにか異様な展開を見せている。
異様という言い方もおかしいか。
いや、デモに参加している人の言い方というか、この人なにを言ってんだ?--という感じなのだ。
反原発デモが盛り上がらないことからの、アセリの表現なのかなぁ。
以下、新聞から抜粋。

脱原発を訴えるため、ツイッターやフェイスブックを通じた呼び掛けで集まった参加者がキャンドルなどを手に国会議事堂を取り囲む抗議を行った。
参加者は、主催者発表で20万人、警視庁は1万数千人。
毎週金曜夕の官邸前での抗議行動を呼び掛けている首都圏反原発連合が主催。
参加者は各自キャンドルやペンライトを用意して集まった。
午後7時、国会議事堂正門前では有志の国会議員らがスピーチ。
民主党のk衆院議員がマイクを握ると、聴衆から「民主、帰れ」「退場」の怒声が巻き起こる場面もあった。
北区のn一さん(44)は「議員に私たちの声が届くことを願うが、 こうやって行動を起こすことが何より大事」と力説。
午後3時半からは近くの公園で集会を開催。
作家のoさんらが 「キャンドルの炎は消えるが、私たちの怒りを消すことはできない」と。

▲補足、感想など
ふ~ん、と思う。
まず、この参加人数の主催者側と警察との違いの大きさをみよ。
次に、以下の文言はどういう意味なのだろう。
--キャンドルの炎は消えるが、私たちの怒りを消すことはできないって。
怒り?
誰に対して。
あぁ、反原発を主張しているのに、野田さんは原発の再稼働に踏み切ったその事実に対して「怒り」を感ずるという意味か。
なにか、こういう不合理な・浅薄な、一時の感情にまかせたような「言葉」を聞くのはイヤだなぁ。
筆者は思う。
毎日、朝起きて食事ができる。電車がキチンを動いていて、会社に定時に入れる。会社ではpcがキチンを動く。---そういう通常の生活ができるということの大事さ、大切さが理解できないのかと。
そういう生活を支えているのが、エネルギーというものなのだ。
そして、こういう通常の生活の継続から、次世代のエネルギー源の探索とか、代替エネルギーの実用化がやっと可能となるのだ。
つまり、反原発の運動というものは、代替エネルギーの実用化とか新エネルギー源の開発というものすら、邪魔をするというか妨害しようとしているということではないか。
もう一度、このデモ参加の作家にお尋ねしょう。
一体、なにに対して怒っているのか---と。