2012年7月20日金曜日

原発は負の遺産ではない。


▲どうも、原発に対してマイナスイメージをつけたい人が多いようだ。
原発は電気というネルギーの源<みなもと>だ。社会を支えるインフラではないか。
負も正もあるものか。
今から20-30年間はどうしても稼働してもらわなくてはならない基本的なインフラではないか。
負の遺産だなんて、言い方はやめよ。
以下、新聞から抜粋。

野田首相は、首相官邸前で行われている原発再稼働への抗議デモについて 「多くの声を受け止めていきます」と。
原発問題は自民党政権時代の「負の遺産」との思いが強いようだ。
デモに関して「大きな音だね」と語ったことは、そうした心境を表している。
反対意見にも耳を傾ける姿勢を示すようになったが、「首相に反対意見を受け入れる考えは現時点ではない」とみている。
原発の開発については1950年代半ばから議論が始まり、自民党の政権下で推進されたことを考えると、 野田首相の言い分も理解できなくはない。
しかし、政権を奪取してからすでに3年近くたつ。
国家には継続性があるのに、今も自民党政権時代の「負の遺産」として片付けられるだろうか。
国家戦略会議では、日本経団連の米倉弘昌会長が、「政府が考えているような名目3%、実質2%というような成長が達成されたら、完全に電力不足に陥ってしまう。誰が責任を持って電力を供給するのか」と原発再稼働の必要性をあらためて強調している。
米倉会長の発言に聞き入っていた野田首相は、 日本経済の成長に支障がないよう電力供給に尽力しているのに、それを批判されるのは理解できないというのが本心のようだ。
外見上の対応は迅速だ。
将来のエネルギー政策に関する国民の意見聴取会で、 電力会社勤務という男性が原発を擁護する立場から意見を表明したことは、 政府による「やらせ」と批判されたため、今後開催予定の公聴会では電力会社勤務の参加者の発言は制限する方針だ。
デモ集会が行われるなど反原発活動の広がりをみせていることについて 「政権にはボディーブローのように効いている」と同政府関係者は話している。
ただし、国民との対話を進言されているものの、野田首相にその意志はなさそうだ。

▲補足、感想など
どのあたりから。
将来のエネルギーを考える上で、「原発」をどうするかということは、避けられない。
発言者が、抽選で当たった電力会社の社員であるなら、そもそも「やらせ」でもなんでもないではないか。別に制限する必要もあるまい。
そもそもと筆者は思う。
野田さんは、これからのエネルギー政策を基本的にどう考えているのか。
野田さんって、自分の意見はないのか。
一国のエネルギーをどこからもってくるかということは、国運を賭けるほどの問題ではないか。
 先の大戦の初期、日本軍が南進作戦(ついでながら、ソ連のスパイのゾルゲが命を賭けて知りたかったのが、この南へ行くか、ソ連に侵入するかということだった)を採用したのは、石油がどこにあるかという基本的な問題を解決するためであろう。
今現在の日本も同じだ。
原発の再稼働へなにはともあれ走っているのは、経団連の米倉さんに言われたためだけではあるまい。
原発に代替するだけのエネルギー源が、目下のところ見つけることができないためだ。
だからと思う。
原発に代替するエネルギー源が実用化するためには、もう20-30年という歳月が必要だ。
その20-30年を乗り越えるには、原発の再稼働しかないのだということを直視せよ。
そして、そう覚悟を決めよ。
国民にそうはっきり言うかどうかは別にして、一国のトップなら、そう腹をくくるべきだ。--そのあたり、別に国民の声など聞く必要もない---
一旦、そう決断すれば、現在、稼働が可能な原発とは、有難いインフラではないか。
点検して安全が確保されれば、順次稼働してエネルギーを確保する。
それでやっと通常の生活ができるのだ。普通に電車にのり、工場が動き、朝晩の食事の準備ができるのだ。
その通常の生活を確保した上で、冒頭でふれた原発に代替する新エネルギー源の研究、模索が可能となる。または、更に安全な原発の開発が可能となるのだ。
アツモノに懲りてナマスを吹くような消極的な姿勢をやめよう。
馬鹿な扇動にうかうかとのるまい。