2012年7月20日金曜日

大津市長の言葉は、組織のトップとしては軽率だ。


▲組織というものは、多くの人間により構成されている。
その組織のトップは、組織外への言葉と、組織内への言葉を使いわけなければならない。
Aという組織のトップは、外からの批判に対しては、aという組織を代表して、すべての責めを負わざるをえない。
対組織内では、自分の部下であるから、更迭するとか、罷免するとか組織内部での処理ということになろう。
こういう使い分けは、常識だと思うのだが、なかなか難しいようだ。
大津市の市長のコメントをみて、これはなぁ、と感じた。
以下、新聞から抜粋。

いじめを受けた大津市立中2年の生徒が自殺した問題を巡り、同市の市長がインタビューに応じた。
「学校で何があったのか、なぜ不十分な調査になったのか明らかにしたい」と、外部委員会での真相解明に意欲を見せた。
この問題では、全校アンケート結果の大半を市教委が公表していなかったことが、発覚。
市長は「非公表のものがあるとの報告を市教委から受けておらず、報道で知った」と弁明。
市教委から、詳細なアンケート回答を取り寄せて読んだ。
男子生徒が同級生から受けた被害が記されており、「いじめが自殺の原因だと確信した」という。
一方、市教委は自殺後、「全校アンケートは不確かな情報が多く、いじめとの因果関係は断定できない」と主張。
市長は「前提となる事実の確認がいいかげんで信用できないとわかった。裏切られたように感じた」。
公表をしぶる市教委に対し、「事実はあなたたちが言ってきたことと違う。これは出すべきです」と押し切り、公表につながったという。
さらに、市長は市教委の対応のまずさを認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。
「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事にかかわれない。
民意を直接反映しない無責任な制度はいらない」と述べ、国に制度改革を求める意向を示した。

▲補足、感想など
市長がここまで言って大丈夫なのかな。
実質的にどこまで関与できるかどうかは別にして、市○○委員会となっている限り、市の下部組織であろう。
市長は、市のトップだ。冒頭でふれたように、市で起こるトラブルの全ての責めを負わざるを得ないのだ。
そう考えると、記事での市長のコメントは、自分の責任を放棄した、ないしは責任転嫁したと取られないか。
少し、筆者なりに箇条書きにしてまとめてみたい。
あ、全校アンケートの公表 
 →対外では 市として公表することにしました--と言えばいいこと。
 →対内では これは出すべきと委員会へ強制する。
  →市長の裏切られたように感じたという言葉は、失言だろう。
 最初に市長が委員会から報告を受けた時、充分に調べなかったというだけのことではないのか。
 責任転嫁と市民にとられても致し方あるまい。 
また、裏切られたなどという余りにも個人的な感情が入った言葉を使用するのは如何か。
 市長という公人であるなら、委員の人はその職責を充分に果たして欲しいぐらいに言うべき。
記事ではふれていないが、在日韓国・朝鮮人及び童話などの組織からの干渉をどれだけ排除できるかという問題もあろう。


い、「市長は市教委の対応のまずさを認めた」・「いじめが自殺の原因だと確信」 
 →係争中の裁判にも影響することだと思うのだが、代理人との調整はうまくいっているのか。 
 部下の者は、皆右を向いて動いているのだが、トップだけが急に部下を放り出して左に向いて走っているという印象をもつ。
 組織としてうまく機能しているのだろうか。


う、教育委員会という組織の問題点を指摘 
 →上でふれたように“市”教育委員会であろう。
 ならば、市の内部での組織の改編・委員の人選のところでもっと改善が可能ではないのか。
 まず、それをやったのか。
 記事の言い方では、することもしないで、責任転嫁したと市民にとられないか。
 以上、市長のコメントの気になる点を列記した。
 まだ、市長になったばかりで、不慣れということもあろう。
しかし、組織のトップになるということは、その組織を代表し、その組織内のすべての責めを負うと覚悟することなのだ。
 そして、その発言する一言一言が、様々に人事に・評価に・更に「大津市」という市の信用に影響してくる。
 組織のトップは余程、用心して発言しなければならない。