2020年8月21日金曜日

日本人の意識構造 風土・歴史・社会 会田雄次著 株式会社講談社 昭和45年11月刊行 感想

 

何回か、読んだのだろうが、詳細を覚えてはいない。

 パラパラとめくっていて、心に染みるというか、ハッとする文章があった。

 それをまず、ご紹介した。

 -ここから-

 戦中派、あるいは戦前派末端の年頃の人には、現在の若い人々に欠けていたものが、はっきり把握できるのではないか。

 それは、日本人同志の、互いに肌のあたたかみを感じるような連帯感であり、それにもとづいた日本の国の独立の感覚であり、広義の文化統一体としての共同感覚である。そして、何より根本的には、この共同感覚体である日本というものへの誇らかな讃歌と未来への高らかな希望の歌である。そうした共同体への献身を第一義とする精神である。私の言葉でいえば、日本の、外部からの圧迫による団結を経験する歴史をほとんど持たない日本人の、独特なナショナリズムである。

 昭和三十五年以降の思想段階において、日本人が求めつつあるものは、このような日本人の共同感覚である。この底辺の感覚の上に、戦前は畸形的な国家観を築き上げた。敗戦によってそういう神がかりの日本神国観は崩壊した。

 だが、それが崩れても、この私たち日本人の底辺の意識はなくならない。

 -ここから-

 この本は、上記のとおり、昭和45年の刊行である。筆者が大学を卒業した年でもある。

 この頃、米国トランプ大統領の第二の阿片戦争の過激化(中国をドル体制から外す、データが中国へ渡らないようにする)した攻撃をうけて、あの騒々しい増上慢・コケオドシ民族の口が重くなったようだ。<敵(カタキ)役が舞台から無理やり引きずりおろされたとでもいえば当たっているか>

 すると。

 上の文章が、筆者の胸にすんなり落ちるように感じるのだ。

 「日本人同志の、互いに肌のあたたかみを感じるような連帯感であり、それにもとづいた日本の国の独立の感覚であり、広義の文化統一体としての共同感覚である。そして、何より根本的には、この共同感覚体である日本というものへの誇らかな讃歌と未来への高らかな希望の歌である。そうした共同体への献身を第一義とする精神である。私の言葉でいえば、日本の、外部からの圧迫による団結を経験する歴史をほとんど持たない日本人の、独特なナショナリズムである。---と。

 戦前から、会田さんもこう感じていたのか--

 先の大戦で300万人の日本人英霊達が必死で守ろうとしていたものは、こういう感覚なのだな。

 戦後レジームが完全崩壊し、敵(カタキ)役であった食人鬼・中国人が舞台からムリヤリ引きづりおろされ、上で紹介した感覚がすんなり日本人である自分の胸に落ちる時代が、やってきたことを嬉しく思う。