2011年7月17日日曜日

コクリコ坂から…感想。

▲宮崎吾郎監督の「コクリコ坂から」を見た。

 どのあたりから。

 筆者は表題の通り、団塊の世代だ。

 筆者は、未来というものを暗く考えたことがない。もう髪の毛も薄くなったのだが、昨日より今日が、今日より明日がより明るくなる、きっとよりよくなると信じて疑わない。

 ノーテンキ、楽天的だというならそうかもしれない。

 でも、

 そう考えるのは、きっと昭和30年代に青春をおくったせいだ。

 さて、映画の舞台は、昭和37.38年頃。横浜の港近くだ。

 東京オリンピックが昭和39年の開催だ。

 日本は昭和30年代初めに、「もはや戦後ではない」と敗戦の影響がらの脱却を告げ、昭和30年代なかばから年率10%を越える勢いで、昭和40年代半ばまで高度経済成長を続けた。

 映画の背景に、前の大戦(昭和20年終戦)及び朝鮮戦争(昭和25--昭和28年)というものがある。その時代背景を押さえておかないと見る方のピントが外れる。

 主人公達の生まれた年は、昭和20年、昭和21年頃だろう。戦後の混乱期の中で生まれている。

 以下、粗筋にふれながら箇条書きとしたい。

□上で「混乱期」と書いた。でも、筆者は混乱期というものを知らない。

 筆者がものごころついた頃(昭和27.28年頃か)には、もう、日本という国は貧しいながらキチンとした社会であった。

 まぁ、今年の春の東日本大震災後において、日本人がどのように行動したか…を見れば、混乱といってもそんなに長い期間ではありえないということを納得されるだろう。

□少し、粗筋にふれておきたい。

 主人公である海(うみ)は高二。mer(メル<仏語で海の意味>)と呼ばれている。

 父親は、船乗りで朝鮮戦争でなくなる。母親は大学の先生で、妹、弟の3人兄弟。祖母の暮らす元病院で、下宿屋をしている。

 ある日、学校で、高三、新聞部の部長である俊(しゅん)と知り合う。

 グラブの部室であるカルチェラタン館の取り壊し問題の中で、段々、近づいてゆくのだが、海と俊の父親が同じだということを知ってしまう。

 えっ、じゃ、兄弟なのか…。

□高校の部室が集まっている建物をカルチェラタン館というのだが、この語句の説明はなかった。

 ちょっとウイキペディアから説明を。

 →カルチエ・ラタン(Quartier latin)は、パリの地名である。

 セーヌ川左岸、5区と6区にまたがる区域で、ソルボンヌ大学をはじめ大学が集中しており、昔から学生街として有名。

 カルチエは「地区」、ラタンとは「ラテン語」のことであり、「ラテン語を話す(=教養のある)学生が集まる地区」という意味が語源。

 サン・ミッシェル広場やサンジェルマン大通りなど、観光名所も多い

□海は、悩みつつまっすぐに生きようとする。まず、母親に尋ねる。そして、メルの父親の戦友が真実を知っているだろうと…外国航路の船長に会いにゆく。

 恐らく、この映画の元となった話では、先の大戦の戦友(宮崎駿さんの企画書の中では、特攻隊にも触れていた)同士の濃密な関係の部分があるのだろう。

 この映画では、意識的に先の戦争の部分を薄めているようだ。そのことで、俊の父親の特定・断定が、戦友の一人の簡単な証言というだけのシマリがないものになっているような気がする。

□粗筋はこれくらいにして気になったことを。

 日本は戸籍制度が整備されていることでは、世界で冠たる国家だ。

 そもそも、そんな国で「出生の秘密」なるあやふやなことが発生するだろうか。

 俊(しゅん)の出生届を海の父親の名前でだしていれば、俊を養子に出したとしても、戸籍に残っているはず。

(俊の父母<海の父親の戦友とその妻>は、同時に亡くなっている。恐らく、昭和20年の空襲を想定しているのであろう。空襲で父母が亡くなり、子供だけが助かったという例なのだろう。そこで海の父親が自分の名で出生届をだしている。母親の名前はブランクにしているのだろう)

 それを海が知らない…ということがあるだろうか。

 まぁ、子供が戸籍を見るという機会がなかなか無いことは確かだが。

 出生の秘密ものという話の筋としては面白い(キワモノめいている)が、日本の戸籍制度の整備ぶりからはなかなか納得しづらい。(そもそも出生の秘密が秘密にならない筈)

 いや、もし、出生の秘密もので上のような状況となるとするのならば、海の両親の結婚そのものが事実婚(駆け落ちだとかメルが言っていたなぁ、また、海が母親の性を名乗っていることがそれを立証しているのかもしれない)である場合だろう。

 海(うみ)の戸籍の父親欄が、ブランクになっているのならば、なるほど、そうなるかもしれない。

□この映画に対する新聞での評があった。

 曰く、「旧制高校のような」…とか。部室としてつかっているカルチェラタン館の様子からの感想であろうが。(まぁ、評を書いた記者自身がもう旧制高校がどんなものだったかさえ、感覚的に分からない世代だろうに…)

 うん、まぁ、確かに大げさな表現となっていたかもしれない。

 それでも、団塊の世代あたりは、似たような雰囲気だった。スマートではありえないし、また、なにせ、人数が多いものだから、様々な人間がいた。個性的な人間も多くいたし…。

 全体として、筆者などが経験してきた数十年前の雰囲気をなんとなく思い出しもした。

□ところで、母親がアメリカから帰ってきて、「時差ぼけで眠れなくって」というセリフにひっかかる。

 昭和37.38年頃だ。1ドルが360円の時代なのだ。

 アメリカへ行くのは、飛行機ではあるまい。(仮に飛行機ならdc-8くらい? 第一、一度では太平洋を飛び越せないだろうに) おそらく船での往来であろう。

 現在と昭和37年頃をごっちゃに(恐らく意識的に観客に違和感を感じさせないため)しているようだ。

□主人公が高二の女子生徒・海(うみ)であるから、筆者が「オレの青春」というにはまぁ、少し違和感がある。

 でも、映画で描かれているように、公害問題(九州では水俣病など)が起きかけた年代だった。

 ただ、貧しいながら、未来を切り開こうという希望と喧騒に満ちた世代であった。 

 それが、筆者が冒頭でふれたように「未来は常に明るい」と考える大元になっている。